28日
午前1時に寝て、2時に起きる。
長年、撮影の前日とロケ出発前は、遠足前の小学生のように眠れない。本番当日は決まって寝不足だけど、現場の高揚感で長い一日を乗り切るのだ。
4時半、おなじみの女性ドライバー、上野さんのワゴンタクシーで現場に向かう。(荷物が多いので常にワゴンなのです)早朝ながらまだ真っ暗、高速道路の上に満月がある。前夜から泊り込みのアシスタントの悠子ちゃんは目を閉じ、私は上野さんと地震やイラクで捉えられた青年のはなしをする。
静かな住宅街に近いあるお店のまえで、人通りが少ないうちに撮影がはじまる。ロケでお天気が良い日はみんなの顔がほころぶ。ここのところ天候不順が続いたので、ことのほかうれしい。真っ青な空、理想的な光が出演者に降りそそぐ。
この近所に黒澤明監督の片腕だった野上照代さんが住んでいて出演者の女優さんと親しいので、現場に現れた。野上さんは黒澤監督のほとんどの作品のスクリプターをつとめ、後半はプロデューサーとしても腕をふるった人。監督亡き後も世界中、日本中の映画の催しに出席したり、各国の若い監督の面倒を見たり、と忙しい日々を送っている。もう80歳をとっくに越していらっしゃるとおもう。
明るい若草色の車が何度も現場付近を通過した。なかに白髪の女性をみとめて私はそのたびに手を振った。あとできいたら、住宅地でなかなか車を留める場所がみつからなかったらしい。
「きれいな色の車ね」といったら
「そーお、私、嫌いなのよ。でも、5万円で買ったんで贅沢いえないの」とのことだった。
いつまでたっても撮影現場は楽しいといって、小さなカメラを向けていた。
午後、スタジオのセットに移って撮影が続き、8時半ごろ終了。迎えに来てもらった上野さんのワゴンタクシーで帰る。9時過ぎ、空にはまん丸の月が私たちを見守っていた。
29日
今日も快晴。昨日女優さんに降りそそいだ光は、庭に干した布団と洗濯物に。送られてきたファックスなどをチェックして、午後はリースした衣装や小道具を返却に行く悠子ちゃんと近所に昼ごはんを食べに出る。
鳩森神社に寄ってお賽銭を入れて何となく拝む。境内は一休みしているサラリーマン、鳩森幼稚園帰りの園児、日向ぼっこの老人などがちらほら。
樹齢百年以上であろう大木、能舞台などがあるこの神社には宮澤賢治が滞在していたこともあると聞いている。こうして、私は時たま地元の氏神さまにおまいりする。昼ごはんは「ジャマイカうどん」で、私はトムヤンヌードル、悠子ちゃんはサケのちゃんちゃん焼き定食を食べた。(こういうの無国籍料理というのかも)「ジャマイカうどん」は最近潰れた喫茶店「白馬」の上にあり、若いお客(近所のアパレルで働く男女だと思う)で賑わっている。昔、村上春樹さんがバー「ピーター・キャット」をやってらした、そのあとにある店。バーだった頃はまた別な、いい雰囲気だったことだろうが、その頃の私は全然夜遊びをしなかった。今とは別の時間が流れていたのだ。
夕方からはカフェとらばーゆで「番台セミナー」。今日はヘアメイクアップアーティストの藤原美智子さん。
ここに登場するゲストは各界で活躍中の超多忙な方々ばかり。一時間半の時間の中で、オーデアンスが聞きたいことを敏感に察知して、みんなそれぞれ惜しみなく話してくれる。
藤原さんも貴重な経験談をいっぱいしてくれたけど、私にとって心に残ったのはつぎの言葉。
「人生はらせん階段。毎日休まずに一段一段上ってゆくと、あるところに踊り場が現れる。そこで脚光を浴びたり、楽しんだり、休んだりするけど、それが終わりじゃない。またそこから階段を一段づつのぼって行かなくてはならない」
きっとこれは、日々仕事をし、脚光を浴び、努力をしつづけている藤原さんの実感なのだろう。
よっしゃ、私もこつこつがんばって、あと3、4回は踊り場で踊りましょう。無限のらせん階段をのぼりながら、無限の踊り場をめざしましょう。そう決心しました。
午前1時に寝て、2時に起きる。
長年、撮影の前日とロケ出発前は、遠足前の小学生のように眠れない。本番当日は決まって寝不足だけど、現場の高揚感で長い一日を乗り切るのだ。
4時半、おなじみの女性ドライバー、上野さんのワゴンタクシーで現場に向かう。(荷物が多いので常にワゴンなのです)早朝ながらまだ真っ暗、高速道路の上に満月がある。前夜から泊り込みのアシスタントの悠子ちゃんは目を閉じ、私は上野さんと地震やイラクで捉えられた青年のはなしをする。
静かな住宅街に近いあるお店のまえで、人通りが少ないうちに撮影がはじまる。ロケでお天気が良い日はみんなの顔がほころぶ。ここのところ天候不順が続いたので、ことのほかうれしい。真っ青な空、理想的な光が出演者に降りそそぐ。
この近所に黒澤明監督の片腕だった野上照代さんが住んでいて出演者の女優さんと親しいので、現場に現れた。野上さんは黒澤監督のほとんどの作品のスクリプターをつとめ、後半はプロデューサーとしても腕をふるった人。監督亡き後も世界中、日本中の映画の催しに出席したり、各国の若い監督の面倒を見たり、と忙しい日々を送っている。もう80歳をとっくに越していらっしゃるとおもう。
明るい若草色の車が何度も現場付近を通過した。なかに白髪の女性をみとめて私はそのたびに手を振った。あとできいたら、住宅地でなかなか車を留める場所がみつからなかったらしい。
「きれいな色の車ね」といったら
「そーお、私、嫌いなのよ。でも、5万円で買ったんで贅沢いえないの」とのことだった。
いつまでたっても撮影現場は楽しいといって、小さなカメラを向けていた。
午後、スタジオのセットに移って撮影が続き、8時半ごろ終了。迎えに来てもらった上野さんのワゴンタクシーで帰る。9時過ぎ、空にはまん丸の月が私たちを見守っていた。
29日
今日も快晴。昨日女優さんに降りそそいだ光は、庭に干した布団と洗濯物に。送られてきたファックスなどをチェックして、午後はリースした衣装や小道具を返却に行く悠子ちゃんと近所に昼ごはんを食べに出る。
鳩森神社に寄ってお賽銭を入れて何となく拝む。境内は一休みしているサラリーマン、鳩森幼稚園帰りの園児、日向ぼっこの老人などがちらほら。
樹齢百年以上であろう大木、能舞台などがあるこの神社には宮澤賢治が滞在していたこともあると聞いている。こうして、私は時たま地元の氏神さまにおまいりする。昼ごはんは「ジャマイカうどん」で、私はトムヤンヌードル、悠子ちゃんはサケのちゃんちゃん焼き定食を食べた。(こういうの無国籍料理というのかも)「ジャマイカうどん」は最近潰れた喫茶店「白馬」の上にあり、若いお客(近所のアパレルで働く男女だと思う)で賑わっている。昔、村上春樹さんがバー「ピーター・キャット」をやってらした、そのあとにある店。バーだった頃はまた別な、いい雰囲気だったことだろうが、その頃の私は全然夜遊びをしなかった。今とは別の時間が流れていたのだ。
夕方からはカフェとらばーゆで「番台セミナー」。今日はヘアメイクアップアーティストの藤原美智子さん。
ここに登場するゲストは各界で活躍中の超多忙な方々ばかり。一時間半の時間の中で、オーデアンスが聞きたいことを敏感に察知して、みんなそれぞれ惜しみなく話してくれる。
藤原さんも貴重な経験談をいっぱいしてくれたけど、私にとって心に残ったのはつぎの言葉。
「人生はらせん階段。毎日休まずに一段一段上ってゆくと、あるところに踊り場が現れる。そこで脚光を浴びたり、楽しんだり、休んだりするけど、それが終わりじゃない。またそこから階段を一段づつのぼって行かなくてはならない」
きっとこれは、日々仕事をし、脚光を浴び、努力をしつづけている藤原さんの実感なのだろう。
よっしゃ、私もこつこつがんばって、あと3、4回は踊り場で踊りましょう。無限のらせん階段をのぼりながら、無限の踊り場をめざしましょう。そう決心しました。