高橋靖子の「千駄ヶ谷スタイリスト日記」

高橋靖子の「千駄ヶ谷スタイリスト日記」

六本木スタジオで

2005-08-28 | Weblog
いつだったか、横浜港近くの由緒あるバーでロケをした。
撮影終了後、成り行きでささやかなお疲れ会となり、スタッフは仕事の緊張から解放されたひと時をバーのカウンターで過ごした。
カメラマンの十文字さんの脇には若い女性スタッフが座り、私もそばの席に連なった。


彼女は「十文字さんて、どうやって写真の修行をしたんですか?」と単刀直入な質問をした。
仕事の後のぽかっとリラックスしたい時間に、かなり真面目でシリアスになりそうな質問をして大丈夫なんだろうか、と私は密かに気をもんだ。
十文字さんは、にっこり笑って、「僕はね、実は役所に勤めていたんだよ」とことの始まりから丁寧に話し始めた。
その話は、若い女の子が独り占めにするにはもったいないことがいっぱい詰まっていて、私は聞き耳を立て続けた。
話が六本木スタジオのスタジオマンになった頃になると、女の子といっしょに相槌を打っていた。(あ、突然思い出したけど、その頃は私もやや若い女の子だったんじゃないかしら)
当時のスタジオマンには、仕事の獲得の仕方があった。
いかに一番乗りしてスタジオを掃除するか、そんなことにも必死だった。
十文字さんは遂にスタジオに寝起きして、一番を確保した。あの白くて硬いスタジオは地面より冷えたのではないだろうか。そこで一番になるのがどういうことにつながるのか、今ではその細かい話までは思いだせないが、そうやってコツコツと並外れた努力をして、何かしらのチャンスをつかんでいったのだ。
当時はスタジオの数も少なくて、私もしょっちゅう六本木スタジオに出入りしていたから、いっしょの時もあったろう。
でも残念ながらスタジオマンのときの十文字さんは記憶にない。
それから、彼はカメラマンのアシスタントになったが、優秀なアシスタントとしての伝説は何度かつたえ聞いている。

十文字さんがはじめてファッション写真を撮ったときのことは鮮明だ。
72年、ロンドンに行った時、ファッションデザイナーのザンドラローズと知り合った。


女の家でのパーティには、寛斎さんや、マガジンハウス(当時は平凡出版といった)の編集部の椎根大和さんなどと押しかけた。
そんな縁で、池袋西武でザンドラのファッションショーを開催し、アンアンでは、ザンドラの服を大々的に紹介することになった。
椎根さんが「若いカメラマンでやるよ」といって現れたのが十文字さんだった。
当日、十文字さんは相当緊張していたらしいが、私たちには全然それは感じられず、それよりも、撮影の素早さに驚いた。
あっという間に終ってしまったのだ。
椎根さんは、自分が起用した若い才能の仕事ぶりに編集者としての喜びを感じているようだった。
何しろ、十文字さんがフリーランスになって、3ヶ月目の仕事だったのだ。

それから数年間、十文字さんは、クライアントや広告代理店に見せる作品集には、ザンドラの写真が必ず入っていた。
パネルになったその写真を私がいっしょに見るときだけ「最初にすごいものに出会っちゃったんで、なかなかこの作品を引っ込められないんだ」と言って笑った。
その記念すべき時に、スタイリストとして参加できたことをラッキーだと思った。
十文字さんが、ムービーに挑戦する時がきた。
スチールフォトグラファーとムービーカメラマンの職域が分かれていた時代から、両方をトライする人たちが出てきたのだ。
多分同じ六本木スタジオだったと思う。
加藤和彦さん、ミカさんが、スタジオの床に腰を下ろして、カメラを見上げる。お菓子メーカーのコマーシャルだった。
技術的なサポートをするスタッフがさりげなく十文字さんを囲んでいる。
この撮影は、仕掛けもなく、シンプルでかっこいいものだった。
広告界には才能ある人たちをうまく引き立ててゆく体質が自然にある。
みんな好奇心が強い、新たらし物好きの集団なのだ。

ある日、私は十文字さんに、こんなことを報告した。
私は子供を生んで3年経っていた。
産後は、それ以前より何倍かの仕事が押し寄せてきた。
私はそれらの仕事に以前にも増して情熱を注いでいたし、自分の感覚もそれなりに光っていると思っていた。
その日、世界に降りそそぐ光りがいつもと違って見えた。
世界がクリアな鋭角さをもって存在していた。
それまで、見えないへその緒が私と子供のあいだにあったのだろう。
今、母性に包まれて柔らんでいた私の感覚が、そのやわらかい膜を脱いだのだ。
その瞬間は、空から降ってきたような感じで、へその緒が切れた私は、今新しい時を刻み始めたような気がする、、、と。
十文字さんは、目を輝かせて私の話を聞いてくれた。
そして「やっこさん、素晴らしいよ。よかったね」といってくれた。

写真 (撮影・十文字美信、モデル・グレタ スタイリスト・Yacco アンアン 1973年11月5日号より) 
ザンドラのドレスは、シフォンにアメーバ状の柄がったやわらかいものから、フエルト状のものまで、芸術品といっていいものばりだった。私は彼女からシフォンのドレスを一着プレゼントされた。

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3 コメント

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はじめまして (ha)
2005-08-29 20:26:35
はじめまして。

私がこの仕事についたきっかけはYACCOさんです。いろんな雑誌を拝見したりしてました。20うん年前、stylistに憧れ、YACCOさんのようになりたいって上京しました。

こちらのブログを発見した時はほんとに興奮してしまいましたよ。もちろん、御会いしたことはございませんが、今でも憧れの存在であることにはちがいません。。。

私もいつ迄この仕事、やれるかわかりませんが、頑張ります。

いつまでもお元気で。
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Unknown (Yacco)
2005-08-30 13:46:29
ありがとう。仕事も、ブログも、できる限り続けます。
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ありがとうございます (ha)
2005-09-02 20:04:49
お返事頂けてありがとうございます。

stylistになってよかったと思いますし、まだ、続けられていられる自分も幸せものだと思います。やっぱり、街を歩くと新しいものや古いもの自分なりの発見が楽しいです。



子育てとの両立で綱渡りものの日々も多いですが、YACCOさん(スミマセン、なれなれしくて、汗;)の御活躍をまた再確認させていただき、めげずに頑張ろうと思います。また、貸し出し場所等でお目にかれる日もあるかと期待しつつ?

これからもブログ拝見させていただきます。。
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