高橋靖子の「千駄ヶ谷スタイリスト日記」

高橋靖子の「千駄ヶ谷スタイリスト日記」

3月24日 ローリング・ストーンズのファッションチェック

2006-03-28 | 千駄ヶ谷日記
 ある日、私にファッションチェックの仕事がまよいこんだ。
私にとって、ファッションチェックとか、着まわし術とかいうのはとても苦手な分野なのだ。
「ストーンズのファッションチェックですから」という相手に、出来ませんといえば、「仮にもスタイリストだし、仮にもロック好きでしょう」と思われるばかりか、ちょっとエラソーにしてるみたいに見えちゃうかな。
とまあ、私の中の、良く思われたい精神が勝ってお引き受けしたのでした。
でも、40年にわたる彼らの歴史的写真を見せてもらって、いちばんお勉強したのは私自身だった。担当の若者たちとわいわいしゃべって、来日中止時の秘話で
盛り上がったりしてね。

 1990年の公演の時、私はアキレス腱を切り、その手術後でまだ松葉杖をついていた。

交通渋滞でタクシーは進まず、やっと開演時間ピッタリにドーム前に着いた。
わーっという歓声が上がり、曲が始まっても、私は松葉杖で必死に歩いて入り口を目指す。
一曲目が終るころ、やっと入場した。
それから係りのかたに誘導されて、まえに進む。友人が用意してくれた席はアリーナでまえから10番目ぐらいだったろうか。その距離が長くて、2曲目が終っていた。
そんなだったけど、めげずに行ってほんとうによかった。
1988年、ミックが単独公演したときも、3年前、2003年の日本公演の時も、行っている。(ミックのサテンのジャケットが素敵だった。ファッションチェック参照)今年はさまざまな事情でのがしたけど、あ、まだ埼玉がありますね。

 ミック・ジャガーは1943年生まれで62歳。これで最後のツアーと言われてから久しい。もっともっと、飛び跳ね、もっともっとモンローウォークをして欲しい。

 今年の初め、「永遠のビビアンウエストウッド」展を見たとき、その変化する一貫性に感動した。
ビビアンウエストウッドは1941年生まれ。
展覧会を観た日、夜新聞を見ていたら、アニエスベーの記事があり、同じ1941年生まれの笑顔の写真が載っていた。
そして最後に申し上げたいのは、私も1941年生まれだということなんですけど。

ローリングストーンズのファッションチェックコーナー 60年代~90以年代降まで、写真付きの4ページ構成です。
ザ・ローリング・ストーンズ ファッションチェック


写真(ビビアンウエストウッドのカタログとTシャツ・撮影Yacco)

お知らせです。
・ホットワイアードのブログの企画が終わりになり、私の日記も最終回ですが、今後はアスペクト社 に移ります。これからもご訪問、お待ちしてます。Yacco

今後、このブログは、以下のURLにて、5月下旬に再開します。
http://blog.aspect.co.jp/yacco

3月19日 ことの始まり

2006-03-20 | 千駄ヶ谷日記
 3月のはじめは、ありがたいことに撮影が重なり、さらにありがたいことに本のプロモーションにあたる取材が相次ぎ、睡眠時間、食事の時間が大幅に削られた。
 その波を超えたので、ここ2日間、ぐっすり眠っている。
 昨日は銀座の本屋さんから帰って、夕方ココにエサをあげてからコトンと夕寝をした。

そのあと、朝作ったスープで食事をして、また数時間寝た。
これは夜中に西麻布のアムリタというバーに行く約束をお隣のきよみさんとしていたから。
夜10時から11時半まで「木村伊兵衛の18万コマ・よみがえる昭和の記憶」という偉大な番組を居眠りしつつ観る。
 それからアムリタに電話したら、そこで写真展をしているカメラマンの池野さんが来てなかったので、取りやめた。
 また眠りに入る。
日曜日の朝まで、私はどれだけ眠ったことだろう。
肌がしっとりして、いつもよりほんの少しだけ顔もかわいい感じがする。
 この自己愛を生かす取材も、デートもないので、日曜の定番で週間ブックレビューを見て、再放送の新日曜美術館「建築家吉村順三の仕事」を観た。

 2月末、長いこと私の本のデザインに関わってくださったサンアドの葛西さんと引地さん、編集の貝瀬さん、若いカメラマンの中さんとパレスホテルの地下でお疲れ会をした。
 翌日は葛西さんがサントリー・ウーロン茶の中国ロケで早朝出発のため、パレスホテルに泊まるとのことなので、ゆっくりとお話をした。
 ステーキハウスの半円形のカウンターの対面には瀬戸内寂聴さんがいらして、仮に出版の話がそちらに聞こえたりしたら超恥ずかしいと思い、話題がそのことになると、声を低くした。
 こういう自分勝手な、意識過剰なところが私の特徴でもある。  
 ほんの少しきこえたところで、寂聴さんが意に介すはずもないのに。
 葛西さんがラテン語のすてきな格言を教えてくれた。
 「すべてことの始まりは小さい」
 「表参道のヤッコさん」という本が出来て、、船出の時を迎えた。
小さな船出だ。
 コツコツと書いて、コツコツと仕上げていただいて、始まりのときをむかえた。
この本が本屋さんに並ぶなんて、夢のようだと思った。

 それから怒涛の一ヶ月が過ぎた。読売新聞と日本経済新聞の書評欄に取り上げてもらい、本屋さんではチラホラとポップも出現した。
 今朝、はっきりと記憶に残る夢を見た。
 「増刷です」と言う声が聞こえたのだけど、それは4千冊だった。
 どうせ夢なら4万冊とか、40万冊とかだったらよかったのにのに、やっぱり夢も控えめでした。
 編集の貝瀬さんに伝えると、きわめてリーズナブルな数字、とのこと。
 ことの始まりの、小さな夢よ、もっと羽ばたいて!

3月6日 読売新聞「本よみうり堂」著者来店に

2006-03-06 | Weblog
「表参道のヤッコさん」が3月5日、読売新聞の書評欄に取り上げられました。今、朝5時出発のロケに合わせたように、日曜日の朝4時40分に配達されました。
読んでくださいね。では行ってきます。

昨日、ここまで書いたとき、予約していたワゴンタクシーがきたので、出発してしまった。
早朝の都内ロケは肌寒かったけど、柔らかい春の陽射しが絶好のロケびよりだった。
時間より早く着いたので、駅前のコンビニで読売をあるだけ、4セット買った。それから、私の本を「オレンジページ」に推薦してくれた女子店員さんがいるという本屋さんの前を通った。閉まっている店の前で、「佐藤さんありがとう」とささやいて、現場にもどる。

ロケが終って、スタジオに入ってから、消音にしたケイタイに友人から「新聞見たよ」のメッセージがたびたび入る。
宇野千代さんの秘書だった藤江さんからは「一生にそんなにないラッキーなことだから大切にしなさい」とあった。作家に寄り添って生きた方の言葉だから本当にそうなのだろう。
実際、発売まえにいくつかの本屋さんを観て回って、こんなにたくさんある本の洪水の中に、はたして私の本が無事船出できるのだろうか、と思った。

出版してから数日後、新宿の紀伊国屋本店で話題の新刊コーナーに発見した時、思わずポロリと涙が出てきてしまった。
その私の肩をポン!と叩いたのは、新宿2丁目のバーのママで、
「ふらりと入ってきたら、ヤッコさんの本があったからデビッド・ボウイのところを立ち読みしてたのよ」とのこと。
思わず「ちゃんと買ってよ!」と叫んでしまった。店内にはなんと3箇所に平積みでおかれていた。

今のところ、都内の本屋さんから、突発的によいニュースがはいってくる。とってもありがたいことだ。
撮影のあと、ワゴンタクシーに待ってもらって、渋谷のブックファーストに寄った。
夜9時過ぎの道玄坂は、人も車も、真昼間のように混んでいる。本屋さんのなかも人々でいっぱいだ。
地下と2階で、この間お話した店員さんを見つけて、コンビニで買った新聞を渡した。

今日中に、なにかしたかった。超精いっぱいで恥ずかしいけど。