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日本のスタイリストの草分け的存在。現在も、広告、CMなど第一線で活躍中。71年、ロンドンで山本寛斎氏とファッションショーを成功させ、その後、「ジギー・スターダスト」期のデヴィッド・ボウイの衣装を担当。鋤田正義氏によるデヴィッド・ボウイやT・レックスの撮影をアレンジしたことでも知られる。エッセイ『家族の回転扉』(『小さな小さなあなたを産んで』読売新聞社所収)で第19回読売「ヒューマン・ドキュメンタリー」大賞を受賞。
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3月24日 ローリング・ストーンズのファッションチェック
3月19日 ことの始まり
3月6日 読売新聞「本よみうり堂」著者来店に
2月12日 フラワートラベリングバンド
2月11日 表参道ヒルズ
1月22日 「表参道のヤッコさん」
1月11日 ホームレス
12月12日 原宿表参道エコ・パーティ、そして、、、
12月18日 雪の名古屋へ
12月16日 Pretty Things
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Vol.33 Web2.0的信頼の構築

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高橋靖子の「千駄ヶ谷スタイリスト日記」
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事務所をシェアしているきよみさんと、名古屋へでかけた。
大雪の予報があるなか、彼女は8時の新幹線で出発。途中ケイタイで富士山がきれいという、メールが届く。
11時には私が出発。私も美しい富士山を見て、駅弁を食べて名古屋に到着。

きよみさんは、名古屋からさらに一時間半かけて豊田市の美術館へ川俣正氏のインスタレーションを観に行っていた。
それは廃材を使ったインスタレーションで、彼女に見せてもらった「アーティストの個人的公共事業」という本には、彼のプロジェクトのさまざまな系譜がある。廃材のほかにも、「アートと関連した新聞紙リサイクルと環境」というのがあって、これは夥しい量の新聞紙によって成立している。
私はといえば、名古屋駅の地下街をさまよい歩いて「足裏マッサージ」の店がけっこうあることを知り、1時間20分にわたってマッサージを受けた。
(かなり休めました)
往復4時間の美術館めぐりから名古屋にもどったきよみさんと、ひたすらマッサージ派の私はケイタイで位置確認し合って、手打ち蕎麦やで落ち合った。

それから愛知県芸術劇場・大ホールへ向かい、坂本龍一さんのピアノコンサートのオーディアンスとなった。
渋谷のオーチャード・ホールのときは1階のかなり前の席だったのだが、今回は四階の真ん中辺ではるか下のステージを見下ろす体勢だ。
坂本さんは四階、五階に向かって「聴こえますか?」と気遣ったが、天井桟敷に近い席も最高だった。ホールの構造は多分サントリーホールと似ていて、演奏が直接私自身に届く。ステージと四階の一客席が何ものにも邪魔されずまっすぐ繋がっているようだった。
(そのあと、22日に東京フォーラムのCホールに行ったが、この日は冬至で「100万人のキャンドルナイト」だった。もしかして、、という予想通り、5本のキャンドルの光りで演奏された)
というわけで、コンサートは演奏者と場所の空気、さまざまな要素が混じり合って、それぞれ異なった魅力が生まれるということを体験した。
それがライブの醍醐味なのだろう。

終電に近い新幹線で名古屋を発つ時、雪が本格的に積もり始めていた。
駅前で雪の夜空を見上げて、私たちのクリスマスはこれでOKということにした。
おしゃべりしながら帰ってきたけど、雪の遅れはまだ20分くらいだった。

写真 (撮影・星川きよみ) 4時過ぎ、雪が降り始めたころ。
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友だちの鳥居ユキさんが「ヤッコ、いっしょに行きましょう」と誘ってくれて、なんだかよくわからないまま、「Pretty Things」というドキュメンタリーフィルムの完成記念試写とパーティについて行った。
ところがこれがとてもラッキーなことだった。

あとで知ったことを書くと、監督でもあり、出演者の一人でもあるリズ・ゴールドウィン(Liz Goldwyn)はMGMの創設者のサミュエル・ゴールドウィンの孫娘。女優の衣装をはじめとしたさまざまな衣装のコレクターとしてもしられているひとだ。
どんな映画が始まるのか、集まった方たちの様子からして、とてもおしゃれであることはまちがいない。
ユキさんと取りとめもない話をしながらほぼ一時間ほど待っていると、映画が始まった。

1920年代から50年代にかけて、アメリカには「バーレスク」と呼ばれるエンターテイメントショウがあった。
誇り高くて、セクシーなバーレスククイーンたちが登場して踊る貴重な当時の映像、年を経た彼女たちへの取材、彼女たちから伝授される踊りをリズ自身が踊る、、、というような流れで映画は進行した。
(リズ自身はバーレスククイーンを日本の芸者にたとえている。これはわかり易いたとえかも)

観終わって感じたのは、とても楽しかっただけじゃない、これは リズが映画にしてくれなかったら、忘れられてしまったかもしれない貴重な文化だった、ということだ。
映画のタイトル「Pretty Things」はデヴィッド・ボウイの曲にもあるなーと思っていたら、最後のタイトルバックで、それが流れた。

パーティ会場には先日久しぶりに会った中西俊夫さんがいるではないか。
「ヤッコさん、あとでDJやるよ。デヴィッド・ボウイやTレックスかけるから、残っててよ」という言葉を忠実にまもったら、午前一時過ぎてしまった。
最初は躊躇が先立って、私の貧しい英語では、なかなか話しかけられなかったリズに、時間がたつにつれて度胸がついて、ついにちょこっと話しかけた。
リズは「きゃー、うれしー、私もそう思ってつくったのよー」と抱きついてくれた。(すかさず、ツー・ショットを撮らせていただいた、公開しませんが)

トシさんが、60年代から70年代にかけて「グラニー・テイクス・ア・トリップ」などを手がけていたジーン・クレール氏と軽々と会話をかわしているをみると、まったくうらやましい限りだった。
リズは多分、20代の終わりぐらい。
この催しをプロデュースしたマイコさんは30歳。
私は彼女が5歳か6歳の頃を知っているが、ここでも、こうして時は流れていたということを知るのだった。

写真 (撮影・Yacco) 左の女性が監督のリズ・ゴールドウィン。 
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坂本龍一さんのソロ・ピアノコンサートに行った。
今年は夏「JAPAN TOUR 2005」もあったから、私にとって良いことが夏と冬と2回もあったことになる。
夏の「ZEPP」は自然エネルギーだけでコンサートができる会場で、照明も程よくほの暗かったり、やや明るかったりした。
今回はさらにほの暗く、ステージ上の坂本さんとピアノに照明が一灯あたっているだけだった。
始まったとたんにステージから溢れてきたピアノの音は、はっとするほど美しく、私は闇の中に身を沈めて音を浴び続けた。

ステージには大きなグランドピアノが二台おかれていて、ずっと昔、坂本さんと高橋悠治さんが連弾したことがあったのを思い出した。
今回は共演者はいなくて、坂本さんが、あるところでこの二台のピアノをコントロールした。

後半、ロックのノリとかいうのとはぜんぜん違うんだけど、なにか突き動かされるものを感じて、身体が動いた。
それからしばらくして、静かに涙が溢れてきた。
なんと言ったらいいのか、音は湿ってないないのに、情感が溢れている。
その心地よさに、私は自分の心を全部預けた。

この世の中で、いちばんの幸せ、いちばんの贅沢は、美しい時間をシャワーのように浴びること。
そういう時間は、ある日、天から降ってきたみたいに訪れる。

写真 (撮影 伊藤信子) ちょっと前になるけど、2003・9・11の明治公園BE-INで。皆でキャンドルをひとつひとつ置いて直径100メートルぐらいのピースマークをつくった。ほの暗い闇は良い。
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11月から12月にかけて、お天気の良い日に3日ばかり、原宿・青山をくまなく歩いた。
40年間、表参道から千駄ヶ谷の一帯で生息している私だが、いつの間にか、小動物としてのテリトリーができてしまった。
その範囲は時期によって微妙にずれたりしているけれど、それでも基本的にこの土地から離れることはない。
「表参道のヤッコさん」という本を出版するに当たって、1960年代後半から70年代にかけてのマップを挿入しようということになった。
脳の中にしみこんでいるはずの原宿のひと筋、ひと筋の道から、あの時ここにあれがあった、こんな店があったと、別の風景が立ち上がってくる。
新鮮でもあり、懐かしくもある巡礼の旅だった。

写真は、最初の10数年間住んでいたアパート。
表参道と青山通りの交差点辺りから、住宅街を歩いて、今だったらビームスの裏側、ウラハラの一角まで来たとき、このアパートがあった。
ここに住みたいな、と思って1階のドアを叩くと、中年の男性が顔を出した。
大家さんだった。
「空いてるお部屋ありますか?」
「あります」
それだけの会話で、住むことに決めてしまった。

大家さん一家や、ご近所の住人ととても仲良く暮した。
夏は2、3軒さきの畳屋さんに縁台がでて、夕涼みをした。
アッパッパ(簡単な綿のワンピース)に、貫禄モノのエプロンをしたおばあちゃんが、団扇を仰ぎながら「暑いねー、寄っていきな」というのに応えて、しばらく縁台に腰かけて世間話をする。まるで、タケシのドラマみたいだ。
心がみるみる過激な先祖がえりをして、そうだ、「ALWAYS三丁目の夕日」を観なきゃ、、と思う。
しばらく佇んでいたら、工芸やのおばさんが出てきたので、立ち話をした。
千駄ヶ谷の家にテラスを作ってもらったり、床を張り替えてもらったおじさんが病気で入院中と聞いた。

3軒あったお風呂屋さんは今はもうなく、そのうちの1軒はマイセンという豚カツ屋さん。
教会はラフォーレ原宿に。
ラフォーレの裏には思い切りモダンなDO!Familyが。(数十年前のバンダナは、今でも私の宝物だ)
ドウ!ファミリーのミュージアムで写真展をしていたので覘くと、昔よく使っていた「365 BUSY DAYS」というスケジュール帳が展示されていた。
こんなポップでかっこいいノートは今どこにもないな、と思う。

太陽が金色に輝きだして、今日の巡礼が終わりに近いことを知らせてくれる。
昔ながらのコロンバンで、モンブランとコーヒーをいただいて区切りをつけた。
コロンバンの灰皿は、書かれているフランス語は違っているけど、絵柄はほぼ同じ。
譲ってください、と頼んだけど断わられました。

写真 (撮影・Yacco)
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