高橋靖子の「千駄ヶ谷スタイリスト日記」

高橋靖子の「千駄ヶ谷スタイリスト日記」

1月11日 ホームレス

2006-01-13 | 千駄ヶ谷日記
お正月だし、戌年だし、元日のココの写真を公開してしまおう。
元日、鳩森神社でお参りをして、新しい破魔矢と御札を買って大家さんの庭で遊んだ時のもの。
その後、何度もいっしょにお参りしてるからココも「開運招福」のご利益間違いなし!

と、のどかなことを書こうと思ったのだけど、、、

早朝、ココと体育館をひとまわりすると、薄っぺらなビニールのピクニックシートを巻きつけて、しかもそのうえビニールの紐で自らの身体をぐるぐる巻きに包装して夜を明かしたホームレスのかたがいたりする。(多分ピクニックシートが風に飛んでいかないように。初心者のホームレスの方は所持品が少ないからね)
そんな姿をみるたびに、彼に毛布があったら、寝袋があったら、と思う。

実はこれから書くことは、「善行」を披露するようで気が引ける。
それで誰にも言ったことはないんだけど、私は毎年寒さが厳しくなると、家の中を探して、毛布やベッドパッドをデカイ紙袋に入れ、さっとホームレスの場所に置いてきたりしていた。
それが今年はこの極寒。
豪雪も地球の温暖化の振り子現象のひとつだと、聞いたが本当だろう。

去年はこのブログのために大量の70年代の写真を整理したが、その時、何でこんなものが?と我ながら不思議に思うものがぽっこり現れるのだった。
たとえば、イングリッシュ・グリーンの厚手のピクニックシート。裏がビニール系でおもてがグリーンと紺のタータンチェック。起毛した厚手のウールはコンクリートの冷えを和らげるだろう。その上昼間はくるくると巻いて、ショルダーバッグのようにさげられるようになっている。
私はこういうものを、自分の人生の夢とイメージのために買っていた。これもそのひとつだけど、30年間一度も使用したことはない。

寝袋もあった、あった。15年以上前のこと、しし座流星群を見るために、みんなこぞって寝袋を購入して長野県に行った。軽井沢に近い教会の脇のキャベツ畑に寝袋でゴロンと横たわり、芋虫状態で流れ星を見上げたんだった。寝袋を使ったのは、そのとき一回きりだ。
こういう思い込みの産物はこの冬から別の使命を持ってもらおう。
気温がグンとさがった5日の夕方、事務所をシェアしている清美さんに初告白した。
そしたら、「実は私も代々木公園のホームレスの人たちに同じことしてた」とのこと。

私たちは彼らの寝具になるべきものと温かい飲み物が入ったポットを抱えて、技場付近に出かけた。
ふたりになったおかげで、ちょっと勇気が出て彼らと会話した。

「こんな寒い日、どこかで炊き出しができたらいいね」
「特別寒い日、教会とかが今晩は中にお入りください、って建物の中まで解放することがあってもいい」
そんなことを話していたら、清美さんが毎日新聞を持ってきて、
「ねー、私たちがしたようなこと、もっと大勢でやってるよ」といった。
そこには「山谷夜回りの会、路上生活者を支援、寒い夜、食事や毛布配り」とあった。(毎日新聞1月11日朝刊都内)
こういうことは、転んだ人にちょっと手をさしのべる程度のこと。
いつも思う。人生は紙一重。私だっていつ転ぶかわからない。

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10 コメント

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Unknown (犬バカ15匹)
2006-01-14 14:27:42
こういう行動って、1人だとちょっと勇気がいりますよね。うちの父も、毎日散歩をするのですが、公園内の浮浪者の方達に話かけております。そして、タバコやらなんやらを配っていたりする。母や姉は、「もう辞めなさい」と言っておりますが・・私もこの夏、ヤクルト配っちゃいました。

寂しい孤独な人が多いから、ちょっとした気づかいみたいなものがもっとあったらいいですよね♪



この子達↓を連れて行く時は、どうしても避けちゃうんですがね・・。



http://fine-field.cocolog-nifty.com/
Unknown (ゆうた)
2006-01-15 19:30:32
買い物帰りに盲導犬育成募金に小銭を入れたり、乗り物でお年寄りや妊婦の方に席を譲るとか、小さなことは出来ても、ホームレスの人に毛布を、食事を、ということはなかなかできません。

あ、でも、以前、ホームレスの方が冊子を売っていた方がいたので、購入したことがあります。

「転んだ人にちょっと手をさしのべる程度のこと。」そういった気持ち・心の余裕・優しさをもちたいです。

しし座流星群を見る!という“宇宙的”な(?)理由で(笑)購入された寝袋やシートが、今はどこかの誰かの心と体を温める役割を果たしているんですね。
Unknown (ゆうた)
2006-01-15 19:30:32
買い物帰りに盲導犬育成募金に小銭を入れたり、乗り物でお年寄りや妊婦の方に席を譲るとか、小さなことは出来ても、ホームレスの人に毛布を、食事を、ということはなかなかできません。

あ、でも、以前、ホームレスの方が冊子を売っていた方がいたので、購入したことがあります。

「転んだ人にちょっと手をさしのべる程度のこと。」そういった気持ち・心の余裕・優しさをもちたいです。

しし座流星群を見る!という“宇宙的”な(?)理由で(笑)購入された寝袋やシートが、今はどこかの誰かの心と体を温める役割を果たしているんですね。
Unknown (Unknown)
2006-01-17 23:30:37
僕は公民館などにたまに置いてある「無料炊き出し」などのチラシを、近所のホームレス基地へと持っておってはその辺に置いてきます。意味あるのかなあ~
我がことのように… (shiori)
2006-01-21 02:52:28
 思ったまま行動に移すYaccoさんはやっぱり素晴らしい。善行をひけらかしているようになんて絶対思えません。自分とは関係ないと思う人のほうが多いでしょう。我がことのように思えるか否かが岐路なんだと思います。

 かつて写真週刊誌で見た、雪の中で座り続け収容施設行きを最期まで拒否して死んだおじいさんのホームレスの顔が忘れられません。ゴミ袋の黒いビニールを屋根にして四隅に立てた棒に縛りつけ、吹きすさぶ風でその棒が倒れないよう握ったまま、息絶えていたというその顔は神々しかったです。

 マスコミはどこも秘密を厳守しているけれど、去年の夏、北極の氷は何と全部溶けてしまったそうです。今は冬季なので凍っているようですが。その余波なのでしょうか。人間の自業自得で発した波は弱い人々から先にかぶってしまう。

 行動することがそれを変えていくと信じます。
似たところを。。。 (seto.y)
2006-01-21 17:33:27
素敵な方だと思いました。やはり。

Yaccoさん、遅ればせながら、

あけましておめでとうございます。

わたしもちょっぴりですが、いつも

ホッカイロを余分にバッグにいれて

て、うむも言わさず、笑、寝込んで

いる街頭の人の胸にいれて、おせっ

かいしてます。ちょっと、その前で

いったりきたりして躊躇しますが。

結構ありがとうといってくださいます。

人の命は大切ですから。自分だけの

安心ではありますが、それでもしな

いよりは、、といいきかせてます。

昔は、貧乏OLでお給料日に、駅前の

おばあちゃんの物乞いの人に、ミスド

のパックをそっとおいていってました

ただ単に自分が好きなものだった、笑

自分も家の借金で、みにつまされたのです。

人生って、いつころぶかわからない。。

その通りです!みんな、マリオブラザース!

言葉の掛け合いだけでも、幸せになれる

結果ではない、原因をみつめていくと

まなぶことはたくさんある気がします。

結果的に、人が財産なのに。金は金でし

かない。たるをしれば、できることが

ある、ソウ信じていきていきたいです。

ねこやいぬをかっているホームレスの

ひとをみるたび、私はみょうに人の心

をおもうのです。この人の心のほうが

豊かなのではないかと。私も頑張ります。
Unknown (ぱぶろ)
2006-01-27 13:30:38
私も千駄ヶ谷に住んでいますが、仙寿院のトンネルにおられるホームレスの方には、なにもすることができない心境からトンネルを通るたびに胸が痛み、今は、トンネルを避け、遠回りするようになってしまいました。千駄ヶ谷には、たくさんホームレスの方がいますよね。目を伏せて歩くしかできないのですが、1年前の冬、とても寒い中、女性のホームレスがひとり、病気なのかがくがくと尋常ではない震え方をして外苑西通りのビルの前に座っていました。声をかけたものの何の反応もなく、その時は、とっさに強い心配にかられ、家に走って帰り、使用していない厚手のコートとりんごや水などの食料を袋につめてから、その人のもとに急ぎました。しかし、その人は、もうその場にいませんでした。あたりを見渡しても人気なく、その後どうされたのか今でも気がかりです。
追記 (Yacco)
2006-01-30 17:33:44
ホームレスのことを書くのにはちょっと勇気が要ったけど、いろいろ反響がありますね。

テレビでマイナス30度の北海道のホームレスのかたを取材してました。3日間、水だけで、眠ったら死んでしまう環境でした。

友人たちから、私のほうに個人的メールもいろいろ来て、そのなかに、ミュージシャンのツアーでたまる洗面セットや歯磨きセットを、東京に戻ってきたときに、代々木公園の彼らの近くの木の枝に結んでおく、というヘアメイクの方もいました。
Unknown (ぱぶろ)
2006-01-30 22:21:00
再投稿申し訳ありません。思い出したことがあったので。1年ほど前に、千駄ヶ谷駅で切符を買おうとしていたら、人懐こい笑顔のホームレスの方が近寄り「高尾山のほうまで行くから、交通費をくれないか」と声をかけられました。その時は、考えた上で1,000円を渡したのですが、おもしろいことに、数ヵ月後、同じおじさんが、別の若い男性に同じように声をかけているところに遭遇しました。私から、「おじさんこの間も、同じこと言っていたよね」と横からつっこみをいれたところ、その若い男性は、にこにこしながら「おじさんそれじゃ駄目じゃない。あげることはできないよ」と返し、困った顔のおじさんとやりとりしていました。物品や金銭のやりとりこそなかったものの、あたたかく大切な会話のやりとりだったと思います。
紙一重 (one-seg)
2006-09-08 01:23:29
あげる側ともらう側、本当に紙一重な気がします。外国に行くと、生まれながら貧しい世界の中で生きることを運命付けられているようなホームレスによく出会いますが、日本では、昨日まではあげる側だった人がいつの間にかもらう側に・・・というパターンをよく聞きます。上げる側にいられる現状に感謝しながら行動する。すばらしいことだと思います。