高橋靖子の「千駄ヶ谷スタイリスト日記」

高橋靖子の「千駄ヶ谷スタイリスト日記」

12月22日 リンゴの音

2004-12-28 | Weblog
朝起きてキッチンでリンゴをむく。皮をむく音、六つに切りわける音、口のなかで砕けてゆく音、私の動作から発する微かな、普段は聴こうともしない音が、僅かに空気を震わせて私にまとわりつき、消えてゆく。その音の通過が朝の静けさを私に伝える。
昔ピンク・フロイドを聴いていた頃そんな曲があった。フライパンに卵を落とす音、コーヒーを注ぐ音、目覚めた人のささやきあるいは独り言もはいっていたような気がする。
今日のリンゴの音はそれよりもっとひそやかな、一日の始まりの音。

ガラス戸越しに外を眺める。枯れかけの時計草のつるが、斜めになってしまった細い竹の棒にしがみついている。花屋には冬ながらきれいな花が咲いた植木鉢がある。でも買うのはまたの季節が来てからにしよう。
私の人生の朝という時間に横たわっているこの静けさは、一体なんなのだろう。。

私はたくさん読み、たくさんしゃべり、たくさん出かけ、たくさん働く。一人ですること、皆とすることで一日はいっぱいだ。
そんなふうに忙しい毎日の暮らしをしていても、私の心の中には今でも過ぎ去った時が流れている。
消すことが出来ない時間を反芻し咀嚼する記憶の帯が、たとえかすかであろうとも必ず存在している。
五木寛之の「運命の足音」を読んで、はっと思い当たったことがある。その中には母の惨く淋しい死を目撃してから、57年間、どんなに楽しく興奮した瞬間でも、母の死の状況を忘れたことがなかったと書かれていた。
記憶はスイッチオン・スイッチオフで思い出したり、忘れたりするものばかりではない。

午後。私は、喧騒に満ちたレッスン場にいる。60人のダンサー達が10人単位で、各パートのレッスンを繰り返す。打楽器を使い、ラップのリズムを刻みながら、日常的なシーンで非日常的な動作を展開するコマーシャルのリハーサルだ。
私は休憩のダンサーをつかまえてさまざまなチェックをする。いつも着ているもの、手持ちのスーツ、アーチストっぽい印象的な服はあるかどうか。ほとんどの場合、個人が今回求める映像に合うものを持っていないのはわかっている。でも、大雑把に把握しながら、イメージを追いかけてみる。
そして私は、街を歩く。頭の中は、近い将来テレビから何千回、何万回と流れるであろうリズムでいっぱいだ。飽和状態のリズムは撮影が終わるまで私の頭の中でつづく。
私は60人分の衣装をそろえるために街を駆け
めぐる。下町の和装問屋から代官山や青山などのあらゆるファッションビル、新宿のデパート、撮影衣装のリースやから各ブランドのプレスまで。
最後には閉店ぎりぎりの街を、ダメ押しのように、ほとんど夢遊病者のように、歩く。
「何処かに何かもっといいものがあるかもしれない」
という通常の生活では人よりも何倍か濃すぎる私の指向、欲張りさ加減が、この仕事では役立つようだ。
街角で私は思う。あの角を曲がると、ポロッと新しいものが見つかるかもしれない、素晴らしいものにめぐり合えるかもしれない、と。

撮影は2日間朝から夜中まで巨大な(巨大に見える)セットで行われた。スタジオには人があふれ、それぞれの持ち場で必死に動いている。
撮影が佳境となり、埃、煙、人いきれでパンクしそうだ。私はハイな気分と睡魔の間を行き来しながら、この状況を楽しんでいる。
この騒がしさ、この膨張、この創造性、それらは私の人生にとってなくてはならないものだ。足りなくなった酸素を吸うために外に出ると早朝の風景は飛び去り、もう真夜中だった。
スタジオという箱の中で特殊な時間を過ごしている間に、地球はきちんと自転していたのだ。

喧騒の中から、私は自分ひとりの領地に戻る。
心のなかで鳴っていたラップのリズムがおさまるころ、私はリンゴをむく。
これは私が求めた生活なのだろうか。疲れていつもより気弱になっている私は自問し、確認する。自ら積極的に求めたわけではないが、ぎりぎりの選択の中で、私は確かにもう一回新しく生きなおすことを選んだのだ。「私はここにいます」と自分自身に言い切った一瞬があったのだ。
確かに、ひとりで眺める空は、以前よりも濃い青さだ。陽射しはより明るく、夕暮れ時はより消し炭色をしている。
街が発する低い都市音、遠い電車の音、近くの自転車のブレーキの音、気がつくと遠く近くに生活の音がある。
それらの音が私ひとりの空間により静けさをつくり、その静けさのなかで、私は口の中で砕けるリンゴの音を聴いている。

12月21日 大吉の一日

2004-12-25 | Weblog
朝、鳩森神社では若い女の子が深々と頭をさげて拝んだあと、 おみくじをひいていた。(受験かしら、恋かしら)
そのあと、おもわず私も引いてみた。千駄ヶ谷に引っ越してきて以来だから、10数年ぶりのことだ。 開けてみたら、大吉だった。
「心をかたくもって、一時の不運にあわてさわぎ思いまようてはいけません。本業をよくまもって静かにときのくるのをまちなさい。開運うたがいありません」大吉にしてはシブイお言葉がいい。
イチョウの大木は、おおかた落葉し、黄色い地面を神社のかたが掃き清めている。境内を住家とする猫はひだまりをゆっくり歩いている。

神社の斜め前の新しいドトールにいつのまにか通うようになって、ブレンドのホット・コーヒーSサイズとメイプル・ワッフルを頼む。ドドールのすりガラス越しに、潰れた喫茶店「白馬」のあとに開店したばかりのモダン食堂「東京厨房」を眺める。
あのちょっと古めかしかった「白馬」の雰囲気を残し、装いやメニューを昭和30年、 40年代にたとえたお弁当やさんだ。昼時は、ランチが食べられる店内は満席、テイクアウトの店先も、長蛇の列。
右から左に書かれた看板は、昭和中期というより、昭和初期か、大正っぽい。ま、カタイことは抜きにして、「おべんとう村」とは一線を画する匂いが売りなんでしょうね。
(土地の人しかわからない、独善的記述です)

夕方から、柳家花緑の「花緑ごのみ」へ。
花緑さん、「おぼっちゃまの部屋」ではピアノを弾き、歌も歌った。中入りのあいだも引っ込まず、ロビーや客席でウクレレを弾いて大サービス。最後の古典の「富久」では、若い体力と才能が爆発して、聴いているほうも火事場と火事場の間を駅伝のように走り回り、汗をかく。
小三治さんの無形文化財的な落語に夢中な私たけど、エナジーいっぱいのパーフォーマンスもすてき。 なーんて、そんなに落語にくわしいわけではないけど。

9時過ぎ、東京FMホールから、いっしょにいた元とらばーゆの仲間たちと、タクシーで青山のカフェ跡地へ。すっかり駐車場に戻った跡地を一周して「終わり」を確認しあい、オーガニック食堂「クー」でスチームドキャベツなどをいただく。

大吉の一日、実はちょっとつらいことも、文句なしに楽しいことも入り混じった いつもの一日だった。
あまじょっぱい一日を、かぐわしいゆず湯で流して、ふとんにはいった。

12月14日 透明なペンダント

2004-12-15 | Weblog
朝。
とりあえずの目覚めのあと、徐々に脳細胞がうごき出す。横たわっていた細胞が、ゆっくりと起き上がり、何かを待つ。
小さな片手鍋で2杯分のお湯を沸かし、マグカップにほうじ茶を注ぐ。ほうじ茶の香りのなかに、生姜と梅干をぶちこんで一口づつ味わう。2杯目を飲みおわる頃、細胞は立ち上がり、朝の透明な時間が朝日とともに輝きだす。この時間のなかにぽっこりとはいって過ごすのが好きだ。

幼い頃、近所に住んでいた夏井の伯母ちゃんがいつもそうだった。火鉢にかけられたやかんのお湯がなくなるまでゆっくりとお茶を飲む。小さな居間に小さな縁側がついていて、ガラス戸をあけておくと、通りがかりの近所のひとが一人暮らしの彼女に声をかけて通る。 なかには一時停車して、縁側に腰かけていっしょにお茶を飲みながら 世間話をする常連もいた。きっとあの時間が彼女の至福の時間だったのだ。
大人になって、私も同じ時を過ごしている、とある朝気づいた。そして、ここ10年ひとりになってからは、ますますこの時間を かみしめることが多くなった。

12月。
都会に住む私は、限られた時間のなかで精いっぱい消化しなければならないことが多い。
それで、この透明な時を消さないで、心の画面のどこかに縮小化する。そしてペンダントのように、一日中、ぶら下げて歩く。ときどき覗き込んで「まだ、だいじょうぶだね」と念をおす。
この透明なペンダントは「孤独感」というものかもしれない。それは私から決して離れない大切なヤツで、それをもっていることが不幸だとは限らない。でもこのペンダントも夜、家にたどり着く頃は、すっかり威力がなくなってしまう。それで、夜のこまごまとした行事のあと、ベッドに倒れこむ。透明な時間は「孤独感」であるとともに、私のなかの 「クリエティビティ」ということもできると思う。

昨夜、テレビで「冬季うつ病」のはなしをしていた。センセーショナルな番組で、無自覚のうちにこれに罹っている若い女性が、どんどん怖い状態になってゆくものだった。(タケシさんのあれですよ)冬は日照時間が短くなり、光が脳にとどくことが不足しがち。すると脳のなかのセロトニンという物質が不足して、脳の活動が落ちる。これが「冬季うつ病」だ。
これを直すための光療法があって、2時間ほど蛍光灯の光を受けるのだ、という。ホテルには、時差を調整するためにこの板のような機械がよく設置されている。私自身は海外ロケで時差の厳しいところに到着したら、即、現地のショッピングモールなどにとびだしてゆく。たいてい撮影のために現地で追加しなければならないものがあり、自然に現地の陽射しを浴びることになる。日常生活でも、それと同じだな、と思う。
長年やってきた当たり前の生活、朝おてんとうさまをおがんで、お茶を飲み、洗濯して、布団を乾す。
さまざまな日常の雑事を抱え(引き寄せ)ている私の生活、「冬季うつ病」や「初老性うつ病」をいつのまにか遠ざけていたかもしれない。雑事って大事なのだ。

12月5日 カフェスローの日曜日

2004-12-09 | Weblog
明け方、ココ(犬)に起こされ、嵐の中を大家さんの庭に行く。ガーデンチェアばかりか、脚立や植木鉢まで庭じゅうにばら撒かれたようにぶっ飛んでいて、おそろしい風景だった。
5時ごろに雨は止み風だけになったが,近所の高い木々が風に吹かれて左右にしなっている。まさか倒れたりはしないだろうが、、、あとで、風速40メートルを越したと聞き、驚いた)
9時ごろには良いお天気になり、留守宅(大家さん不在)の庭をざっと直しておく。外苑の銀杏並木の金色の葉っぱたちも吹き飛ばされてしまった かもしれない。

八王子に住んでいる友達の一美さんと連絡を取り合って、 国分寺で待ち合わせ、カフェスローに。
ここは、辻信一さんと本橋成一さんのトークがあったとき、 来たことがある。きょうは、波多野ユリカさんという方の個展にやってきた。

まず、その顛末。
10月から「千駄ヶ谷スタイリスト日記」がホットワイアードで始まって一ヶ月半ぐらいのとき、生まれて初めて「高橋靖子」と検索してみた。(ホント、数週間まえのこと)
そこには4300件ぐらいの高橋靖子があり、「千駄ヶ谷スタイリスト日記」が何故かいちばん最初にあった。
ずっとみてゆくと、「3冊の好きな本」として、キョンキョン、よしもとばななさんの本といっしょに、私が30年前に書いた「表参道のアリスより」(今は絶版)を選んでくれている人がいるのを知った。
その方は少女の頃、田舎の本屋さんで、すうっと吸い寄せられるようにして買った、と書いていた。
そう、私も子供の頃、田舎の本屋さんで「薔薇は生きてる」(山川弥千枝)、「光ほのかに アンネの日記」(アンネ・フランク)に吸い寄せられるように出会った。この2冊の本は、50年間私の手元にある。
それと同じように、大昔の私のものを想ってくれる人がいるなんて、ありがたくもあり、名誉なことだと思うと同時に、ネットというものの不思議さも実感した。そういうことがあって、その方の個展に出かけたわけ。

波多野さんの絵は、少女アリスと、猫の絵が多かった。「金子国義さんが好きで、アリスの顔が似てしまう。はやく自分自身のアリスの顔が描けるようになりたい」とのことだった。
私と一美さんは、1階のカフェと2階の会場を往復した。1階でお昼ご飯を食べ、2階で、お茶を飲んだ。
近隣大学のOB、OG有志のこじんまりしたコンサートが始まり、テレマン、 バッハ、、、と心地よくつづく。
まさしく、スローでゆたかな午後だった。

帰り道、町の真上にかぶさるように雲がもくもくとわいていた。まるで巨大なソフトクリームが、空の隙間から商店街を帽子のように、あるいは傘のように覆っている。
雲はいやに夏っぽい。(積雲と呼ぶ夏の雲だということを、後でテレビを見て知った)
電車に乗れば、もっと不思議な感じに見えるだろうと思ったが、車窓から見る夏雲は、空の下に普通の顔をして浮かんでいた。

12月2日 ひとりごはん

2004-12-04 | Weblog
撮影がある朝だったが、白菜のスープをつくって、大量に食べた。
椎茸と昆布、ジャコ、鰹節で撮った和風だし汁(いつも作っておく)に市販の鴨のスープ一袋をざーっと注ぐ。そこに白菜半分ザクザク切っていれ、春雨も適当な長さに切って入れる。コトコト煮てから、紀伊国屋スーパーに売っている冷凍の鴨のつくねを自然解凍して、ちぎって入れる。味は塩、胡椒で。
実はこのスープの原型は栗原はるみさんのお宅でごちそうになった。つくねは、栗原家では直径1.5センチほどのかわいいお団子状にして、片栗粉をまぶしてスープに入れるんだった。
このスープが我が家で再現されるたびに、シンプル化、乱暴化してゆく。でもおいしいの。
スープを身体に滲みこませて外に出かける。

撮影が午後早めに終わって、夕方からギャラリー365で、ヒロ杉山さんの個展のオープニング。記者の中島みゆきさん、杉山さんのつぎにここで個展をする佐佐木さんたちと会う。

そのあと、ひとりでお隣のアンデルセンの地下へ。
新装成ったアンデルセンの地下は、白木の大きなテーブル、茶にころんだ赤い椅子がいい感じ。以前の地下も良かったけど、改装してから、より良くなった。この明るく広い地下は、ひとりごはんが似合う、希少な空間だ。
お客は女性が8人。そのうち6人が思い思いの席に座り、ひとりで食事。サンドイッチとコーヒー、スープとサラダのプレートなどをとっている。
残りの二人の女性は、向かい合ってお茶をとデザート。店内でしゃべっているのはこの二人だけ。
でも、ひとりの女性たちもさりげない明るい沈黙の世界。
私は、具だくさんの野菜スープ(400円)とチーズプレート(1000円)をとる。プレートには、緑の葉っぱと、パンと3種類のチーズが載っていて、ワインつき。このメニュー、今回より私のお気に入りとなった。これからもひとりごはんの定番になりそう。
2004年12月2日7時30分、表参道アンデルセン地下の考現学、というところ。

12月1日 羽田新ターミナル

2004-12-04 | Weblog
テレビや新聞のニュースが、今日から第二ターミナルがオープンしたと 伝えている。
新しいものが好きな私だから、ここでちょっと自慢してしまおう。 2週間前、大方出来上がっている新ターミナルで撮影をした。最終の仕上げや工事をしている方たちの邪魔にならないよう、オープン前に汚さないよう、そっとそっと行動して。
とはいっても、ターミナルという巨大な象の尻尾の先にちょっと触れたぐらいのことだったろうが。

そういえば、関西空港がオープンする前後にも、撮影したことがあった。完成前のときは、ジャネット・ジャクソンが颯爽と飛行機から降りて、 空港内を歩くというシーン。
もちろん、その姿は超かっこよかったけど、とりわけ彼女の耳には感心した。このコマーシャルは市川準さんが監督をしていた関西エリア用のもので、彼女は、日本の男性のもとに嫁ぎ、お姑さんに仕えるという設定。お手本の関西弁を一回聴くだけでほぼクリアして、よどみなく話す。
さすがミュージシャンの耳は違うとびっくりした。(その続きのコマーシャルは、多忙な彼女のスケジュールに合わせて、ワールドツアー中のベルリンで行われた。ベルリンのスタジオに、団地のベランダのセットが造られ、そこに布団を干し、布団たたきで叩いているのは、ほかならぬ新妻のジャネットだった。
こんな撮影のあとは、市川さんに連れられ、ゾロゾロと東ベルリンのライブハウスへ繰り出す。そのなかにはベルリン映画祭のスタッフが 何人かいて、彼らの市川さんへの尊敬の念がじわじわと伝わってくる夜でもあった。94年ごろのこと)

関空の完成直後の撮影では、私にとってスリリングな綱渡りがあった。別件の海外ロケから、撮影当日関空に帰国し、スーツケースを引きながら撮影現場に向かったのだ。
私は極端な方向音痴なので、制作という若いスタッフが私を待ち構えていてくれる。私は彼に導かれつつ、撮影のスポットに到着した。そこでは私のアシスタントがすべてをやってくれていて、撮影はもう始まっていた。宇宙的な建造物とも思える新しい空間のなかで、私は瞬く間にその場になじんでゆく、、、

と、こんなことを繰り返しながら、私のスタイリスト人生があるわけだけど、、、テレビを見ていると、ターミナルの中にあるホテルから直接チェックインするシステムがすごいな、と思う。
おいしいお弁当の映像にも単純にそそられる。きちんと動き出した新しいターミナルにに行くのはいつのことかわからないが、またなにか仕事のきっかけがあるかもしれない。

11月23日、24日 パルコ劇場で

2004-12-01 | Weblog
23日
撮影がちょっと続いたあとだったけど、待ったなし!の最終日に滑り込んでパルコ劇場で、長塚圭史演出の「ピローマン」を観る。
テーマは暗くてその上ながーい芝居。
私の人生、もうじゅうぶん暗いことも経験してるんだから、と思うのは早かった。ゆるく長かったけど、嫌いじゃない。それどころか、私は圭史君、えらいぞ!と感心しました。

先だって、売れっ子の、それまでは好きだった若いひとの演出の芝居に行ったけど、忙しすぎるなかでやっと創ったんだろうか、私にとっては何処が面白いのさーっていうものだった。 それでも何が何でも笑うぞ!というお客さんたちの笑いがすごい。白けて観ていると、ナアナア関係丸出しの雰囲気に思える。とてもじゃないけどついていけなくて、途中下車してしまった。忙しく笑うばかりがいい訳じゃない。
とはいえ、こればかりはスキズキだからえらそーなこと言うのはやめよう。
今回は「ピローマン」が好きでした。

24日
二夜続けてパルコへ。今夜は国本武春の浪曲。一晩限りだから、と信頼できる友人に薦められて。
このかた、知る人ぞ知るエンタティナーらしい。

私が子供の頃、夜ラジオから流れる娯楽は浪曲と落語だった。
父は夜の仕事をラジオを聴きながら黙々とやっていた。(父は写真屋で、修正という作業があった。鉛筆の芯を細く削って現在のフイルムにあたる乾板というものに映っている、白黒が逆転した人物像の都合が悪いところを直してしまうのだ。この技術によって、シワが消えたり、べっぴんさんになったする。上手な写真屋という評判は、この出来で決まった)
そんな思い出を持つ私。
今どき、廣澤虎蔵? 懐かしいねー、なんていえるの、私ぐらいじゃないの?

ステージは2部構成。まず浪曲。
朗々とした声と独特のリズム感にひっぱられてすごく楽しい。多分私の記憶の中にある虎蔵さんとは全然違う明るい浪曲だった。
2部は三味線ひとつで織り成す語りやら、ロックやR&Bやらと、無限に広がってゆく。これだけの可能性があるんだということは、楽しみながら納得した。今度はこのなかのどれに焦点を合わせたものが観られるのかしら。それは来年のお楽しみ。