朝起きてキッチンでリンゴをむく。皮をむく音、六つに切りわける音、口のなかで砕けてゆく音、私の動作から発する微かな、普段は聴こうともしない音が、僅かに空気を震わせて私にまとわりつき、消えてゆく。その音の通過が朝の静けさを私に伝える。
昔ピンク・フロイドを聴いていた頃そんな曲があった。フライパンに卵を落とす音、コーヒーを注ぐ音、目覚めた人のささやきあるいは独り言もはいっていたような気がする。
今日のリンゴの音はそれよりもっとひそやかな、一日の始まりの音。
ガラス戸越しに外を眺める。枯れかけの時計草のつるが、斜めになってしまった細い竹の棒にしがみついている。花屋には冬ながらきれいな花が咲いた植木鉢がある。でも買うのはまたの季節が来てからにしよう。
私の人生の朝という時間に横たわっているこの静けさは、一体なんなのだろう。。
私はたくさん読み、たくさんしゃべり、たくさん出かけ、たくさん働く。一人ですること、皆とすることで一日はいっぱいだ。
そんなふうに忙しい毎日の暮らしをしていても、私の心の中には今でも過ぎ去った時が流れている。
消すことが出来ない時間を反芻し咀嚼する記憶の帯が、たとえかすかであろうとも必ず存在している。
五木寛之の「運命の足音」を読んで、はっと思い当たったことがある。その中には母の惨く淋しい死を目撃してから、57年間、どんなに楽しく興奮した瞬間でも、母の死の状況を忘れたことがなかったと書かれていた。
記憶はスイッチオン・スイッチオフで思い出したり、忘れたりするものばかりではない。
午後。私は、喧騒に満ちたレッスン場にいる。60人のダンサー達が10人単位で、各パートのレッスンを繰り返す。打楽器を使い、ラップのリズムを刻みながら、日常的なシーンで非日常的な動作を展開するコマーシャルのリハーサルだ。
私は休憩のダンサーをつかまえてさまざまなチェックをする。いつも着ているもの、手持ちのスーツ、アーチストっぽい印象的な服はあるかどうか。ほとんどの場合、個人が今回求める映像に合うものを持っていないのはわかっている。でも、大雑把に把握しながら、イメージを追いかけてみる。
そして私は、街を歩く。頭の中は、近い将来テレビから何千回、何万回と流れるであろうリズムでいっぱいだ。飽和状態のリズムは撮影が終わるまで私の頭の中でつづく。
私は60人分の衣装をそろえるために街を駆け
めぐる。下町の和装問屋から代官山や青山などのあらゆるファッションビル、新宿のデパート、撮影衣装のリースやから各ブランドのプレスまで。
最後には閉店ぎりぎりの街を、ダメ押しのように、ほとんど夢遊病者のように、歩く。
「何処かに何かもっといいものがあるかもしれない」
という通常の生活では人よりも何倍か濃すぎる私の指向、欲張りさ加減が、この仕事では役立つようだ。
街角で私は思う。あの角を曲がると、ポロッと新しいものが見つかるかもしれない、素晴らしいものにめぐり合えるかもしれない、と。
撮影は2日間朝から夜中まで巨大な(巨大に見える)セットで行われた。スタジオには人があふれ、それぞれの持ち場で必死に動いている。
撮影が佳境となり、埃、煙、人いきれでパンクしそうだ。私はハイな気分と睡魔の間を行き来しながら、この状況を楽しんでいる。
この騒がしさ、この膨張、この創造性、それらは私の人生にとってなくてはならないものだ。足りなくなった酸素を吸うために外に出ると早朝の風景は飛び去り、もう真夜中だった。
スタジオという箱の中で特殊な時間を過ごしている間に、地球はきちんと自転していたのだ。
喧騒の中から、私は自分ひとりの領地に戻る。
心のなかで鳴っていたラップのリズムがおさまるころ、私はリンゴをむく。
これは私が求めた生活なのだろうか。疲れていつもより気弱になっている私は自問し、確認する。自ら積極的に求めたわけではないが、ぎりぎりの選択の中で、私は確かにもう一回新しく生きなおすことを選んだのだ。「私はここにいます」と自分自身に言い切った一瞬があったのだ。
確かに、ひとりで眺める空は、以前よりも濃い青さだ。陽射しはより明るく、夕暮れ時はより消し炭色をしている。
街が発する低い都市音、遠い電車の音、近くの自転車のブレーキの音、気がつくと遠く近くに生活の音がある。
それらの音が私ひとりの空間により静けさをつくり、その静けさのなかで、私は口の中で砕けるリンゴの音を聴いている。
昔ピンク・フロイドを聴いていた頃そんな曲があった。フライパンに卵を落とす音、コーヒーを注ぐ音、目覚めた人のささやきあるいは独り言もはいっていたような気がする。
今日のリンゴの音はそれよりもっとひそやかな、一日の始まりの音。
ガラス戸越しに外を眺める。枯れかけの時計草のつるが、斜めになってしまった細い竹の棒にしがみついている。花屋には冬ながらきれいな花が咲いた植木鉢がある。でも買うのはまたの季節が来てからにしよう。
私の人生の朝という時間に横たわっているこの静けさは、一体なんなのだろう。。
私はたくさん読み、たくさんしゃべり、たくさん出かけ、たくさん働く。一人ですること、皆とすることで一日はいっぱいだ。
そんなふうに忙しい毎日の暮らしをしていても、私の心の中には今でも過ぎ去った時が流れている。
消すことが出来ない時間を反芻し咀嚼する記憶の帯が、たとえかすかであろうとも必ず存在している。
五木寛之の「運命の足音」を読んで、はっと思い当たったことがある。その中には母の惨く淋しい死を目撃してから、57年間、どんなに楽しく興奮した瞬間でも、母の死の状況を忘れたことがなかったと書かれていた。
記憶はスイッチオン・スイッチオフで思い出したり、忘れたりするものばかりではない。
午後。私は、喧騒に満ちたレッスン場にいる。60人のダンサー達が10人単位で、各パートのレッスンを繰り返す。打楽器を使い、ラップのリズムを刻みながら、日常的なシーンで非日常的な動作を展開するコマーシャルのリハーサルだ。
私は休憩のダンサーをつかまえてさまざまなチェックをする。いつも着ているもの、手持ちのスーツ、アーチストっぽい印象的な服はあるかどうか。ほとんどの場合、個人が今回求める映像に合うものを持っていないのはわかっている。でも、大雑把に把握しながら、イメージを追いかけてみる。
そして私は、街を歩く。頭の中は、近い将来テレビから何千回、何万回と流れるであろうリズムでいっぱいだ。飽和状態のリズムは撮影が終わるまで私の頭の中でつづく。
私は60人分の衣装をそろえるために街を駆け
めぐる。下町の和装問屋から代官山や青山などのあらゆるファッションビル、新宿のデパート、撮影衣装のリースやから各ブランドのプレスまで。
最後には閉店ぎりぎりの街を、ダメ押しのように、ほとんど夢遊病者のように、歩く。
「何処かに何かもっといいものがあるかもしれない」
という通常の生活では人よりも何倍か濃すぎる私の指向、欲張りさ加減が、この仕事では役立つようだ。
街角で私は思う。あの角を曲がると、ポロッと新しいものが見つかるかもしれない、素晴らしいものにめぐり合えるかもしれない、と。
撮影は2日間朝から夜中まで巨大な(巨大に見える)セットで行われた。スタジオには人があふれ、それぞれの持ち場で必死に動いている。
撮影が佳境となり、埃、煙、人いきれでパンクしそうだ。私はハイな気分と睡魔の間を行き来しながら、この状況を楽しんでいる。
この騒がしさ、この膨張、この創造性、それらは私の人生にとってなくてはならないものだ。足りなくなった酸素を吸うために外に出ると早朝の風景は飛び去り、もう真夜中だった。
スタジオという箱の中で特殊な時間を過ごしている間に、地球はきちんと自転していたのだ。
喧騒の中から、私は自分ひとりの領地に戻る。
心のなかで鳴っていたラップのリズムがおさまるころ、私はリンゴをむく。
これは私が求めた生活なのだろうか。疲れていつもより気弱になっている私は自問し、確認する。自ら積極的に求めたわけではないが、ぎりぎりの選択の中で、私は確かにもう一回新しく生きなおすことを選んだのだ。「私はここにいます」と自分自身に言い切った一瞬があったのだ。
確かに、ひとりで眺める空は、以前よりも濃い青さだ。陽射しはより明るく、夕暮れ時はより消し炭色をしている。
街が発する低い都市音、遠い電車の音、近くの自転車のブレーキの音、気がつくと遠く近くに生活の音がある。
それらの音が私ひとりの空間により静けさをつくり、その静けさのなかで、私は口の中で砕けるリンゴの音を聴いている。