
ピンクドラゴンの山崎真行さんのことは、友人の森永博志さんの著書、「原宿ゴールドラッシュ(宝が埋まっている街)」にくわしい。でもでも、「私も!」とひと声あげて、私なりの山崎さんとの出来事をちょこっとだけ書かせていただこう。
新宿伊勢丹脇、今も郵便局があるビルのてっぺんに、「怪人二十面相」と言うロックショップがあった。
私のデイトの場所は朝から夕方までは原宿レオン、夜は二十面相ときまっていた。
ある日、私が高熱を出して寝ているとき、私のアパートに、二十面相のスタッフ全員がお見舞いに来てくれた。
当時の私の住まいは現在のビームス裏の「静雲アパート」(現存)。見舞いの帰り、明治通りの、まさしくビームスあたりに、貸し店舗のビラをみた山崎さんは、即決でそのスペースを確保した。ここにあっという間にロックショップ「キングコング」が出現し、その後、彼は新宿から原宿へと拠点を移すことになる。(私の高熱がきっかけとは、私だけの思い込みだろうか)
ガレッジパラダイス(遊歩道)、シンガポールナイト(青山トンネル)、クリームソーダ(宮下公園)とつづき、ついにピンクドラゴンというビルに結晶する。山崎さんは、その頃まだブティックなどがポツポツとしかなかった原宿の外れといってもいい渋谷に近いところにピンクドラゴンを建てた。「きっとこの辺はすごく賑やかになるよ」といい、数年後にはそのとおりになった。そのピンクドラゴンの屋上には、山崎さん専用のロフトと、プールがあった。ある日、ひょうたん型のプールに私の息子と姪をつれていった。幼いふたりが遊んでいる姿を近所のマンションの窓から眺めていた男の子がいたらしい。ある日、その子は浮き袋を持参して「僕にも泳がせて」といってきたそうだ。山崎さんのビルにプールがあったことは、今にしてみれば、原宿ラフォーレが教会だった、というぐらいのニュースじゃないかと思う。いつか、膨大な息子の成長記録スナップの中から証拠写真をみつけだすつもりだ。
キングコングが出来た頃、山崎さんはロンドンから来たモデルのビビアンにあこがれていた。(ビビアンは日英のハーフで、資生堂などのコマーシャルで活躍していた)カメラマンの鋤田さんは山崎さんにビビアンのポートレイトをプレゼントし、彼はそれを店に飾っていた。ある夜、多分私がビビアンをキングコングにつれて行き、そこで山崎さんの世紀の恋は成就したのだった。
写真(撮影・山崎陽一) 原宿・クリームソーダにて。左が山崎真行さん。私、女王さまみたいで恐縮だけど、たしか「アンアン」の取材で、みんなは「この場ではヤッコを引き立ててあげよう」と思ってくれたのだと思う。この頃、山崎さんは、これ以外にも、彼のことがアンアンに4ページぐらい特集されて、「念願のアンアンにでられた」と言っていた。
新宿伊勢丹脇、今も郵便局があるビルのてっぺんに、「怪人二十面相」と言うロックショップがあった。
私のデイトの場所は朝から夕方までは原宿レオン、夜は二十面相ときまっていた。
ある日、私が高熱を出して寝ているとき、私のアパートに、二十面相のスタッフ全員がお見舞いに来てくれた。
当時の私の住まいは現在のビームス裏の「静雲アパート」(現存)。見舞いの帰り、明治通りの、まさしくビームスあたりに、貸し店舗のビラをみた山崎さんは、即決でそのスペースを確保した。ここにあっという間にロックショップ「キングコング」が出現し、その後、彼は新宿から原宿へと拠点を移すことになる。(私の高熱がきっかけとは、私だけの思い込みだろうか)
ガレッジパラダイス(遊歩道)、シンガポールナイト(青山トンネル)、クリームソーダ(宮下公園)とつづき、ついにピンクドラゴンというビルに結晶する。山崎さんは、その頃まだブティックなどがポツポツとしかなかった原宿の外れといってもいい渋谷に近いところにピンクドラゴンを建てた。「きっとこの辺はすごく賑やかになるよ」といい、数年後にはそのとおりになった。そのピンクドラゴンの屋上には、山崎さん専用のロフトと、プールがあった。ある日、ひょうたん型のプールに私の息子と姪をつれていった。幼いふたりが遊んでいる姿を近所のマンションの窓から眺めていた男の子がいたらしい。ある日、その子は浮き袋を持参して「僕にも泳がせて」といってきたそうだ。山崎さんのビルにプールがあったことは、今にしてみれば、原宿ラフォーレが教会だった、というぐらいのニュースじゃないかと思う。いつか、膨大な息子の成長記録スナップの中から証拠写真をみつけだすつもりだ。
キングコングが出来た頃、山崎さんはロンドンから来たモデルのビビアンにあこがれていた。(ビビアンは日英のハーフで、資生堂などのコマーシャルで活躍していた)カメラマンの鋤田さんは山崎さんにビビアンのポートレイトをプレゼントし、彼はそれを店に飾っていた。ある夜、多分私がビビアンをキングコングにつれて行き、そこで山崎さんの世紀の恋は成就したのだった。
写真(撮影・山崎陽一) 原宿・クリームソーダにて。左が山崎真行さん。私、女王さまみたいで恐縮だけど、たしか「アンアン」の取材で、みんなは「この場ではヤッコを引き立ててあげよう」と思ってくれたのだと思う。この頃、山崎さんは、これ以外にも、彼のことがアンアンに4ページぐらい特集されて、「念願のアンアンにでられた」と言っていた。
マドンナになって写っていますね
朝から晩までというのも凄いですね、
仲間がいて、ディスカッションがあって
何かが生まれて連鎖していく、、
ブラボーな街だったのですね。
ペントハウスにプール、すごいなあ、、
おしゃれな方なんですね。山崎さん。
風邪をひいたら、みんなで来るところが
暖かいお友達の交流を感じます。
存在感。秋川リサさんもモデルされてた
のはこの頃だったのかな。
また 素敵な フログ拝見にきます!!