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親父のグチ

人の言葉

2012-07-23 | アナログ親父の独り言
”手を貸す”という言葉がある。
これは、実に微妙な行為である。

困って、どうしようもない時。
人は助けを求める。
溺れている時に、何か掴める物を探す。
腹が痛いときに、薬を求める。
手助けしてくれる人物を探す。
そして、その温かい手が見えたときには、喜こび感謝する。

しかし、その方向性が違っていた時には、”お節介”と言うものに替わる。
手助けしているのだろうが、トンチンカン。
助けを求めてもいないのに、余計な”手”や”口”が出てくる。
これは、厄介である。
断るのも失礼だし、その様な事で困っている訳でもないので、もっと先にやりたい事がある。

この時。
注意しないと、人は目標を見誤る。
己の信念と、別の方向に行く危険性がある。
そして、自分が自分で無くなる。
こうなったら、最悪の結果が待っている。
人間が未熟な俺など、ショッチュウである。
しかし、再生能力が働いてくれて、短時間で脱出しているのが救いである。

人は、様々な人の言葉の中で生きている。
助言。
忠告。
励まし。
感謝。

しかし、生きていくのは自分自身である。
自分の為に生きていく。
自分の大切な者たちを守る為に生きていく。
家族、友達。
大切な者は一杯いる。
だから人の言葉に、振り回されてはダメなのである。
振り回されない、”信念”と”強さ”が必要なのである。
何が正解で大切な言葉なのかを見極める力が必要なのである。

誰かが言っていた。
『人の言葉が耳を通り過ぎた時、人は自分を取り戻す。』
と。