<おしらせ>9月6日(火)旭川市公会堂にて、加藤登紀子さんのコンサートがFMりべーるの主催で行われます。会場6時、開演6時30分です。 詳しくはFMりべーるまで。電話 0166-27-1171。
先日、お客様との会話で、仕事の適正について話した。
お客様曰く。
「今の仕事は、俺にむいてない。」
「え? 誰かに言われたのですか?」
「いや。自分でそう思う。」
いかがですか?
俺は思うんです。
「むいてる」「むいてない」は他人が評価すること。
「好き」「嫌い」なら、判るんですよ、自分で。
しかし、「向き」「不向き」は自分で決めることではないのです。
それは、仕事の”壁”にぶつかり、努力を諦めた瞬間に訪れる「言い訳」なのです。
自分がその仕事に「向いている」から、はじめたのですか?
糧を作るため。
さらには、好きだから、興味があったから、その職業を選んだはずです。
その職業に従事し、努力し、試行錯誤を重ね、熟練される。
これが、流れです。
10年、20年続けて、初めて「向いてるね」「お前は向いてないんじゃないか」と評価されるものでは、ないでしょうか。
己が努力をせずに、「適正」を言い訳にされては、「仕事」が可愛そうです。
例えば、俺。
本質的には短気。
本質的には休みが好き。
早起きは嫌い。
着る物には拘らない。
こんな性格の男が、寿司屋という職業を楽しんでるんです。
仕事が好きだから、我慢もするし、年中無休で店をやるし、仕込みのために早起きするし、清潔感のある物を身につけるんです。
勿論、”10”の事があったら、そのうちの”9”までが苦しみと言っていいでしょう。
しかし、残りの”1”の楽しみがあるから、仕事が好きなのです。
昔、上司の方に言われた事があります。
「ひとつの事を完璧に出来るやつは、何をやらしても出来る」
裏を返せば、「ひとつの事も中途半端にするやつは、何もできない」ということです。
しかし、「これで失敗したけど、これでは成功した」と言う事例は一杯あります。
それは、仕事が変わったからではなく、「自分自身」が変わったのです。
だから、その反対もある。
ヘッドハンティングされたのに、実績を残せなかった。
適正を考える前に、自分は真剣に努力をしたのかを、今一度考えてみてください。
やり残してることはないのでしょうか?
真剣に実績アップのために、努力したのでしょうか?
解っていただけたでしょうか。
先日、お客様との会話で、仕事の適正について話した。
お客様曰く。
「今の仕事は、俺にむいてない。」
「え? 誰かに言われたのですか?」
「いや。自分でそう思う。」
いかがですか?
俺は思うんです。
「むいてる」「むいてない」は他人が評価すること。
「好き」「嫌い」なら、判るんですよ、自分で。
しかし、「向き」「不向き」は自分で決めることではないのです。
それは、仕事の”壁”にぶつかり、努力を諦めた瞬間に訪れる「言い訳」なのです。
自分がその仕事に「向いている」から、はじめたのですか?
糧を作るため。
さらには、好きだから、興味があったから、その職業を選んだはずです。
その職業に従事し、努力し、試行錯誤を重ね、熟練される。
これが、流れです。
10年、20年続けて、初めて「向いてるね」「お前は向いてないんじゃないか」と評価されるものでは、ないでしょうか。
己が努力をせずに、「適正」を言い訳にされては、「仕事」が可愛そうです。
例えば、俺。
本質的には短気。
本質的には休みが好き。
早起きは嫌い。
着る物には拘らない。
こんな性格の男が、寿司屋という職業を楽しんでるんです。
仕事が好きだから、我慢もするし、年中無休で店をやるし、仕込みのために早起きするし、清潔感のある物を身につけるんです。
勿論、”10”の事があったら、そのうちの”9”までが苦しみと言っていいでしょう。
しかし、残りの”1”の楽しみがあるから、仕事が好きなのです。
昔、上司の方に言われた事があります。
「ひとつの事を完璧に出来るやつは、何をやらしても出来る」
裏を返せば、「ひとつの事も中途半端にするやつは、何もできない」ということです。
しかし、「これで失敗したけど、これでは成功した」と言う事例は一杯あります。
それは、仕事が変わったからではなく、「自分自身」が変わったのです。
だから、その反対もある。
ヘッドハンティングされたのに、実績を残せなかった。
適正を考える前に、自分は真剣に努力をしたのかを、今一度考えてみてください。
やり残してることはないのでしょうか?
真剣に実績アップのために、努力したのでしょうか?
解っていただけたでしょうか。