今、嵯峨野観光鉄道トロッコ列車の人気が凄い!
我々保津川下りと同様に京都嵯峨亀岡の「保津峡観光」を盛り上げている
嵯峨野観光鉄道トロッコ列車。年間約100万人の乗車客を誇る観光列車だ。
昨年、トロッコ嵯峨駅横に併設し開業した「ジオラマ館」は今年、
新たにプラネタリウムを開設した。
リニューアルしたジオラマ館は連日、大勢の観光客でにぎわっている。
この嵯峨野観光列車が保津峡に姿を現したのは、平成3年とまだ20年弱。
このルートはかつてのJR山陰本線の一部だった。
単線ディーゼル列車という不便さから平成元年に廃線になった路線だ。
有効活用の視点から観光列車として復活はされたが、当初はまったく
期待はされておらず「まあ、3年くらいやってみて、ダメだったら廃線にしよう」
くらいの感じではじめられた事業だった。
そこにはたった8人の社員がJRから出向され、親会社から与えられたのは
「切符売り場の小屋」と「屋根なしホーム」そして現役を引退したディーゼル列車一台のみ。
この最低限の設備投資を見てもまったく期待されていないことが明らかにわかる。
廃線の線路は雑木や竹、草が生い茂り、眼下の保津川などまったく見えない。
「美しい保津川の展望」など何処にもなかった。
専門業者など雇う予算など全くなかった。
社員たちは毎日、総出で腐った枕木や沿線に散乱するゴミを回収し、
雑木や竹を刈り取る作業に精を出した。
車庫も社屋もすべて手作りだった。
そして迎えた開業の日、平成3年4月27日、列車は終日、満員御礼!
初年度は計画の3倍に当たる68万人を計上した。
それでも周りは「いっときのブームだろう~」「3年見ないとなんとも・・」
などと、トロッコの人気継続には懐疑的な目を向けていた。
そんな危機感は当然、社員にもわかっていた。
でも、大事なのは周りの評価ではない。
お越し頂いたお客様にどう喜んでいただくかそれが大事だ!
まさに‘おもてなしの心’!
その年から社長自ら駅務の合間を縫って、嵯峨から亀岡間の保津峡沿線に
桜やモミジの木を植樹した。社員たちも力を合わせ景観美の創造に汗を流した。
なんとその数7000本。
四季折々の美しい渓谷美をご覧になって頂き、幸せな気分に浸ってもらう列車の旅。
その心が観光客に伝わっているかは、現在、トロッコ列車に毎年平均100万人
が訪れるお客様と不動の人気スポットになっていることが証明している。
トロッコ列車事業の成功を評価され、JR本社の取締役となった
現社長の長谷川氏は、その栄転のポストを捨ててトロッコ列車に
戻ってきた。
創業当時に苦労を共にした社員たちと生涯仕事がしたい!
その思い入れの強さがわかるエピソードだ。
そして今、トロッコ列車はさらにお客さまへのおもてなしの心を進化
させている。
鉄道の新しい魅力を伝えたいと、駅舎の隣に19世紀ホールを建設
D51蒸気機関車の展示や鉄道ファンを魅了するオリジナルグッズ、
そしてカフェなどなど・・・
昨年は日本有数の規模を誇るジオラマ館の建設、そして今年は続いて
そのジオラマ館の上空をプラネタリウムの☆の光で飾った。
常に新規の設備投資を投入し、訪れる人を楽しませる仕掛けを忘れない。
また、社員によるマジックショーや歌のイベントなども手作りで行い
お客様と一体感のある催し企画が好評を博している。
恐るべき嵯峨野観光トロッコ列車!
これだけ徹底したおもてなしの心、サービス精神はどこからくるのか?
私は、創業時の精神が今も息づいていることが大きいと思っている。
苦労を共にし、夢に向かって歩んできた心が、その精神を生み出し、
企業精神として根付き息づく、とどまることがない躍進の原動力になっている。
我々、保津川下りが学ぶべきところは多いと感じる。
そして我々も角倉了以という偉大な創業者を持つ企業なのだ。
了以は、16世紀に海外貿易と河川開削による舟運事業という公共事業の先見性、
さらには事業の合理性と計画性の高さ、そして何より冒険心と志に裏付けられた
意志の高さと強さ、スケールの大きさを有した稀代の企業経営者だった。
それだけではない。
東南アジアの貿易に際し「人を捐(す)てて己を益するに非ず」という「舟中規約」
まで残している。その中には
「他人に損失を与えて、自分の利益を得ようとしない」という角倉家の
商道徳を掲げるという近代企業モラルの原型ともいえる精神が息づいている。
了以の持っていたこれらの精神を今、我々の企業に甦らすことで、
保津川下りもきっと未来永劫、隆盛を得ることができるはずだ。
組合員一同の奮起を期待したい!
我々保津川下りと同様に京都嵯峨亀岡の「保津峡観光」を盛り上げている
嵯峨野観光鉄道トロッコ列車。年間約100万人の乗車客を誇る観光列車だ。
昨年、トロッコ嵯峨駅横に併設し開業した「ジオラマ館」は今年、
新たにプラネタリウムを開設した。
リニューアルしたジオラマ館は連日、大勢の観光客でにぎわっている。
この嵯峨野観光列車が保津峡に姿を現したのは、平成3年とまだ20年弱。
このルートはかつてのJR山陰本線の一部だった。
単線ディーゼル列車という不便さから平成元年に廃線になった路線だ。
有効活用の視点から観光列車として復活はされたが、当初はまったく
期待はされておらず「まあ、3年くらいやってみて、ダメだったら廃線にしよう」
くらいの感じではじめられた事業だった。
そこにはたった8人の社員がJRから出向され、親会社から与えられたのは
「切符売り場の小屋」と「屋根なしホーム」そして現役を引退したディーゼル列車一台のみ。
この最低限の設備投資を見てもまったく期待されていないことが明らかにわかる。
廃線の線路は雑木や竹、草が生い茂り、眼下の保津川などまったく見えない。
「美しい保津川の展望」など何処にもなかった。
専門業者など雇う予算など全くなかった。
社員たちは毎日、総出で腐った枕木や沿線に散乱するゴミを回収し、
雑木や竹を刈り取る作業に精を出した。
車庫も社屋もすべて手作りだった。
そして迎えた開業の日、平成3年4月27日、列車は終日、満員御礼!
初年度は計画の3倍に当たる68万人を計上した。
それでも周りは「いっときのブームだろう~」「3年見ないとなんとも・・」
などと、トロッコの人気継続には懐疑的な目を向けていた。
そんな危機感は当然、社員にもわかっていた。
でも、大事なのは周りの評価ではない。
お越し頂いたお客様にどう喜んでいただくかそれが大事だ!
まさに‘おもてなしの心’!
その年から社長自ら駅務の合間を縫って、嵯峨から亀岡間の保津峡沿線に
桜やモミジの木を植樹した。社員たちも力を合わせ景観美の創造に汗を流した。
なんとその数7000本。
四季折々の美しい渓谷美をご覧になって頂き、幸せな気分に浸ってもらう列車の旅。
その心が観光客に伝わっているかは、現在、トロッコ列車に毎年平均100万人
が訪れるお客様と不動の人気スポットになっていることが証明している。
トロッコ列車事業の成功を評価され、JR本社の取締役となった
現社長の長谷川氏は、その栄転のポストを捨ててトロッコ列車に
戻ってきた。
創業当時に苦労を共にした社員たちと生涯仕事がしたい!
その思い入れの強さがわかるエピソードだ。
そして今、トロッコ列車はさらにお客さまへのおもてなしの心を進化
させている。
鉄道の新しい魅力を伝えたいと、駅舎の隣に19世紀ホールを建設
D51蒸気機関車の展示や鉄道ファンを魅了するオリジナルグッズ、
そしてカフェなどなど・・・
昨年は日本有数の規模を誇るジオラマ館の建設、そして今年は続いて
そのジオラマ館の上空をプラネタリウムの☆の光で飾った。
常に新規の設備投資を投入し、訪れる人を楽しませる仕掛けを忘れない。
また、社員によるマジックショーや歌のイベントなども手作りで行い
お客様と一体感のある催し企画が好評を博している。
恐るべき嵯峨野観光トロッコ列車!
これだけ徹底したおもてなしの心、サービス精神はどこからくるのか?
私は、創業時の精神が今も息づいていることが大きいと思っている。
苦労を共にし、夢に向かって歩んできた心が、その精神を生み出し、
企業精神として根付き息づく、とどまることがない躍進の原動力になっている。
我々、保津川下りが学ぶべきところは多いと感じる。
そして我々も角倉了以という偉大な創業者を持つ企業なのだ。
了以は、16世紀に海外貿易と河川開削による舟運事業という公共事業の先見性、
さらには事業の合理性と計画性の高さ、そして何より冒険心と志に裏付けられた
意志の高さと強さ、スケールの大きさを有した稀代の企業経営者だった。
それだけではない。
東南アジアの貿易に際し「人を捐(す)てて己を益するに非ず」という「舟中規約」
まで残している。その中には
「他人に損失を与えて、自分の利益を得ようとしない」という角倉家の
商道徳を掲げるという近代企業モラルの原型ともいえる精神が息づいている。
了以の持っていたこれらの精神を今、我々の企業に甦らすことで、
保津川下りもきっと未来永劫、隆盛を得ることができるはずだ。
組合員一同の奮起を期待したい!
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