明日31日から8月1日にかけて京都の西の霊峰・愛宕山(924m)
では「愛宕千日参り」が行われます。
愛宕山は古代山岳信仰の霊山で、頂上にあたる朝日峯には、
今も「愛宕神社」が鎮座しています。
愛宕神社って地元にございませんか?
そうです、全国各地にある愛宕社の総本社として、
各地に約900か所もの分社を持つ神社最大手の
フランチャイズといといえる存在です。
京都では観光誌をはじめ誰もいいませんが、私はこの「お山」を
京都最大のパワースポットだと確信しております。
そのことについて京都大学で研究関心として取り組んでいるので
追々お話することにして・・・
千日詣りはこの愛宕神社総本社で行われるもので、主祭神で火神である
迦遇槌命(かぐつちのみこと)が火伏せの神として尊崇されていることから
火事など「火の難」にあわないことを祈願して毎年この日に行われています。
そして、夜から朝へ日を継いで参拝すれば「千日(三年)分の御利益がある」
といわれ、老若男女が夜を徹して参拝され、一晩で約1万人を超える
参拝者が頂上の神社を目指し登山するのです。
今年は日曜日なので、例年にも増して多くの参拝者が予想されています。

参拝者は愛宕山麓の集落・清滝(京都市右京区)から登山されるのが
最も多く、毎年昼ごろから徐々に人が増え始め、夕方6時頃には
幅2mほどの狭い清滝の参詣街道は人の行列で埋め尽くされます。
昨年は31日の午後9時からおこなわれる修験道の柴燈護摩神事
「夕御饗祭(ゆうみけさい)」と午前2時からおこなわれる
「朝御饗祭(あさみけさい」を見学するため、
同僚の河原林京都大学研究員と一緒に約10年ぶりの
千日詣りを体験してきました。

今では自分の足で900mの頂上を目指すしか方法のない愛山。
舟の仕事を終えてからの登山はさすがに応えました・・・
とにかく、清滝集落にある登山口・二の鳥居から山頂までの約4キロの参道。
つづれ折れの急な山坂道を延々と歩きます。途中、石積みの階段なども
あり、約2時間半の登山です。汗は滝のように流れるは、足は笑うはと、
健脚を自認する私でしたが、中腹あたりで、休憩を入れないと
とても山頂まで持たないと感じました。愛宕山恐るべし!
それでも参詣登山をされている人たちのはみなさんイキイキとした
表情をされていて、登山を楽しんでられるようで、少し驚いたのを
覚えています。
愛宕山千日詣りには、参詣登山者同士が交わす言葉があります。
参拝者はお互い見ず知らずの人同士でも、すれ違いざまには
「おのぼりやす~」「おくだりやす~」と登る人、下る人が
温かみある「京ことば」で声を掛け合い、お互いの労をねぎらうのです。
これは江戸時代から続く愛宕参りの伝統だそうです。
なんでもない一言ですが、疲れている体がすっと癒される言葉です。
そんな参詣者の声に励まされながら、やっと山頂へ到着。

神社境内は献灯の提灯により、900mを越える夜の山頂とは思えない
明るさで、社務所では参詣者が必ず愛宕詣りの証拠として必ず持ち帰った
「火の要慎」のお札やお守り、樒(火を消す作用がある樹木の枝)
を買い求める参拝者で、初詣のような賑やかさです。
午前2時からおこなわれる「朝御饗祭(あさみけさい)」を見学する参拝者は
神社の境内の空いている場所で睡眠や休憩しながら待つのです。

千日詣りにはもう一つ
「三才までにお参りしたら、一生涯、火の難を逃れる」
という言い伝えがあり、本当に三才に満たない幼い子どもさん
の姿が多く見られました。なんと、お父さんが子どもを
背負って登ってこられるのです!
山頂まで登りきられたお父さんは境内で完全にグロッキー・・・
子を思う親の愛情の深さでを目の前で見せられた気分でした。
僅か晩から明朝にかけての「愛宕千日詣り」ですが、
暑さキビい夏の夜に、これだけ大勢の人々の姿が、山の至る
所で見ることができる。これは京都、関西の人々の
愛宕信仰の潜在的な根強さを表していると感じました。
愛宕山の山裾を縫うように流れている保津川。
舟から眺める明日の愛宕山は、山の神へ帰依する人たちの
熱い鼓動で、躍動感いっぱいに迫ってくることでしょう。


千日詣りを完遂した河原林研究員と私(下の写真)かなりお疲れかな・・・
では「愛宕千日参り」が行われます。
愛宕山は古代山岳信仰の霊山で、頂上にあたる朝日峯には、
今も「愛宕神社」が鎮座しています。
愛宕神社って地元にございませんか?
そうです、全国各地にある愛宕社の総本社として、
各地に約900か所もの分社を持つ神社最大手の
フランチャイズといといえる存在です。
京都では観光誌をはじめ誰もいいませんが、私はこの「お山」を
京都最大のパワースポットだと確信しております。
そのことについて京都大学で研究関心として取り組んでいるので
追々お話することにして・・・
千日詣りはこの愛宕神社総本社で行われるもので、主祭神で火神である
迦遇槌命(かぐつちのみこと)が火伏せの神として尊崇されていることから
火事など「火の難」にあわないことを祈願して毎年この日に行われています。
そして、夜から朝へ日を継いで参拝すれば「千日(三年)分の御利益がある」
といわれ、老若男女が夜を徹して参拝され、一晩で約1万人を超える
参拝者が頂上の神社を目指し登山するのです。
今年は日曜日なので、例年にも増して多くの参拝者が予想されています。

参拝者は愛宕山麓の集落・清滝(京都市右京区)から登山されるのが
最も多く、毎年昼ごろから徐々に人が増え始め、夕方6時頃には
幅2mほどの狭い清滝の参詣街道は人の行列で埋め尽くされます。
昨年は31日の午後9時からおこなわれる修験道の柴燈護摩神事
「夕御饗祭(ゆうみけさい)」と午前2時からおこなわれる
「朝御饗祭(あさみけさい」を見学するため、
同僚の河原林京都大学研究員と一緒に約10年ぶりの
千日詣りを体験してきました。

今では自分の足で900mの頂上を目指すしか方法のない愛山。
舟の仕事を終えてからの登山はさすがに応えました・・・
とにかく、清滝集落にある登山口・二の鳥居から山頂までの約4キロの参道。
つづれ折れの急な山坂道を延々と歩きます。途中、石積みの階段なども
あり、約2時間半の登山です。汗は滝のように流れるは、足は笑うはと、
健脚を自認する私でしたが、中腹あたりで、休憩を入れないと
とても山頂まで持たないと感じました。愛宕山恐るべし!
それでも参詣登山をされている人たちのはみなさんイキイキとした
表情をされていて、登山を楽しんでられるようで、少し驚いたのを
覚えています。
愛宕山千日詣りには、参詣登山者同士が交わす言葉があります。
参拝者はお互い見ず知らずの人同士でも、すれ違いざまには
「おのぼりやす~」「おくだりやす~」と登る人、下る人が
温かみある「京ことば」で声を掛け合い、お互いの労をねぎらうのです。
これは江戸時代から続く愛宕参りの伝統だそうです。
なんでもない一言ですが、疲れている体がすっと癒される言葉です。
そんな参詣者の声に励まされながら、やっと山頂へ到着。

神社境内は献灯の提灯により、900mを越える夜の山頂とは思えない
明るさで、社務所では参詣者が必ず愛宕詣りの証拠として必ず持ち帰った
「火の要慎」のお札やお守り、樒(火を消す作用がある樹木の枝)
を買い求める参拝者で、初詣のような賑やかさです。
午前2時からおこなわれる「朝御饗祭(あさみけさい)」を見学する参拝者は
神社の境内の空いている場所で睡眠や休憩しながら待つのです。

千日詣りにはもう一つ
「三才までにお参りしたら、一生涯、火の難を逃れる」
という言い伝えがあり、本当に三才に満たない幼い子どもさん
の姿が多く見られました。なんと、お父さんが子どもを
背負って登ってこられるのです!
山頂まで登りきられたお父さんは境内で完全にグロッキー・・・
子を思う親の愛情の深さでを目の前で見せられた気分でした。
僅か晩から明朝にかけての「愛宕千日詣り」ですが、
暑さキビい夏の夜に、これだけ大勢の人々の姿が、山の至る
所で見ることができる。これは京都、関西の人々の
愛宕信仰の潜在的な根強さを表していると感じました。
愛宕山の山裾を縫うように流れている保津川。
舟から眺める明日の愛宕山は、山の神へ帰依する人たちの
熱い鼓動で、躍動感いっぱいに迫ってくることでしょう。


千日詣りを完遂した河原林研究員と私(下の写真)かなりお疲れかな・・・