3.11後の世界

その後の世界について書きます。

補償

2012年04月22日 12時37分36秒 | 日記
もしも ですね。 もしも 放射能の影響が数年後になって顕著になって現れても その補償があったとしても それは その被害者が亡くなってから あるいは 数十年苦しんでからというのが この国の歴史です。

この状況下でいえば 当時のあるいはそこまでの担当者は 責任を追及されることはないでしょう。

国を批判してもはじまらないのです。、国がそこまで手がまわらない状況で ここ10数年 この国の国策はほぼ後手後手にまわっているような感さえあります。つまりこの点においては 急激に対処する必然性が顕在化しないゆえ、この国の機能では 対処できないと判断したほうがいい。




だから こそ もしかしたら という東日本の人は 国の安易な政策を疑い深く見続け チェックしていかなければならないのです。

そして 何が起きても自費という覚悟で リスクマネージメントにとりくまなければならない時代になっているのです。


詳しくは 原爆の後遺症 補償
水俣病 補償
薬害エイズ 補償
(薬害エイズにおいては原因が特定され、比較的被害者が救済されたようにみえるが・・・・)
などのキーワードで 
その被害者の現在の姿をみてください。

これは一例です。
http://www.city.hiroshima.lg.jp/www/contents/1000000000002/1267771328277/index.html


放射能の影響は あらゆる疾患の原因になる可能性があり、
しかし その特殊性ゆえ その因果関係は特定しきれないでしょう。
つまり 補償はせいぜい福島県内の数十キロ圏内がせいぜいいいところでそれさえも 果たして?


食べて応援という文字が非常に悩ましく思えるこの頃
そういう手しか打てないのかという たよりない方針

監視体制

2012年04月22日 09時25分32秒 | 日記

国策をニュースなどでみたりしていくと それはないよな と思うことも多いような気もする。

国がやることだから 大丈夫だろう なんてことはなくて、国が縦割りの中でやるから外から見ると ちぐはぐで さらには そこに働く 個人個人の保身や昇進の為の欲で 国益が最優先されないケースも多々あると思うし、それらは 表面化した不祥事などを見ていけば明らかだろう。表面化したのはおそらく氷山の一角にすぎないと思う。

民主党にしても ふたを開ければ マニフェストはほぼ反故にされ、それについての論理的な 議論が あってならまだしも それぞれが 突然決められたかのように 覆されていく。なんかおかしいよな とほんとに思うことが続く。

こういう局面でも どうせ個人がなにか働きかけてもとオレも思うのだが小さなことでもいいから 行動を起こしていくことが大事ではないかとここ最近思う。国民が政府を監視しなければ何をするかわからない という勢いで 監視体制の構築が必要じゃないか

第三者機関とかよくいうが、国の政策でつくられたものはほぼ機能しないし それどころか 本体を補完するような機能すらもちかねない。

 

食品の規制値が高かったり ざるであれば(今の状況ではそうであろう) 個々が数値を計測したり、そういう小さな行為でも いいと思う。

ただ、放射能はこわいとか原発反対といい続けるだけではなく、それに対して論理的にひとつずつ 崩していくように対抗する何かが必要なんだと感じる