サロン・風変わりな人材開発の宴 

人の育成について、色々な視点から書いていきます。これは、体験記であると同時に、次の人材開発施策に対するトライアルです。

普通の人でも、リ-ダ-に近ければ昇格する。

2017年02月15日 06時59分55秒 | 日記
強硬路線を取っていたリーダーであるが故に、「内部が融和すぎて」、将来自滅するパターンがございます。強いリーダーは、近くにYESという人をそろえたほうが効率が良いですが、リーダー次第と言う組織になりますね。

強いリーダが散々部下に文句を言っていて、「文句を言われたこの人はもうダメか」と思ったら、実は昇格していたというのはよくあります。結局、平凡な部下でも、多少なりともバランス感覚というか風を読めれば、リーダに近い人が昇格するケースは多いものです。

そんな人事異動を見るたびに「タメな会社だ」と思うかもしれませんが、その程度の人が経営陣にいても潰れないとしたら、見事な会社だとは思いませんか。むろん皮肉です。

社長職を務める人で、人を信用しない性格を有する人、いうことを聞く平凡な人を役員につけます。そのほうが、自分より劣っていて、地位を脅かされることはないし、その辞令を受けた人も「こんな平凡な私でも役員になれた」と忠誠心は高まるでしょう。

そのツケは、次の世代、或は次の次の世代で確実に訪れます。そんなに遠い先の話しではない。そういう状況を嫌と言うほど見てきました。

これ、自浄作用はあるのでしょうか。いずれ外から市場が決める。そして、それは大きな犠牲を伴います。被害者はトップ層ではない人たち。

最近、しばしば考えます。「会社はだれのものか」と。


文系 ガンバレ

2017年02月14日 07時21分11秒 | 就活・採用
就活のシーズン到来。

毎年、学生をみていると、文系の就活は難しいなと思います。専攻が職種と結びつくことが難しいからです。だから、志望動機では、「御社は大企業で安定しているから入りたい」という本音を、如何に志望動機らしくみせるか。

「この会社に入ったら、この会社・事業をこうして見せる」が志望動機なのですが、そこまでいうには、相当の企業研究がないと、また根拠がないと。大言壮語はすぐにバレますしね。普通は、そんな自信もない。

実は、志望動機もさることながら、いざその会社に行くと、この会社にピンとこないときがありますよね。面接官をみていて、「こんな人と仕事をするのか」とモチベーションが下がるときがございます。こうなると、悪循環にはまります。

決して、「こんな人」は、「こんな人」ではないのですが、学生はそこまで見抜けない。(しかし、その直感は当たることもあります。)

企業はどこも苦しい。厳しい戦いで、若手を育てることもままならず。それもあって3割が辞めていく。

発想の転換。とにかく、入った会社で働く。なじまぬ仕事もある。人間関係では嫌なこともある。しかし、それはどこでも同じ。心身の健康をむしばむなら、鞍替えすればよい。また、新しい会社で、新しい仕事でキャリアを積む。これが綺麗事であるのはわかっています。

ハウツーは効かない。というか、ハウツーに溺れると自分というものが消えることもある。
古臭い表現ですが、そしてたいした解決策ではないのですが、性根を据えて自分の姿で戦ってほしいですね。けっして諦めることなく。



悩みます そのコーチング part2

2017年02月13日 07時25分16秒 | コーチング
コーチングの原則のひとつに、人に焦点を当てるというのがございます。

会社で、コーチングをやる場合、人よりも事象にいってしまう傾向があります。何度やっても。

クライアントも問題解決を望んでいる。ありたい姿よりも目の前の問題解決が先。上司と部員でやったら、なおさらそうなる。

おそらく、コーチングのプロがみたら、目を覆いたくなる面談と思います。

しかし、その割にはこの活動は良好で、継続すべきという回答を頂きます。

「これは正しいコーチングではない」が、良しとするなら良しなのか。

やらないより良いというのなら消極的な評価。いまひとつ、こちらも納得できない。

ひとつの解は、「コーチング + 何か」をセットとした施策で考えるしかない。

言い換えると、ある施策を行うに当たり、「コーチングの要素を取り入れる」こと。

しかし、そうすると、「コーチングの要素が消えてしまい、単なる質問があっただけ」に終わるのではないかと危惧している。

それなら、ただの対話。ただの会議と変わらない。

しかし、少なくとも、これだけはわかっている。

「受け入れない人にやっても仕方がない」ということ。





自らの知的財産の可能性を探す > 自らのキャリアの棚卸し 

2017年02月12日 07時24分41秒 | キャリア開発
「日本の強みは現場力」という言葉があります。或はありました。

現場力の定義については、今さら述べるまでもないと思います。「勤勉でコツコツと仕事に取り組み、チームとして結束力を構築して改善を重ね、高い品質を確立すること」で、ほぼよいかと思います。

ビジネスの方向性。このビジネスの方向性が正しく、業績が上昇していれば、この現場力も威力を発揮するのですが、ビジネスの方向性を見失いかけた時、現場力も陰りが見えていくような気がしています。

要するに、「改善して、品質を上げて、コストを下げても儲からない」事が常態化している場合。

このとき、会社として、事業として、新たなビジネスの方向性が見つかったとします。しかし、恐れているのは、そのビジネスの方向性に対して、現場力が適合するものかどうかです。
例が極端すぎますが、機械の会社が化学のビジネスに転換したいとします。これは、社員の配置転換では対応できないことがございます。そもそも、専門分野が違いすぎるから。

日本の会社は、今まさにここに突き当たっているのは承知のとおりであり、人の育成の限界を感じます。製品と技術が1対1で対応しているところで育った人にとって、他の分野を探すのはかなりむずかしい。

自らの知的財産の可能性を探す。これは、単なるキャリアの棚卸しではありません。
自分でキャリアの棚卸をしても、着地点は身近なところしかイメージできないのが通常のパターンです。

キャリアコンサルタントが、知的財産に精通していないと、クライアントとよい対話はできないと思います。
それをいうと、キャリアコンサルタントは、「そういう第一歩を踏み出すように、自己決定できる方向に導くものであって、クライアントに指導することではない」というご指摘がになるかと思いますが、キャリアコンサルタントも着地点を変えてもいいのではないでしょうか。

「貴方の強みは何ですか」といっても、ビジネス構造が変われば、その「強み」のために、自らの方向性を間違えてしまうものです。


人材は、沈みゆく船から降りていく。

2017年02月11日 21時44分23秒 | 日記
英国(19世紀)⇒ 米国(20世紀)⇒ 日本(20世紀後半)⇒東南アジア他(21世紀)。モノづくりの系譜は、この流れを辿ってきています。

米国新大統領は、この流れを戻そうとしています。いかなる非難を浴びるにせよ、「雇用を生む」という政策は正しいです。しかし、ここには前提があります。

ある程度の品質をもったものは、どの国でも作ることができ、供給過剰になります。消費者がさほど高機能なものを求めていないと、需要<供給で、当然、価格は下がります。すると、賃金の高い企業は、コスト高で勝てません。よって、それを予期して新大統領は保護政策に走る。

農作物は世界の人口増加とともに、需要>供給となり、モノづくりで豊かになった発展途上国の購買力も加わり、超長期的には価格高騰に向かいます。米国はここにも活路を求めているかも。

モノづくりで発展途上国に追いつかれ、そして負けていく日本が外貨を稼げず、且つ食料自給率の低いことは、将来において致命的といえます。

そんなことはない。「日本にはまだまだ強い会社があるから」 それは幻想にしか思えません。

幕末、幕府の御用商人だった豪商は、幕府危うしと見ると、薩長に鞍替えしました。ビジネスとはそういうものです。

そもそも、グローバルというのは国境がないというもの。世界で通用する人材の育成はよいのですが、人材も欲があり、沈みゆく船から降りていきます。

企業から海外のMBAに派遣され、世界を見る。高度成長期と比べて今一つの日本企業。その旧態然とした体質に疑問を抱くが、自分一人でどうなるものでもない。

会社を辞めて新天地をもとめる。当然です。


「坂の上の雲」 どうしてあの命令に従えたのだろう。いたたまれない。

2017年02月11日 06時44分30秒 | 歴史
司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」を読まれた方は多いと思います。経営者で愛読書に挙げてる人もけっこういますね。

素晴らしい作品なのでしょうが、作品のことよりも、私は不思議でならないことがあります。それは、203高地での繰りかえす突撃。何度やっても多大なる死傷者。何万人?

ここでは、司令官・乃木稀典(のぎまれすけ)の指揮の是々非々については語りません。その命令に従った若き軍人たちの気持ちについて述べたいのです。

軍人は命令に絶対服従ですが、私なら「こんな戦いで死にたくない」と思う。
与謝野晶子の「君死にたまふことなかれ」の気持に同感ですね。多分、彼らだって。

集団心理なのでしょうか。「みんなでいこう」という気持ちにさせたのでしょうか。

一方、同じ日露戦争で日本海海戦における海軍の死傷者は117人。確か、この戦いの後、戦艦三笠が日本に戻ってきたとき、弾薬庫の爆発事故のため沈没。この事故では339名の死者を出しました。
事故より戦死者の方が少ない。たまたまであっても海軍の戦死者の少なさ。

明治という時代に生きた人の凄さ、考えさせられる。
今日、会社が傾くのを命がけで支える人は、せいぜい創業家くらいではないか。

100年経って、いや100年どころではない。太平洋戦争から半世紀で、繁栄の日本。

私がディズニーランドに初めて行った時、最初に思ったことは、ミッキーマウスでもなく、シンデレラ城でもなく、203高地や神風特攻隊の隊員のこと。いたたまれず「申しわけございません」と言って、入園したことを覚えている。






悩みます。そのコーチング

2017年02月10日 07時26分40秒 | コーチング
「ほんとに、それやるの?」というコーチングの手法があります。
企業人としては、ありえない対話の仕方。むろん、その本質は理に適っているのですが。

理に適ってはいても、手法によっては、相手が泣いたり、飛び跳ねたり、そして質問攻め。。。
「エーッ」と思ってはいるが、研修参加者の和を乱してはならないので、共鳴した「ふり」して我慢する。

しかし、気がつくと、コーチングの重要性に気が付く。絶対に必要なコミュニケーションツール。

コーチングを否定する人は、或はやらない人は、部員とのコミュニケーションは上手ではない。はっきり言って、これが管理職なら「失格」の烙印を押されても仕方がない。ところが本人が、それに気がつかない。

「質問すればいいでしょう」が、いつのまにか「尋問」「査問」になっている。

「そうじゃない。相手の心を聞くの」というと、「それは宮本武蔵でないとできないな」と。
ハナからできないと思ってる。年代がいくほどこの傾向が強い。

無理もない。しかしこれを正さないと、このままのマネジメントスタイルでは人は動かない。

そういうと、「そこまで部員の御機嫌をとらないとダメなのか」と反論。

「御機嫌取りではない。相手を思って質問していくことで、相手が気づき、自ら次の行動をとるようになる」と説明するが、「そうかね~」に終わる。

この人を変える。無理と?
実は、変わるんですよね。




「戦わずして負ける」part2

2017年02月09日 07時19分06秒 | 企業経営
前回、「戦わずして負ける」という、「戦わずして勝つ」をひねくった内容で書きました。少し、説明しておいた方がよいなと思って追記致します。

50代が「もう、これからは君たちが頑張らなければ」とい言って、40代以下に期待する話し。
伝統的な大企業では、50代に部長が集中しています。実は、40代以下に「頑張れ」と叫んだところで、実はこの50代の部長が邪魔になって動けない場合が多い。

若い人は、「(たいして働かないのだったら)早く辞めてもらいたい」と思っています。

会社は、日本の人口の縮図になっていて若手が少ない。頭でっかちの組織になっている。

昨日、50代における勝ち負けの話しもしましたが、その始まりは課長になるかならないかですね。各社で幅があるので、一概にはいえませんが、40代前後には見えてくるでしょう。ということは、大卒で会社に入って「15~18年」で今一つだと、お給料が上がるのがだんだん鈍くなり、そして横ばいのまま、或は下がって定年を迎えることに。

大企業の場合、30代でお給料が横ばいになったら、まずその後の昇進・昇格は難しいかもしれません。強い「引き」があれば別ですが。

管理職になる確率が15~18%程度。ならば、大部分の人は管理職ではないから、お給料がそうそう上がらない。ほとんどの人は、管理職が有する役割に相当する責任は持っていません。従って、「若い人、ガンバレ」と言われても、「権限がないからやりません」となる。「若手がやらないから進まない」のは管理職の責任。そこで、管理職が査定を下げても、実は大きく給料が下がらないのが大手。

結局、だれもやらない構図にみえます。そこで頑張るのは奇特な方か、何か好きな仕事でも見いだせたか。そういう人でしょうね。

「いや、そんなことない。きちんと仕事している」と反論する方がいらっしゃるかもしれません。

その時の解は、その仕事によって相手が付加価値と感じてくれるかどうか。
案外、そういうのを確認しないでやっていると思います。付加価値がないと思ったら必死に戦う。
でも、気にしていないから戦っているとは言い難い、故に、「戦わずして負ける」part2です
厳しい言い方で、お詫びしますが、これがよくみられる現実かもしれません。


「戦わずして負ける」

2017年02月08日 07時19分34秒 | 企業経営
大企業に勤めている人から聞いた話し。
「消しゴムとかの文房具用品が数十年分くらいある」と。思わず「文房具屋さんなの?」と聞いたら、「いやいや、普通の会社。在庫として持っているだけ」 

重ねて「毎年、〇億の部品を捨てている」というので、「そんなに粗悪品の部品を買っているの?」と聞いたら、「いや、使わない部品を在庫で持ってた。使わないから捨てた」と。

私は、「使わないなら、なんで買ったの?」と聞くと、「繰りかえしてダブって発注している。それと、これだけ持っておけば、短納期の対応のときに助かるから」 

私は黙った。心の中で、「短納期対応についてはまだわかる。簡単にジャストインタイムができるビジネスではないことも認識できる。しかし、『繰り返すダブル発注』はいけない」

「絶対にこれを無くそう」という掛け声(方針)は挙がるが、動かぬ組織・人に驚きの念を抱いた。多分、「だれかやれよ」なのだろう。ダブル発注については、システム上の問題と、システムを動かす人の問題がある。更に上流では、顧客情報の正確さも検証すべきだろう。

それをやらなくても、この人たちの給料は下がらない。自分の懐が痛まないなら、やるわけがない。

所詮、他人事。というか、他人事にしておいたほうが得。もし、その問題を解決して成果を出しても評価してくれないなら、無理してやる必要はない。人事制度を知って入れば、そうなる。例えば、50代になると経営者候補は明確。それ以外の人は、頑張ってもそれ以上の地位には上がれない=給料は同じか、ある年齢で下降する。よって「やるわけないだろう」が本音。

そうだとすると、「問題は人事制度にある」というのは癪に障るが、「ひどい社員だ」ともいえぬ。

この負の遺産を背負うのは、50代以下の社員。将来ある人たちにして見れば、不甲斐ない50代に腹が立つ。しかし、50代は内心わかっていて、「この問題、将来ある君たちが必死に取り組んでみろ。きちんと報酬はくれるから」と思う。

こうしているうちに、会社は衰退化の道を辿るのか。
これまでの議論の中に、強い外敵の存在は無い。つまりこれは自滅。
故に「戦わずして負ける」


山本五十六「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ」というけれど。

2017年02月07日 07時09分41秒 | 歴史
連合艦隊司令長官・山本五十六の言葉「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ」は有名な格言として知られています。軍人という強い縦社会でも、「人が動かない」と言う意味たとしたら、その他の組織は推して知るべしでしょう。

この言葉。ひとつひとつ分解してみてみましょう。

①「やってみせ」・・・・・「こうやるんだよ」
②「言って聞かせて」・・・「~というわけなんだ。わかった?」
③「させてみせ」・・・・・「やってごらん」
④「ほめてやらねば」・・・「いいぞう。上手だ。」

冷めていますが、これで人は動くか否か。これによって、その時は動いても、その先はどうでしょう。いやいや、これを諦めることなく続けることで、「動く人」になっていくのでしょうね。

①の「こうやるんだよ」が、受け手から見て「押しつけ」と思ったら、②の「~というわけなんだ。わかった?」は、受け手は心の中で「YES」と思わない。よって、③の「やってごらん」は、納得しないまま命令を受けたことになる。

この状態では本気で受け手は本気で取り組めず、期待した成果がでるでしょうか。そして、少しばかりうまくいっても、④「いいぞう。上手だ。」は、受け手は白々しいと思うかもしれません。

もし、この流れのとおりだとすると、ここでの問題は①にあります。
ここでは、最初に「どうやったらいい?」と問う。但し、受け手が仕事を知らない人の場合は、ダイレクトに①「こうやるんだよ」とやってもよいでしょう。

もし、受け手に解があるならば、状況をみて③「やってごらん」でしょう。
同時に、受け手に固執する気持があれば、「他に何か方法がないかな」も必要と思います。

④「いいぞう。上手だ。」の褒める前にある対処の仕方がとても大事だなと思います。



こんな管理職なら、ならないほうがお得かも

2017年02月06日 07時20分42秒 | 管理者
最近、「管理職になりたくない」という声をよく聞きますね。若い人は、今の管理職の大変さをみてそう思っているそうです。その姿勢について、「上昇志向がない」と思いたくなりますか。

最近、この考え方は、ひょっとしたらある意味で合理的ではないかと思うこともごさいます。

管理職になって、管理する部員ができた。肘掛椅子にも座れるようになった。会社によっては、一般社員とは別の場所で、大きいデスクも与えられる。

また、「おい、きみ」とは言うのか分かりませんが、「これ、やっといてくれないか」を連発できる。心の中では、「わたしも、管理職まできたかァ」と実は得々としている。

こういう面ではラクになる人もいます。

しかし、これは特に大企業で管理職を務めた人にいえることですが、退職して再就職しようと思ったら、案外、働けない。なぜか。再就職での対象は中小企業が多いのです。「これ、やっといてくれないか」とはいかない場合があります。

それよも、実務能力をもっていたほうが、はるかに再就職としては有利では。

管理職の方、「これ、やっといて」ではなく、「いっしょにやろう」くらいがよいです。

忙しくて無理? 本来は、そのビジネスのシステムを変えるのが管理職としての実務能力では? その仕事をせず、「一般社員の仕事までやるのはイヤ」で能力アップしますか?  

何よりも、一生懸命、働いている中小企業の方に失礼にあたらなければよいのですが。



人材開発が能力開発に偏りすぎていると思うのは偏見でしょうか。

2017年02月05日 19時36分28秒 | 人材開発部門
「余人をもって代えがたい仕事」とは、本来あってはならないことです。

この言葉、実は好きではないのです。なぜかというと、仕事をスキルと言う面から見過ぎているから。仕事をするその個人の人間性を考えた言葉とは思えません。

むろん、間違っているとは思いません。仕事は、「だれがやってもできる」ものでないと、いけないことはわかります。

しかし、仕事における人間的な側面。。。仕事だけで人間をやっているのではありません。
金額換算できませんが、無形の資産のひとつであり、実は、組織を強くするための重要な資産ではないかと思うのです。

人格で、人、組織をつなげる。そう言う面がもっとクローズアップされるといいのですが。

人材開発が能力開発に偏りすぎていると思うのは偏見でしょうか。今がやっていないというわけではないのですが、人格の形成にもっと力を入れるべきではないでしょうか。

コンプライアンス??? それとも違います。違うと言うより、コンプライアンスを考えるにあたり、
ベースとなるものが、人格、人間性、倫理観、そういったものではないでしょうか。




強い方向性を示すリーダーシップ?しばらくは、リーダーの舵取りは、荒海に対応してバランスよく操縦する船頭さんのようであってほしいですね。

2017年02月05日 06時41分05秒 | 日記
リーダーは「こうしたいということを示せ」と言われます。方向性を示すことがリーダーシップの定義と言ってもいいでしょう。

非常に冷めた見方ですが、これって場合によっては危ないとは思いませんか。激変するというか、どう変わるかわからない状況で、「この方向で行くぞ」というのは。。。

荒れた海に船を出すとき、船長がそんな指示をすると思いますか? 絶えず天気予報や風向きや波のうねり、船の状態になど、様々なことに細心の注意を払いながら、船の操縦をしているのではないでしょうか。

「目ざすべき方向性を示す」重要性は否定しませんが、現在のビジネス・社会の環境は、戦後復興の「みんなでガンバレば報われる。一致団結して頑張ろう」とは異なるところにいます。混沌というより混乱した世界です。

但し、今の対応に追われると、時代のエゴに走ることがある。その象徴はバブルの時。バブルは日本人の精神をダメにした時代と思っています。戦後、人命と国土の痛手から立ちあがった心とは異なります。そして今は危ない難しい時代です。こういうときに強いリーダーを待望するのは怖い。

1919年、当時最も民主的憲法を作ったドイツは、そのわずか十数年後、独裁者ヒトラーに
握られてしまう。扇動されたんですよね。そして、今、、、、、。

強い方向性を示すリーダーシップ。大丈夫でしょうか。状況即応、そしてどんな態勢になっても持ちこたえられる組織体を作る。しばらくは、リーダーの舵取りは、荒海に対応してバランスよく操縦する船頭さんのような心であってほしいものです。


技術が分からなくても製品に愛着を持てますか? 売り込むことができますか?

2017年02月04日 08時03分17秒 | 事業戦略・技術戦略
文科系出身者の多くは理数系が苦手、嫌いだという人がけっこういます。わかります。中学・高校の数学や理科の授業ですっかり嫌気をさし、大学入試では、英語・国語・社会で受験。最近では、英語・面接とか一芸に秀でた人とか。色々な入試のスタイルが出てきましたね。

理科・数学は苦手だから近寄らないということで困ることはないですか。

製造業の会社で、営業部門の人が、技術の話しになると腰が引けるという話しを聞きます。その多くは、文科系の人。技術は理解できなくても、製品に愛着が無くては売れないだろうと思うのですが。

BtoBの会社の営業職で、お客様も技術系だと、この傾向はさらに顕著になるようで、お客からの電話を、そのまま工場の技術部門にパススルーしてしまう営業もいます。「いいんだ。俺は接待で稼ぐんだ」と豪語する人もいますが、どうなのでしょう。

提案したいと思います。難しい技術理論は不要ですが、起きている現象は、どういうことが引き金になって起きているか。これは知っておいた方が良いのではないでしょうか。

簡単な例を挙げます。製品を小型軽量化するとします。しかし、機能は旧製品の二倍以上のものをもとめられる。電源をオンして、強い電流を流します。すると、小型で密閉した空間しかない製品の場合、熱を外に逃す手段を作ってあげないと、その製品の中で熱が溜まって回路が劣化し、想定した耐用年数よりも早く壊れる可能性があります。この程度でいいのです。

これは失礼を承知でいうのですが、文科系出身で技術系色の濃い製造業に入った人は、技術のことを知らないでその会社で過ごすというのは、実はその会社のことを半分は理解していないのと同じではないかと思っています。

技術を避けて営業職を務めている人。その人が製品に愛着を持って営業しているのか分かりません。もし、製品の魅力を伝えることができず、他社より低い価格で受注し、工場にコストダウンを要求するとしたら、その姿勢は、如何なものかと思うのは言いすぎでしょうか。

予言に近い予測は何を意味するのでしょうか。  

2017年02月03日 05時55分45秒 | 自己啓発
予言というと、かなり前に「ノストラダムスの大予言」という本でしたっけ、流行したと聞きます。これはたしか、1550年頃にノストラダムスという占星術師が出した予言集で、1970~80年代の日本を相当騒がせたと聞いております。

そのような神業?的な予言ができるかどうかは別として、ある程度のデータがあれば、予測はできるとは思いませんか。

神業的な予言者には成れなくても、AIをはじめ、データアナリシスというツールを使えば、かなりの確度で、先を予測できるのではないかと思います。

さて、そのとき私たちには、弁解、或は「まさかそうなるとは」という表現が禁句になるのではないかと思っているのです。

これは、いまから訓練したほうがよいと思います。
訓練と言うのは、予測する訓練ではありません。
「まさかそうなるとは」という言葉で逃げることを止める訓練です。

「分かろうとすれば、分かったはず。なぜ、みようとしなかった?」と言われるときがくるのでは。

そして、その弁解もほとほどにしないとなぁと思っています。