サロン・風変わりな人材開発の宴 

人の育成について、色々な視点から書いていきます。これは、体験記であると同時に、次の人材開発施策に対するトライアルです。

「趣味は何ですか」への対処法---これも立派なコミュニケーション能力では。。

2017年01月31日 19時06分31秒 | コミュニケーション
「貴方の趣味は?」と聞かれて、スラスラと答えられ人は多いと思いますか? 少ないと思いますか?

いきなり唐突な質問で恐縮です。多いか少ないかは別にして、相手の人となりを知る、或は会話をスムーズに進めるための一助(?)として、「趣味は?」は頻繁に使われる問いです。

就活では決まり文句の質問なので、「答えざるを得ない」のですが、一般の大人は、ちょっとたじろぐか、回答が面倒だと思う人はいると思います。

社会人の場合、「何となく好きでやっている」程度で、自信をもって「これが趣味です」と言えるほどでもない。或は、付き合い程度で、のめりこんでいない。仕事が忙しくて、それどころではない。そんな声が聞こえてきそうですね。

仮に、「趣味は音楽です」と答えたとします。ふむふむ。すると、「どんな音楽が好きなんですか?」と重ねて質問がきます。この追及に「いやだな。いわねばならんか」と思う。音楽というのはジャンルが広く、次の回答で会話が途切れることも。(相手がこちらの音楽のことを知らないとそうなりますね)

本当は、相手と円滑な関係をつくるための質問である「趣味はなんですか」は、逆に相手との会話を途切れさせてしまうこともある。むろん、このとき、相手と趣味が合えば会話は弾むでしょう。
しかし、世の中に色々なものが溢れ、相手との共通項を見いだすことが難しくなりましたね。

だから、ここでもダイバーシティ。。。「その趣味って、どういうものですか。教えてください。」
教えてもらったら、感謝とその趣味の価値に対する敬意を表す。
違法なものや、人道的に問題ない趣味であれば、そう言う姿勢が良いかと思います。






科学 VS 技術  人材育成としてどう考えますか

2017年01月30日 07時18分08秒 | 事業戦略・技術戦略
よく、ニュースや新聞で「科学技術」という単語が挙がります。
そのたびに、私は少し違和感を感じます。科学技術と言う単語を英語に直すと、「Science and technology」ということで、「科学」と「技術」の合算の単語です。つまり別物です。

科学を自然科学に限定するならば、科学は自然現象に対する真理の追及が目的。

技術は、自然現象から突き止めた科学の真理を用いて、あることを実現するための方法。

「技術人材」という単語はありますが、「科学人材」という単語は、あまり聞いたことがございません。特に、企業では「技術人材」ですね。

技術人材の育成は、どこでも大事な課題。仕事では、その方法として技術を用いて組み合わせ、製品になる。

しかし、最近、技術を支える科学の真理に対する認識が充分なのかなと思うことがございます。
「これとこれを足すとこうなる」のは知っていても、「なぜ、そうなるのか」を語ることは、意外と難しいものです。

実は、この理解がないと、本当の技術者の育成は難しいと思います。







不要ですよ。そのプライド。

2017年01月29日 08時12分58秒 | キャリア開発
仕事の出来る人。或は大きな会社で管理職以上の立場にある人。それなりにプライドはあります。前者は仕事の力量に、後者は役職に。
このプライド、自信は大事ですが、他人に尊大な態度と見られるなら、直した方がよいと思います。

仕事ができる人は、できない人を見るとイライラしますね。見下します。それは言葉や態度に現れます。他の人たちは、その人と仕事をしたいと思わない。たいていの場合、我慢しているのだけれど。

役職で「自分はエライ」と思っている人。実は、客観的に見て大したことはない。多少のバランス感覚や調整能力はありますが。外と戦える力は優秀な部員より劣ることはザラ。

日本企業の衰退の理由のひとつに、この「邪魔なプライド」はあると思います。

そこまで話しを大きくしなくてもよいのですが、このプライドをもって、定年退職後、再就職しようとします。うまくいくと思っているのでしょうか。特に後者は。。。扱いにくい。

もし、自分がそうだと思うなら、そして、定年後も働こうと思うなら、、、、
不要ですよ。そのプライド。

「わかってる。そんなこと。しかし、今更変えられない」 
そこがその人の限界。仕事も限界。皆の厄介者かも。

改めて謙虚さ。


人事考課で、前期の評価を正しく行うことはできるのか否か。 

2017年01月28日 09時28分35秒 | 日記
米国の映画を観ていると、冒頭の10分でスリルのあるシーンを見せて、観ている人を惹き付けることをよくやる。

それと関係はないが、アメリカのトランプ大統領。就任して一週間で矢継ぎ早に大統領令を発し、世界の目を釘付けにしている。まさに「トランプ劇場」

政治家の是々非々は、後世に託すべきであって、現代に生きる我々が簡単に評価すべきではないと思っています。

それでは、いつから評価が始められるのか。
①その実績が完了していること。スポーツ選手ならば引退が好例。
②その実績に関する史料が豊富にあること。
③近くにいる人からの証言が取れること。等々。

ということは、現在進行形のものは難しい、或は評価はできないということになります。

人事考課。一応、前期を評価します。本当か。人の知識・思考・行動は、そのはるか前からの蓄積が「前期」をもたらしているので、前期のみの評価を下すことは難しいとは思いませんか。

前期を「ノルマ」で評価したとします。一般に、「ノルマによる評価」はよくないと言う印象があります。例えば、「16年度下期 受注1億円」は結果だけです。しかし、その前の過去を引きずった評価でないとするならば、つまり本当に「前期」だけを評価するならば、妥当な評価だとは思いませんか。そうしたら、「今回がダメなら、来期がんばろう」とはならないでしょうか。

ハロー効果。「あの人はダメ」と決めつけた気持ちは、評価に影響をもたらします。それは、評価される人には伝わるもので、更に人事考課で示されれば、もう決定的。そのように評価された本人は落胆し、成長が止まる。

ノルマによる人事考課を推奨もしませんし、否定もしません。
しかし、評価する人が過去を引きずって前期を評価するなら、「前期のノルマ」の評価も難しいかなと思っています。そうかといって、前期とそれ以前を、別人の如くゼロクリアして評価することも難しいですよね。

仕事のことは考えるが、自分のことは考えない 仕事に向かって逃避してる?

2017年01月27日 07時52分25秒 | 日記
仕事は大変だ。次から次と問題が降りかかる。その対応に日々追われる。しかし、「それが仕事だ」と観念する。

そして、あるとき、ポッカーンとしたとき気づく。いや、実は時々気づいてはいるが、敢えて考えないようにしている。何か。「自分のことは考えていない」こと。考えたところで何かが変わるというわけではないから? 或は「今は仕事」だから? 

逆に言えば、「自分から逃げて、仕事の方に向かって逃避してる」と言うのは言いすぎでしょうか。

では、「自分のことを考える」って、どうやれば。

それこそ、キャリアデザインの手順があり、市販の本でも読めば概略はつかめます。しかし、大部分の人が、キャリアデザインの本を読んで「よし、やるか」となるのでしょうか。

そもそも、「自分を変える気力・努力を考えたら、今の自分を踏襲しているほうがラク」では?。

そして、もっとも難しいのは、キャリアデザインの決まり文句=『「強み」を生かしましょう』というセリフ。そk「強み」は、人と比べて相対的に多少勝る強みではないかなと思います。そうでなければ、就活で全員が内定取れるはず。もちろん、就活では「強み」だけで判定されませんが。

こんな例は如何でしょう。江戸時代の浮世絵。時の政権からも侮蔑された絵画。
しかし、ゴッホを始め、印象派の画家たちは、競って浮世絵を画風を模して傑作を残しました。
そうです。浮世絵は印象派の先生なのです。日本における世界に誇る「強み」でした。
今の日本で言うならば、輸出で稼いでいるアニメみたいなもの。
この強み。鎖国の日本にあっては、徳川政権はおろか、描いた本人だって知らないでしょう。

キャリアデザインにもそういうところがあると思います。自分で自分のここが強い???。
考えないよりいいですが、過信は禁物。

そう言う意味では、「自分のことは考えない」気持もわかるのですが、「強み」を知る・知らないでは、自信に雲泥の差が生まれますよね。


基礎は大事。しかし、もっと大事なのは基礎の使い方

2017年01月26日 06時50分15秒 | 日記
「基礎は大事」と、誰もがいいます。この言葉に反対する人はいません。
しかし、基礎ってなんですか?と聞くと、案外ファジィな答えが返ってきます。ファジィというか、これが基礎の全貌というものがありそうでない。いや、ある。。。。

例えば、プロジェクトマネジメント。計画・実行・検証・是正というPDCAについて、より精緻化した「知識」体系。

実は、「プロジェクトマネジメントの知識体系を用いてうまくいきました」という話はあまり聞きません。この知識体系を守って仕事をするのは正しいと思いますが、かなり大変。

この道のプロならばいうでしょう。「これはプロジェクトマネジメントについて基礎となる知識体系であって、方法論として強調しすぎるのは曲解」と。

要するに、基礎は大事なのです。但し、その基礎を自分の業務にどう活用するか。それは、各人の工夫・努力に依存する。

もし、多くの人が活用に苦労するものは、基礎としての活用のほうを考えるべきでしょうか。

プロジェクトマネジメントの知識体系を揶揄しているわけではないのです。ただ、初めて学ぶ人には難しい分野。せっかくの体系が残念と思っている次第です。


その問題は誰のものですか? 解決者はだれですか? 案外、混迷状態。

2017年01月25日 07時42分21秒 | 日記
「これは大変な問題なんです」と言われた時、どう思いますか?
「そうだな」と思うとき、「そう?」と半信半疑になるとき、或は「その問題、自分には関係ないよ」というとき。色々とあると思います。

私が気になるのは、「その問題って、誰の問題?」ということです。例えば、甲さんが自ら「甲の問題」と言い、他に関係する人がいなかったら、他の人からは「がんばってね」と言われるでしょう。つまり、「私は数学が不得意です」に対しては、「甲さん、がんばって勉強しよう」です。

では、甲さんが「それって、乙さんの問題です」と指摘し、乙さんが「そうですね」と認識してくれたらよいのですが、そうでない場合は厄介です。当人の問題なのに、問題と思っていない。或は逃げている。

そして、更に問題を複雑にしているのは、「解決者は誰か」と言う点です。問題の解決者が、問題の当事者ではない場合がございます。例えば、経理で決算業務に支障が出ているといます。経営幹部から「何やっているんだ」と言われても、社内の情報システムを修正しなければならないとすると、経理担当者は情報システム部門に依頼せざるを得ない。

ここで困るのは、問題の解決者が問題の当事者ではないとき、「よし何とかやってみよう」という気持ちになってくれるか否かです。

「その問題は誰の問題か」「その問題を解決するのは誰か」でもめている、或は曖昧にしている状態。問題そのものよりも、そちらのほうに視点が移り、却って問題が大きく、且つ複雑に見えてしまう。これは、組織にとって無駄なことであり、組織が混迷する状態を招いたりします。

「やりぬく」の判定は? 

2017年01月24日 07時40分42秒 | 日記
「GRIT やりぬく力」という本が話題になっています。
わたしも、走り読みですが、読んでみました。書いてあることはなるほど思いつつも、この本が売れていることの背景は、「やり抜くことがいかに難しいか」を感じました。

「やりぬく」について、気をつけたいのは、「この方法しかない」ということへの評価だと思います。「この方法でよいのか」について冷静な見方。むろん、気持ちとしては、絶対にやり抜くという姿勢は大事だと思います。

絶対やり抜くという気持ちと、この方法しかないというのは同じではありません。わたしは、ここを勘ちがいしないようにしています。この方法は、自分の考え・方法に固執しないこと。これにつきると思います。

普段の努力がある中で、「聞く・調べる・考える」こそ、やりぬく力が必要なのではないかと思います。

このとき、誰に聞くとよいのか。どうやって調べたらよいのか。どのように考えたらよいのか。こういうものをもっておくとよいのでしょうね。これも試行錯誤の連続です。

「これひとつでやりぬく」ということで、歴史的な失敗はいろいろあります。ここで挙げるのは不適切ですので挙げませんが、残念な過去を糧としなければなりません。

「やりぬく力」アンジェラ・ダックワース著 神崎朗子訳 ダイヤモンド社
  ↓
https://www.amazon.co.jp/%E3%82%84%E3%82%8A%E6%8A%9C%E3%81%8F%E5%8A%9B-GRIT-%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%88-%E4%BA%BA%E7%94%9F%E3%81%AE%E3%81%82%E3%82%89%E3%82%86%E3%82%8B%E6%88%90%E5%8A%9F%E3%82%92%E6%B1%BA%E3%82%81%E3%82%8B-%E7%A9%B6%E6%A5%B5%E3%81%AE%E8%83%BD%E5%8A%9B-%E3%82%92%E8%BA%AB%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%91%E3%82%8B-%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%A9-%E3%83%80%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%B9/dp/4478064806/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1485210901&sr=1-1

特別号:稀勢の里の優勝に思うこと ⇒ 「精神面が課題」?

2017年01月22日 19時29分00秒 | スポーツ
大関・稀勢の里が優勝しました。横綱も確定ですね。おめでとうございます。
これまで「あと一歩」という機会が何度もありました。その度に、「ここ一番の勝負に弱い」といわれ、精神面の強化を指摘されてきました。

あんなに強いのに、プレッシャーや緊張で普段のように身体が動かなくなる。それを乗り越えたのが今場所。

こういう見方は不適切かもしれないですが、「精神面の弱さ」という指摘をしすぎると、本人もそう思ってしまうのが怖いです。これは稀勢の里に限りません。

私は、稀勢の里は「慣れてきた」という一面があるのではないかと思っています。昨年は、初場所から準優勝の連続。それは周囲からみれば残念ですが、毎場所優勝に絡んだことで、良い意味で勘所が掴めて来たのではないかと思っています。

社員もそうです。若い人をみていて、「精神面が弱い」と思うことはあるでしょう。
しかし、機会を与え、更に増やしていく中で、慣れて成果を挙げ、育つのではないでしょうか。



上司の優劣から、仕事の優劣、能力の優劣を考えたことはありますか

2017年01月22日 08時28分31秒 | 日記
上司に優劣はつきもの。そこに好き嫌いは出るのも仕方がない。その際、仕事に対する思い入れがないと、仕事まで嫌いになってしまうことも。

気持は分かりますが、この気持は変えた方がいいと思います。能力が停滞する恐れがあります。

裏を返せば、仕事をする姿勢が上司依存かもしれません。ひょっとしたら会社依存。
これは、大企業の社員の方に見られますね。失礼な表現でお詫びしますが、「ぶら下がり健康法」。

「職業に貴賎なし」と言う諺があります。仕事に対して良い・悪いという感覚は、あまり考えないかもしれませんが、配属先の職場の雰囲気や、仕事の内容で左右されのるかと思います。

確かに、魅力的な仕事、そうではない仕事、注目される仕事、日陰の仕事。それぞれあるでしょう。

こういう要素に縛られて、仕事に対する適性の有無を考えるのは良いことではないと思います。 むろん、今の仕事以外のことを考えるなということではございません。外的要因を気にしすぎて、自己の能力向上の機会を見失うことを恐れています。

今の仕事から、仕事の本質を考えてみる。顧客・社会も含めて、その仕事に関わっている人について考えてみる等、いろいろなことを考えるのが必要ではないかと思います。

かつて、勝ち馬に乗った営業職で、今はもうひとつという人がおりました。たまたま時流に乗っただけ。先輩方が敷いたレールに乗っただけ。能力のアップは乏しかった。本人、それに気づいていたようです。気づいて変わらなかったのはラクだったから。「今更、、」の気持ちも。

賢明な皆様に、釈迦に説法で恐縮ですが、やはり最後は自分自身ですね。



「組織は戦略に従う」について

2017年01月21日 07時35分59秒 | 組織
経営学者・チャンドラー(1918~2007)の言葉に『組織は戦略に従う』という名言がございます。
シンプルですが、それ故に忘れられない名言です。

チャンドラーのこの言葉を知らない会社員に、「組織は〇〇に従う」の中に、適切な言葉を入れなさいという問題を出したら、「組織は社長に従う」と回答するのでは?(苦笑)

組織は、それ自体何もするものではありません。よく、どの会社も組織の改定をしますが、社員はどこ吹く風。淀んだ組織に、仮にカンフル剤として組織を改定しても、効果は不透明です。

組織を変えないとマンネリになる? ひとつの真理だとは思いますが、固定観念では?。
容易ではないが、ビジネスを変える。それに伴って人も動く。これはマンネリな組織風土を変える社内活性化の施策より有効かもしれません。

組織と人について、次の四点から考えてみます。
 a.組織改定&人の異動あり  b.組織不変&人の異動なし 
 c.組織不変&人の異動あり  d.祖織改定&人の異動なし

まったく新しい戦略を構築するならa。その状況を見極めるならb。
戦略に変更、テコ入れが必要ならa,c,d。

実際は、こんな単純ではないが、モデルとして考えると上記の4類型があるのかと思います。


コンプライアンスは難しい。しかし遵守する。

2017年01月20日 07時17分04秒 | 日記
コンプライアンスは難しい。これについて、こと詳細に話す必要はないと思います。

コンプライアンスを法令遵守と訳したことに色々な意見があります。法律を守るのは当たり前。しかし、それだけでは何か足りない。

それは何か。人の心ではないかと思います。
人の心? 「法律さえ守っていればいいではないか」
そうなのでしょうか。

法律が未整備の場合。或は複数の法律を運用するときに、それぞれがバッティングする場合。
ここでは本当に難しい判断が求められます。

更に、「本当に難しい」のは、ここに人間の感情が加わるケース。これは、事実とそこから構築された論理だけでは解決しないケース。この場合、個別の対応も考えなければなりません。

しかし、その個別の対応は、「その時がよければよい」では不十分で、一貫した姿勢がもとめられます。これがないと、都度対応が右往左往して困惑する。

話し変わって、コンプライアンスを無視して、挑んでくる組織もあります。こういう組織に対して、グローバルスタンダードとしてのコンプライアンスを唱えても、馬の耳に念仏。くやしいですね。

結論。コンプライアンスは難しい。しかし遵守する。
   これ以上、申し上げるべき言葉はありません。






「自社と同じ分野を持つ競合がライバル」という思考が、新たな敵への対応を遅らせる

2017年01月19日 07時08分17秒 | 事業戦略・技術戦略
 日本の本屋さんの数が減っています。大変残念。99年に23,000店弱だったものが、いまや14,000店ほど。実際はもっと少ないかもしれません。
                       ↓ 
            http://www.1book.co.jp/001166.html

原因は色々あるでしょうが、ひとつにはインターネットで本が買えるようになったことは大きいですね。

インターネットで本が買えることについて、このビジネスが始まった時、どう思いましたか。
私は、本を手に取って見ないで、本を買う人って増えるのかなと思いました。

現在、「本屋さんの競合は本屋さん」というよりも、インターネットの書店が最大の競合となりました。また、あまり声高にはいえませんが、公立図書館の充実ぶりもあるかもしれません。また,文学全集が入っている電子辞書とか。これも競合のひとつかもしれません。

上に書いたことは、特別新しいことではありません。しかし、「今までと異なるタイプの競合は、どこにいるか」という質問に対し、明確に答えられる場合は、既に相当な競合になっていることの証明でかもしれません。

一方で、「隠れた競合がいるのかわからない」場合、まだ影響が大きくないのかもしれませんが、一気に頭角を現してくるかもしれません。ここへの対応が求められるのでしょう。しかも、早急に。

しかし、より重要なことは、どこにどんな競合がいるかという探索以上に、市場・顧客にどんな価値を提供すべきか、それはどのような仕組みで実現すべきかと言う点なのかもしれませんね。




「やってもいないでコメントせず、渦中の栗を拾ってから言ってほしい」の気持ち

2017年01月18日 07時31分44秒 | 日記
「近年、若い人が本を読まない。ゲーム、スマホ、アニメ」と旧世代の嘆きは、今に始まったことではありません。

個人的には、これは回答が難しいと思っています。まず、ゲーム、スマホ(SNS、LINEのことを言っていると思うのですが)、アニメを一括りにして語ることが間違い。

どんな媒体にせよ、その媒体から得られた「何か」を考えた発言ではないから。
大切なことは、その「何か」と、現実の世界をつなげて考えられるか否かかと思います。

その際、「世間一般ではこう考えている」と、「自分はこう考えている」の両方をもっていること。前者だけでは意志無き協調性、後者だけでは唯我独尊に走る。どちらもダメ。

会社に入って、変に協調性を意識して和を重視しているものの、単なる付和雷同にしか見えない場合がある。

一方で、「ここを突きぬけて、突破してほしい」という場面で、思考と行動が一致せず。そのコメントが、なんともいえぬ唯我独尊なこと。自己の正当化。しかし、気持ちはわかる。

「これはいえない」と思いつつ、「やってもいないでコメントせず、渦中の栗を拾ってから言ってほしい。」と言っていたある管理職の言葉が重い。

その際、他人の経験を、事実と論理で様々な体験ができる読書は大切だと思うのですが。そうそう色々なことに直接経験ができるほど、時間とお金に余裕があるわけではないだろうから。






「そのビジネスは止めろ」といえぬ「空気」

2017年01月17日 07時48分37秒 | 事業戦略・技術戦略
「なんだ、この有り様は!! 何やってたんだ」 上位職位にある人が罵声が発する。会議室は悲壮感に満ちた空気になる。担当者の歯切れが悪い。

こういう場面は、どんな会社でも見られる光景です。しかし、こういうやりとりが成されるにもかかわらず、「このビジネスは中止。撤退」という声は聞かれないです。

それは、契約しているから仕方がない。確かに。それなら、その後、似たようなビジネスで成功するかというと、そうでもない。

「何度言ったら分かるんだ!! 前回の反省が活きていない!!」それはそうでしょう。前回の反省って、意外となされていないから。なんとなくわかっていても、その時の反省であって、普遍的な反省にはなっていないから。

そして、失敗は繰り返す。決断すべき人が「止めろ」と言わない。それは決断力が無いと言う単純な理由だけではない。決断する要素が足りないから、それが明らかになるまで決断できない。しかし、決断する要素が下から挙がってこない。挙がってこないと、実は決断する人もどんな要素で決断すべきかわからない。

一方で、決断する人が決まっているようで、「不在」に見える場合もある。これも組織の重傷。

衰退する事業には、MBA的なツールの分析により、その要因は分かる。しかし、その分析の前に、その組織にいる人たちの意思決定のプロセスが気になる。そして、勇気ある撤退。(撤退に代わる新しいビジネスが無いのも痛い)

色々な会社の事例を見聞きするたびに、ここに衰退の兆しの一因があるように見えてならない。