サロン・風変わりな人材開発の宴 

人の育成について、色々な視点から書いていきます。これは、体験記であると同時に、次の人材開発施策に対するトライアルです。

ステークホールダー(利害関係者)の特定は、範囲外の人も含めて考えて(2)

2016年12月31日 21時00分04秒 | 日記
「ステークホールダー(利害関係者)の特定は、範囲外の人も含めて考えて」の続編です。

関係が明らかになったからといって、ステークホルダーが完成したことにはなりません。ステークホルダーは一定ではないのです。

時間の経過とともに、新たなステークホルダーが現れたりします。それは、向こうからやってくるとは限りません。こちらから探しに行って見つけ、関係性を構築する場合もあります。

同時に、消滅するステーホルダーもいます。それは、むこうから去っていく場合もあれば、こちらから手を切る場合もあります。

また、一度確立した関係性は、各々の距離と関係性の濃淡を考えなければなりません。
距離が近いから関係性が濃いということではなく、遠いから薄いというわけでもありません。その時の状況次第です。

どうでしょう。ステークホルダーって難しいですか。柔軟な構造を持つ、網の目のような糸で結ばれたシステムのようなものだと思います。


このブログを読んで頂く方で、年末の方もいるかと思います。年明けの人もいるかと思います。
「良いお年を」と「あけましておめでとうございます」の2つを同時に述べさせていただきます。

ステークホールダー(利害関係者)の特定は、範囲外の人も含めて考えて(1)

2016年12月30日 20時27分27秒 | 日記



 人は、仕事をするとき、関係部門、関係者のことを考えて進めます。それは当然です。さて、このときの「関係部門」「関係者」の「関係」とは何でしょうか。案外、前工程や次工程、社内各部門、そして顧客や競合も関係者、つまりステークホルダーとして入りますよね。

 ステーホルダーを考える時、どうしても「自分の関係者」で見てしまいます。それは、クローズしたステークホルダー。すると、あるときどこか抜けていることに気づく。情報の共有が進まないのは、実は関係者の範囲が狭いからです。

ステークホルダーは誰かを考える時、「『全体』とは何か」から考えます。その場合、最初は、その「全体」が無限に広がり、考えるのも面倒ですが、ヌケ・モレがあるよりよいです。どうしても、ひとりで考えるとヌケ・モレは発生します。

その際、「ほぼ無視してよい」「関係性は浅い」「関係性が濃い」等で考え、絞っていけばよいですね。

若い人が「部長や課長になりたくない」という。言いたくないけれど、誰のせい?

2016年12月29日 21時24分34秒 | 日記




若い人が「部長や課長になりたくない」という。それを聞いて、「覇気がない」とか、「部課長がだらしがないから」と言うことをいろいろなところで聞きます。多くの会社でその傾向がありますね。

人のせいにする言い方はよくないのですが、これって誰のせい? 若い人のせいではないでしょう。では、部課長? 分かる気もするけど、若手がいない部課長は若手の分まで仕事しているし、大変そう。

仕事の質。今の経営者が若い頃より今の方が難しい。経営者って、ちなみに今いくつ? 上場企業だったら60歳以上でなんでしょう。だいたいこの世代の人は、その後の大量採用時代の人を部下に持っていたから。人が大勢いますよね。大企業だと優秀な人も取れるしね。御神輿とかいうのは失礼かと思います。バブル崩壊、IT不況を乗り超えてこられたのでしょうから。

部下が大勢いる組織の経験値で経営者になった人に限って、「今の部課長はなにやってんだ」と言うらしいてすね。

部下がいない、または部下が少ない部課長という構造を作ったのはどなたでしょう。経営者ではないですか。もっとも「歴代の、」とつけないと失礼ですが。そのときの業績のため採用を抑制した結果でしょう。むろん、若手が弱い、部課長が今一つという声はあるというもわかっております。それぞれに改善点はあります。

ひとつ提案があります。

一度、現場の人と一緒に仕事してみたらどうでしょう。経営幹部の『現場武者修行』をご推薦致します。新たなモノの見方、人の見方ができるかもしれませんね。「事件は会議室で起きているのではない。現場だ」と。

普段、コミュニケーションがない人が犯したミスを罵倒してはならない

2016年12月28日 22時32分52秒 | コミュニケーション



 仕事をする上で、意見・考え方の食い違いはつきもの。仕方がない。たまたま、40代と50代の言い争いをみたときのこと。甲さん50代、乙さん40代。甲さんの怒りに対して乙さんは黙っていた。どうやらミスをしたのは乙さん。甲さんは乙さんを罵倒していたのを今でも覚えている。

 さて、この場面。「よくあること」で思ってよいか。その後、この二人の関係は冷え切ったままで、改善することはなかった。この甲氏・乙氏は、仕事上よく接点を持っている部門ではない。たまたま何かあったにすぎず、和解しなくても困る関係ではなかったようだ。

 このふたつの部門は、その後、業務上の会話は無くなった。すべてメール等。非接触これでいいのか。教科書的にはアウトだが、それはそれで済む場合もある。

 しかし、本当はこれで困ったことがあった。お互い相談することなく、双方の専門性を活かすべきところを、勝手な思い込みで独自に進めて、不具合をお越し、社内外に迷惑をかけた。
 
 あのとき、最後は笑顔でわかれていたら。。。相手の言い分も聞き、逃げ道も作ってあげれば。
 
 むろん、普段から接点がある部門同士だったら罵倒してもいいというものではないが、なにかおぞましい感じがする。そんなに余裕がないのか。

 

「立場が人を作る」は本当か。

2016年12月27日 22時01分40秒 | 日記


 五輪で活躍した何人かの人がプロに転向した。プロになることは構わないが、所属している組織では何か難しいものかがあるのだろう。しかし、リスクはある。プロはすべて自己責任。支えてくる母体も自分で探さなければならないと聞く。


 会社員が錯覚しているのは肩書だ。年末になるといくつもの会社が挨拶に来る。受けた方は、自分もここまで来たかと思う。でも、それは肩書きであって実力ではない。むろん、社内的には力があったといえるかもしれないが。

「あいつが課長?」と思って驚く、呆れる。そんな場面はよく見る。たが、確かにこれまでの時代はその見方はある程度当たっていた。今は。冷静に見て、経験値で判断すべき事項はそれで可。だんだん、その比率が下がるというより邪魔になっている。40代以上の人たちの並みの経験値は特に。


 戦争で負ける時、実は負けた方は、はるか前に負けを悟ると聞いたことがある。太平洋戦争において山本五十六が語った「1年や1年半は暴れてみせるが」という言葉は、実はやる前から勝てる気がしなかったということ。連合艦隊司令長官というポストは「負け=自刃」の覚悟がいる。山本はその覚悟はあった。山本は、経験値で冷静に判断するところまでは出き過ぎの長官。

 敗軍を背負う長はつらい。負ければ悪く言われる。
 
 立場は人を作るのか。言い換えれば、今の企業社会で、立場はその時代にふさわしいリーダを作っていると言えるのだろうか。

 

日本型リーダーの良さは否定しないが、もはやその神通力に陰りがある。

2016年12月26日 23時41分48秒 | 日記


ある記事で読みました。外国人から見た日本の会社の変な習慣 =「稟議」「根回し」。。。まだまだあるらしいのですが。
その記事ではこんなことも書いてありました。稟議における無責任、上司の指示によって動く考えない体質、根回しによる時間の浪費。そして、依然として求められる協調性。

すべて耳の痛い話し。
しかし、それをすべて否定したらどうなるか。飛ばされるか、干されるか、無視されるか。そう考えるのがこれまでの日本人の考え方。

「それで勝てるか、日本企業」と言われて、自分は回答ができません。それで来たから。

優秀な人はいます。しかし、その人たちも、この空気に浸っているうちに、コメンテーターくらいにしかなっていない。

幕末、一番人材がいたのは幕府と言われています。但し、その人材は中堅クラス。彼らは巨大な官僚制の中で力は発揮できたか。維新後、能力ある旧幕臣が明治政府に起用され、倒幕に貢献した下級武士たちが地位を得られず、反政府運動に身を投じる。リーダー次第。

日本型リーダーの良さは否定しないが、もはやその神通力に陰りがある。
よく、明治維新以来の時代というのはあながち「うそ」でもなさそうな。


 


MBAは他社事例。社史は自社事例。企業経営で、理念・ビジョンが大事ならば社史から学ぶことは大事ではないかと思います。

2016年12月25日 10時19分29秒 | 企業経営



MBA(Master of Business Administration)という資格は、ご存じのかも多いかと思いますが、実際の企業経営の事例をもとに、講師と受講者が様々な視点から意見交換をしながら進めていく教育と思えばよいかと思います。

経営幹部、或は起業家をめざすには重要な教育ツールとして扱われてきています。ビジネス書を書く人の中にも、MBAを持っているひとは少なくありません。
ここでは、MBAについて苦言を呈したいということではありません。MBAが企業経営、事業経営を学ぶ、或は判断するということについて、十分な意義を持っていることは承知しています。

ここで、私が気になっている問題点が二つございます。

①テキストの題材のとなっている事例は、どういう立場の人が書いたのか。

②そのテキストをもとに意見交換する際、講師となる人がどんな視点を有しているのか。

この二つです。

「事実は小説よりも奇なり」という有名な諺がありますが、事例を書いた人が、対象となる企業経営等について、的確に描けているか。
おそらく、経営幹部や社員へのインタビュー、顧客や競合からの視点、財務諸表など様々なキーがあるかと思いますが、書く人の価値判断が入り、写真のようにはいかないでしょう。
さらに、そのケースを題材にしたときの意見交換で、講師が「このケースではこういうことが考えられる」とお話しになる。教育としては「確かに」で済みます。

結局、①②ともに間接情報でしかないから、深い本質に食い込むことができるのだろうかという問題意識が私にはございます。むろん、間接情報が×で、直接情報が〇ということを言っているのではありません。
 
「企業は人なり」ということは、今更いうまでもないことです。
MBAの事例では、人の心までは読めない。インタビューを受けた人が、的確にその時の状態を語ってくれるのか。
あるいは、そもそも的確に把握していたとしても、それを話してくれるのか。そこは事例を書く人の嗅ぎ分ける力が重要ですが、対面している人の心の内にまで入っていくことは難しいです。
経営学もそうですが、心理学のセンスが必要ですね。


私としての提案は、MBAもいいのですが、自社の歴史、つまり社史を活用できないものかと思っております。
むろん、難しさはあります。そもそも、社史はMBAのようなテキストとして商売のために作成しているわけではく、会社の記念事業の位置づけで作成しているケースが多いので、社員或はOBが過去の記事を拾ってパッチワークみたいにしてはめ込んだ程度になっていることがあります。

ただし、それでもよいのです。
できれば、そのときの社史で掲載された当事者がいて、意見交換してもらえるとよいのですが、むろん、人には言いたいこと、言いたくないこと、記憶の壁がありますから、「生きた社史」にすることは難しいかもしれませんが、その会社に脈々と流れる何かを感じ取れるのではないかと思うのです。

MBAは他社の事例です。社史は自社の事例です。企業経営では、理念・ビジョンと大事になければならないと言われていますが、それならば社史について意見交換して学ぶということは大切なことではないかと思います。
  

「嫌だ嫌だ」の苦しみに耐えるより、「嫌だが何とかする」という苦しみに挑まない限り、「折れない心」を構築できないかも。但し、、、。

2016年12月24日 10時36分07秒 | 日記
「折れない心」 これがこんなに難しい言葉とは思いませんでした。世代論で語るのは好きではないのですが、「折れる心の持ち主は、こんな解釈をするのか」ということに出くわすことが多いですね。その際、「本来、こう考えるもの」と説明すると、相手は黙ってしまう。実は、こうなるともうほとんどダメで、本人は聞けるだけの心の余裕がない。
 自分自身、「もう、勝手にしたら」と思います。先日、ある会社の人から相談を受けました。若手の態度について。それは尋常じゃない。「遅れてくるのが平気」。本当は、本人も平気とは思っていないが、「まぁいいや」か「しまった。でも今日は仕方がない」のくり返し。
 私は、相談してくれた人に対して、こう言いました。「まず、始末書を書かせる。それでもだめなら、会社の就業規則に則って処分する。もし、それを拒否をするなら、しかるべき病院に行くことを課する。ここで「〇〇症」とでも出れば、始末書の作成は不要、処分も行わない。会社は毅然とした態度で臨む。」と。
 実はこれには、遡った対応があります。職場としては、それ以前からもその若い人の要望は汲んできた。そこで業務内容の変更他、上司の態度改善等、配慮した結果の上でのこと。
 少子化、さらに大量入社層が50代を迎え、どこも将来を考えて、若手を採らなければならない。ここから先しばらく売り手市場が続く。先日会ってきた学生にもどこか余裕すら感じる。若手が少ない分、40~50代の業務への負担は大きい。若手に手が回らないというのは弁解ともとれるが、上司が「やってみよう」と言ったって、「やりません。やれません」では、どうしようもない。
 こんなことを繰りかえしていると、「グローバル人材の育成」なんて言葉が、はるか前の古典語のように聞こえてくる。「人としてどうなのか」と言うところからやらないと。
 残念ながら、こういう若い人と対峙できる人材開発担当者も少ない。いつもいうところのカリキュラムを回すのが役割になっている。しかし、よくよくその仕事をみると、確かにその仕事にはそれなりに意味があることがわかるが、なぜ、そこにそんな時間をかけるのか気になる。これ以上のことはやりたくないから、ゆるゆるとやっているように見える。
 しかし、本人はゆるゆるとやっていない気持ちでいる。仕方がないから私はこういった。「今のあなたの仕事は、次の段階でこうなることが予想される。そうすると、向こうからこんな回答がくるだろう。その時の対応として、可能性から考えていくと、、、、」。実は、過去自分が通ってきた道なので、どんなことをすると、どんなことになるのか予想がつく。「転ばぬ先の杖」の役割になるのは容易だが、これは育成としてはよくない。チャレンジ精神を忘れる。 では、「転ばぬ先の杖」を外してトライさせるとどうなるか。担当は「心が折れない」程度の仕事に留まり、悪循環にはまる。
 「嫌だ嫌だ」の苦しみに耐えるより、「嫌だが何とかしよう」という苦しみに挑まない限り、「折れない心」を作ることができないのではないか。これは、まだ仮説であるし、メンタルに入ってしまった人には向かない対策ではある。月並みだが、健全なうちは壁を越える試みに望ませないと。

「真田丸」の終わり。痛感:自分の人生は自分で作る。会社に委ねない。

2016年12月23日 09時48分03秒 | 日記
「真田丸」が終わりました。毎週、楽しみに見ていました。大坂夏の陣で、緒戦で豊臣方が善戦したのは知らなかったです。もうあの時代になると、大きな戦いは「関ケ原」くらいで、すでにそこから15年近く経過して、戦国時代の終末期で世代も交代。戦後の日本で言うならば、高度成長期から成熟期に入に入った時期。
 家康は豊臣家を潰したかったでしょうが、徳川方を始め、外様大名と言われる人たちは、「お付き合い」的な気持ちもあったと思います。それに引きかえ、豊臣方は浪人を抱えていました。浪人たちは、生活がかかっていますから必死です。それが緒戦の戦いに現れていたと思います。
 歴史には詳しくないのですが、交渉事においては家康が先行し、豊臣方がそれを受ける形でしたね。しかも意志統一もうまくできなかった。あれもうまくなかった。
 家康が、真田幸村に追いつめられ、いよいよ覚悟を決めたというのは本当のようですが、そうだとすると、家康も安全な場所に陣を張っていたわけではないですね。劣勢の軍勢に対して、30万の軍を率いた大将が、追いつめられること事態が徳川軍の結束力の弱さ・弱体化を物語って入るような気がいたします。
 勝てると思えない戦いに挑み、「あわや」と言う戦いにもって行った豊臣方の諸将は見事です。秀頼が自ら出陣していれば、もう少し戦況も変わったかもしれません。家康は老体に鞭打って、前線に位置し、秀頼は大坂城で待機して、様子を伺っていた。父・秀吉が何度も死地を潜り抜けてきたのとは、立場も時代も違うから仕方がないのですが、「ここだ」というポイントは逃さず出陣してほしかったですね。リーダーが陣頭指揮するのは是々非々ありましょうが、後方で適当にコメントされていると前線で戦っている将兵にしてみればおもしろくない。
 ビジネスの本・雑誌で、多くの社長のインタビューが掲載されています。それを読んでいて、「本当にこの人、やっているの?」と思うことは多々ございます。改革のネーミングこそ立派で、何かをやっている印象はありますが、会社員双六の上りのような人が改革を唱えても、よほどのことがないかぎり、肝心の社員が心を躍らせて仕事をするということは、まずありえません。「またいっているな」が関の山。日本の会社では、「失われた〇〇年」以降、「改革飽きた病」が蔓延している。結局どれも中途半端になり、中には取り組んだのかどうかも怪しいものもある。形だけ。
 他責になるが、あまりにも難しい時代になって、特に内部の「改革ごっこ」に追われて疲れた企業人は、外部環境の変化・対応に理解・追随するのも難しく、外で戦う気質も奪われていないか懸念しています。こういうときは、組織を当てにしない生き方だと思います。吉田松陰の意図を正しく理解していないかもしませんが、最後は草莽崛起(そうもうくっき)。志ある人が立ちあがれという意味で、かっこよすぎますが、言い換えるならば、少し控えめですが、自分の人生は自分で作る。会社に委ねないということですね。

会社の人財開発施策は、その会社の人材開発担当者のレベルに依存する。

2016年12月22日 22時28分55秒 | 人材開発部門
 「たいした研修ではないな」と思うときは、その研修を主催している人材開発担当者のレベルは高いとはいえません。むろん、一般論であるので例外もあります。しかし、大方この見方は当たっています。なぜでしょう。
 保身に走る人材開発担当者は、「自分が理解できないものはやらない」からです。上司から「なんでこの研修やるの?」と言われたら、「わかりません」とは答えられません。だから、この質問に回答できるものを選ぶ。ユーザーである社員の要望に応えることはほどほどにして。社員にしてみれば、「つまらない研修」に映り、研修中眠ってしまうのが関の山。
 当然、最初はその人材開発担当者は怒られますが、それが続くと「もうしょうがない」で終わってしまいます。そこしてそのままいってしまう。最後は、他人事という仕事に落ちつく。こうなると、何を言ってもダメですね。
 もともとは、そうではなかったのだけれど。人事部門にはエースがきますが、人材開発部門にはそこから落ちてきた人の溜り場となりことがあります。そういう人たちはわかるのです。「もう、落ち組」であるということを。みんながそう思うと、そこから這い上がらない。
 しかし。しかしですよ。実は、人財開発部門はそういうところではない。その面白さ、メリットがわかると飛躍的に成長することがてぎる部門なのです。それは時間をかけてお話していきたいと思います。それは信じていただきたく。
 

歴史上の人物で学ぶべき人は著名な偉人ではなく、名もなき有能な人たちです

2016年12月21日 22時05分16秒 | 歴史
温故知新。「歴史上の人物から学ぶことは多い」 最近、これ本当かと思うことがよくあります。誰でもいいのですが、教科書に載っている偉人は、確かに偉人に違いないのですが、ベンチマークとしてめざすには、少し無理があります。それは、この偉人たちには運が味方したことです。もちろん、幸運の後には悲運もあって朽ち果てた人もおります。ちょっと幸運の事例を挙げますと、
 織田信長⇒「桶狭間の戦い」は悪天候が信長の味方になった。
 豊臣秀吉⇒ お百姓さん出身の藤吉郎が天下を取ったのは、彼が信長の草履取りであればこそ。
       若造の藤吉郎が少年の信長をみて、信長は天下人になると思っただろうか。
 歴史上の人物にはこの種の天運があり、それは普通の人には訪れません。しかし、歴史の教科書には出で来ないが、有能な人はいくらでもおります。最近は、そういう人の業績をみていくほうが、身の丈に合っていると思っております。そして、市井の人が困難に直面しても乗り切っていく。地元の人や、その周辺の人には尊敬されるが、その話しも人伝えのうちに風化され、結局、石碑程度のことしかわからない。古文書でもあればまだいいほうで、それがないと真偽も確認できない。
 江戸時代の藩士。藩政改革で名前が挙がるのはその時の藩主ですが、それを現場で担っていたのは、沢山の藩士たちです。その中にキーとなる人材がいる。そういう人こそ、我々普通の人が学ぶべき人たちではないかと思います。
 それは、だれか。。。。無名ゆえに、調べれば我々の郷土の歴史の中にいるのではないでしょうか。決して、己が有利になるような欲張りではなく、後世のために仕事をしてくれた人たち。その人数が多ければ多いほど、未来の人が恩恵を受けている。そういう人への感謝を忘れないようにしたいものです。

「第三の矢」は、それを政府に頼るのではなく、「自助努力」の姿勢を堅持して。

2016年12月20日 21時56分22秒 | 日記
「モノ造りでもインターネットでも勝てない日本」という言葉をよく聞くようになりました。その裏側には、製品を作るためのマネジメント、つまり、プロジェクトマネジメントがうまくできないから。プロジェクトマネジメントについて書こうとすると、おそらく今回だけでは足りないので、思っていることを簡潔に書きますと、「モノの作り方の手順がおかしくなった日本企業」と言う表現が近いかもしれないと思います。
 「そんなことあるまい。無知蒙昧なことをいうな」とお叱りを受けるかもしれませんが、これは遠からず、当たっています。むろん、モノの作り方が本当はわかっているのです。しかし、その手順で作っていると、世界レベルで見たときに、高い人件費の日本は高コストとなって、競争には勝てません。
そうだとするならば、人件費をさげるためには、何をするかというと、工期を短くして作るしかありません。或は、同じ工期で10人を要して作っていたところを、例えば5人で作れば半分のコスト。。。とはなりません。そこに半分に減ったところを埋めるために、残った人が長時間の残業で埋めるか、派遣・請負で安いコストで不足分を穴埋めする。それでも勝てる保証はないです。
 10人の人を維持して工期を半分に減らすというのは、相当難しい。ひとり二倍のスピードといえば、話は簡単ですが、10人が連携して仕事をする場合は、当然、報告・連絡・相談もあります。その時間も半分でやらないとなりません。細かい説明をするのに、10分かかってたものを5分でしなければなりません。聞き手がそれを理解できないで作業すると、製品の不具合をおこして、あっというまに修成のためのコストがかかってしまう。これだったら、初めから10人でやっていたほうが、品質としては安定するかもしれませんが、国際競争力からみたときは、勝てないでしょうね。
 そう言う戦いの中に日本の製造業はいると思います。この場合、圧倒的に他国に追いつかれないモノを作って売り歩くしかない。しかし、他国が追いつかなハイレベルなものをつくった所で、それを必要とする市場・顧客がいないと、すべて棚残となり、作っても売れないまま不良在庫と化していくわけです。売れなければ、お金が入らず、お金が入らないと、従業員にお給料を支払うことができず、倒産もありうる。「そんなことあるまい」と思うかもしれませんが、もう「豊かな国・日本」とはいえないと思います。先日、某局で「子供の6人に1人は貧困家庭」と放送されていました。もう、「先進国」「経済大国」は昭和の言葉で、今や昔の感すら致します。
 いつまでこの状態が続くのか。というよりキープできるか。或は徐々にスローダウンしている経済は、どうなっていくのか。「第三の矢」と言われて久しく。わたしは、それを政府に頼るのではなく、基本は「自助努力」があってこその「第三の矢」だと思っています。それは苦しい戦いです。でも、人類で、戦後復興後の高度成長が、稀有な時代であったことはいうまでもありません。それを恋焦がれても仕方がないと、私自身に言い聞かせています。

「会議の長=職場の長」より、「会議の質問者=職場の長」は如何でしょうか。

2016年12月19日 21時40分37秒 | 管理者
「会議の長=職場の長」というケースは多いですね。多いというか当然なのかもしれませんが。この場合、部員は自由に意見が言い憎いですよね。いくら、「自由に意見を言ってよい」と言っても、上司と異なる意見を言うことは難しい。むろん、会議の決定は、その場の会議の長を務めた職場の長でいいのですが。
 「そんなことは私は大丈夫。部員の意見は聞きだせているから」と思っている職場の「長」の方がいたとしたら、少し考えてみてください。会議中、自分と同じ意見を言う部員に対しては、「ウンウン」と頷いたり、「そうだね」と言ったりしていませんか。一方で、自分とは異なる意見を言った部員に対しては、どこか面白くない気持になりますし、それは我慢していたとしても、表情には出ますよね。その表情を部員はみています。「長」が不満そうな顔していたら、「ああ、これは反対なんだな」と察知し、「長」とは異なる意見になりそうなものは言いだしにくくなります。そう思いませんか。「長」である皆さんだって、そうなのではありませんか。これまでの日本の会社では、それができない人の多くは、「上には上がりにくい」のですから。
 「会議の長=職場の長」がダメだとしたら、「司会=職場の長」はどうでしょうか。「それではみなさんやりましょう。自由に意見を言ってください」と軽快に開会を宣言したとしても、部員は、軽快なノリにハマって気楽に意見をいうでしょうか。この場合、私は、「長」の個人的な資質に依存すると思っています。上手にファシリテーションしているのかもしれません。部員間同士の問題ならば。しかし、部員間同士の問題で決着がつかない時、部員はどうするかというと、「長」に意見を求めるか、或は決定を委ねるかです。そうすると、「司会=職場の長」は、「意志決定=職場の長」にならざるを得ません。むろん、そのことを否定するつもりはありません。随所、随所に「長」としての判断を入れるのは当然でございます。しかし、その意思決定をした瞬間、解放されるのはその問題について考えなくて済んだ部員です。この場合、時間との戦いということを考えたとしたら、「長」が意思決定者として「君臨」するのは止むを得ないかもしれませんが。
 では、会議の時、「職場の長」はどうすればよいのか。発言してはまずいのか。そんなことはございません。最後、決めるのは自分であるということを考えると、自分の意思決定の確度を高めるために、良い方法がございます。それは、部員に対して質問をすることです。「それってどういう意味? よく知らないんだけれど」と返してみましょう。これですね。すごく微妙な表現で、次のように答えたらどう思いますか? 「何言ってるんだか分からない。なんだそれ」という言い方です。私は、この質問に対して、「分かろうとしないあなたが悪い」「理解できないアタマの回転がよくない」「現場知らず」と思っています。「長」自身が自分の思考回路にハマらない場合、「何言ってるんだか分からない。なんだそれ」と発言をする人はけっこういますね。表現を間違えると、部員を頭ごなしで否定することにもなるわけです。
 だからと言って、「へりくだれ」と言っているわけではありません。端的で的確な質問は、部員のアタマを整理することができ、その結果、わかりやすい意見がでることがございまかす。ある意味で、コーチングだと思います。「会議の質問者=職場の長」は如何でしょうか。 

挫折を知らない若い人への対応について

2016年12月18日 14時23分21秒 | 日記
年に数回、学生さんとお話する機会がございます。この頃、こんな質問を受けることがございます。「採用面接で、貴方の挫折した経験をお話しくださいと言われて回答できませんでした。なんて答えればよかったのでしょうか。」と。そこで、私は「挫折という言葉を失敗・後悔したことと考えてみたら、あるのではないですか」と。しかし、ここでも「そういうものはないですね」と回答を頂きました。もちろん、鉛筆で誤記し、消しゴムで消したものは失敗のうちには入らないという認識はあります。まぁ私が採用面接をやっているわけではないので、お互い気楽に話しているのですが、どう対応してよいいのか困りました。
 少し考えて、私は次の質問を投げてみました。「何か目標をもって取り組んだものはないですか」と聞いたのですが、「そういうものもないですね」と回答。さすがにも困りました。実は、この質問の意図は、学生さんがどんな失敗をしたかを知りたいのではないのです。成功・失敗をどう理解しているか。もし、それが失敗だったとしたら、原因は何か。原因に対してどんな対策を考えたか。対策の実行はどうであったか。実行した結果はどうであったか。そして、それが当初目標と結果の乖離があるとするならば、それをどう考えているか等の質問ができるのです。面接が紋切り型にならないための対話ができるのです。この対話により、そのひとの姿が浮かび上がってくるので。
 しかし、それもないということなので、「では、今やっていることで、失敗しそうなことを想定して、そこにはどんなリスクがあり、どんな対策があり、どう実行していくかを考えてみませんか。例えば就活なんかよいテーマかもしれませんね」という回答をしておきました。
 事の当否はどうであれ、こういう人が会社に入った後、大丈夫かなと思いましたね。今までが順境すぎたのであって、これからはおそらく多くは逆境です。レジリエンス、つまり折れない心、跳ね返す意志をもって、実力を発揮していかねばなれません。それができるでしょうか。
 私は、これは「不幸な順境」と名付けています。もし、嫌なことを避けてきたとしたら、マイナスです。言葉が不適切ですが、「負け戦」とわかっていても、最小失点に抑えて切り抜けなければならない立場に立たされます。大なり小なり。どんなことでもよいから、勝負する場面に身を置くべきと思いました。できれば、チームで役割を担った中で、成功・失敗を経験してほしいですね。

過去を20個のマス目で見て振りかえっても、見方が変わらなかったとき。

2016年12月18日 09時46分30秒 | 日記
 前回、「20個のます目で取り組んでもね過去の見方が変わらない」ときどうするか。その場合の結論は、他人と一緒にみるということがオススメ。人は自分と見方が異なります。それによって、視点が広がり、良いアイデアが浮かんでくるのかもしれません。しかし、富士山と言う山を絵に描こうとしたとき、山梨県から見た時と、静岡県から見た時では、同じ風景でない野と同じように。但し、他人に見てもらう場合、注意しておきたい点は、他人が、その失敗に至る背景やプロセスを知っていないと、或は協同していないと、主体者たる自分にとって「響かない指摘」を受けることもあります。だから、他人ならば誰でもいいというわけではありません。
 これ、ビジネスでいうならば、チームでやれるといいですね。製造業ならば、営業、開発、設計、製造、品質保証、サービス、経理、資材調達など。総合的にみられる。しかし、これについては個人と違った視点がひつょうです。こりらついては、また次回。