サロン・風変わりな人材開発の宴 

人の育成について、色々な視点から書いていきます。これは、体験記であると同時に、次の人材開発施策に対するトライアルです。

人材は、沈みゆく船から降りていく。

2017年02月11日 21時44分23秒 | 日記
英国(19世紀)⇒ 米国(20世紀)⇒ 日本(20世紀後半)⇒東南アジア他(21世紀)。モノづくりの系譜は、この流れを辿ってきています。

米国新大統領は、この流れを戻そうとしています。いかなる非難を浴びるにせよ、「雇用を生む」という政策は正しいです。しかし、ここには前提があります。

ある程度の品質をもったものは、どの国でも作ることができ、供給過剰になります。消費者がさほど高機能なものを求めていないと、需要<供給で、当然、価格は下がります。すると、賃金の高い企業は、コスト高で勝てません。よって、それを予期して新大統領は保護政策に走る。

農作物は世界の人口増加とともに、需要>供給となり、モノづくりで豊かになった発展途上国の購買力も加わり、超長期的には価格高騰に向かいます。米国はここにも活路を求めているかも。

モノづくりで発展途上国に追いつかれ、そして負けていく日本が外貨を稼げず、且つ食料自給率の低いことは、将来において致命的といえます。

そんなことはない。「日本にはまだまだ強い会社があるから」 それは幻想にしか思えません。

幕末、幕府の御用商人だった豪商は、幕府危うしと見ると、薩長に鞍替えしました。ビジネスとはそういうものです。

そもそも、グローバルというのは国境がないというもの。世界で通用する人材の育成はよいのですが、人材も欲があり、沈みゆく船から降りていきます。

企業から海外のMBAに派遣され、世界を見る。高度成長期と比べて今一つの日本企業。その旧態然とした体質に疑問を抱くが、自分一人でどうなるものでもない。

会社を辞めて新天地をもとめる。当然です。


「坂の上の雲」 どうしてあの命令に従えたのだろう。いたたまれない。

2017年02月11日 06時44分30秒 | 歴史
司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」を読まれた方は多いと思います。経営者で愛読書に挙げてる人もけっこういますね。

素晴らしい作品なのでしょうが、作品のことよりも、私は不思議でならないことがあります。それは、203高地での繰りかえす突撃。何度やっても多大なる死傷者。何万人?

ここでは、司令官・乃木稀典(のぎまれすけ)の指揮の是々非々については語りません。その命令に従った若き軍人たちの気持ちについて述べたいのです。

軍人は命令に絶対服従ですが、私なら「こんな戦いで死にたくない」と思う。
与謝野晶子の「君死にたまふことなかれ」の気持に同感ですね。多分、彼らだって。

集団心理なのでしょうか。「みんなでいこう」という気持ちにさせたのでしょうか。

一方、同じ日露戦争で日本海海戦における海軍の死傷者は117人。確か、この戦いの後、戦艦三笠が日本に戻ってきたとき、弾薬庫の爆発事故のため沈没。この事故では339名の死者を出しました。
事故より戦死者の方が少ない。たまたまであっても海軍の戦死者の少なさ。

明治という時代に生きた人の凄さ、考えさせられる。
今日、会社が傾くのを命がけで支える人は、せいぜい創業家くらいではないか。

100年経って、いや100年どころではない。太平洋戦争から半世紀で、繁栄の日本。

私がディズニーランドに初めて行った時、最初に思ったことは、ミッキーマウスでもなく、シンデレラ城でもなく、203高地や神風特攻隊の隊員のこと。いたたまれず「申しわけございません」と言って、入園したことを覚えている。