サロン・風変わりな人材開発の宴 

人の育成について、色々な視点から書いていきます。これは、体験記であると同時に、次の人材開発施策に対するトライアルです。

人員構成の逆ピラミッド化が若手のパワーを活かせない構造に

2017年03月25日 06時45分16秒 | 企業経営
「勝てない」「よくて引き分け」「少し気を緩めると大負け」 そんなビジネスでの戦いになっている。

キレイごとが通用しないこの状態。今のオジサン企業人では対応できない世の中。

若い人に出て来てほしいが、経験の乏しさ、もうひとつのマクロ感、そして少し線の細い所があり、リスクではある。

リスクでも、それに駆ける。多分、それが明治維新だったのだろう。

そう言う意味で、幕末の長州藩主・毛利敬親という稀有な偉人。何と評価してよいのか分からない。

名君か。そして、下級武士が明治維新を造ったあと、自分はその表舞台に立とうとせず、隠居同然。

一般に組織はヒエラルキーで、下に行くほど人数は増える。それは一大パワーになる。しかし、今の日本企業は違う。人員構成が逆ピラミッド化しつつある。つまり、若手が少ない。勢力とはなりにくい。

 だから、明治維新のときのように、若い人ガンバレと言ってもなかなか難しい。これも今日の日本企業の苦しさか。

とりあえず仲良し役員 歴史ある会社の「仲間経営」の是々非々

2017年03月23日 07時05分43秒 | 企業経営
ある知人の会社。名前ときめく会社のお話し。「社長につき従う役員たちの、なんと「良い人」の集まりだこと」と皮肉たっぷりの愚痴。

こういう話しは、規模の大小を問わずどこにでもあることなので、改めて驚くことはございません。

さて、これの是々非々はどうなのでしょうか。

仲が悪い役員ばかりだと、下がやりにくい。役員が壁となって、組織が硬直化します。そして、そういう役員たちを束ねる社長もやりにくいです。要するにダメなんですよ。仲の悪い役員ばかりで構成された経営陣とは。

では、「仲よし役員」はどうか。実際は仲よし役員というのを期待するのも難しいのですが、ここまでの地位に来る人たちにはそれなりに人格やバランス感覚はあり(特に上場企業)、無駄な争いはしません。感情をむき出しにして争うことはしない。大人げないとなります。

しかし、怖い社長の顔色を窺うように、役員たちが同情相憐れみで、仲よし状態をふるまっている。

まぁ、こんなところです。

個人的には、「仲良し役員」「仲間経営」は若干賛成のほうに旗が上がります。しかし、危急存亡の時、討議に慣れていない人たちには厳しい試練と言わざるをえないです。
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「社員を大切にする」とは②

2017年03月13日 06時59分11秒 | 企業経営
「社員を大切にする」というのは、社員の雇用を守ることだけかなという問題意識がございます。

リストラしておいて、「社員を大切にする」という企業理念は矛盾していると思うかもしれない。
しかし、次のケースについては、どう思うでしょうか。

その会社で、「あるビジネスのトップレベルの人材をリストラする」

「そんなことはありえない」と思うかもしれないが、これは考え方によっては企業理念に反しない。

どういうことかというと、トップレベルの人材ならば他社でも働けるから。「そんなことをするわけがない」と思うかもしれませんが、次のケースが成立すれば、可能性としてありうることです。

①トップレベルの二番手につける人材のレベルが高い。
②技術の進歩によって、そのトップレベルのスキルでも、世の中が近い将来、追いついてしまう。
③そのビジネスが、会社にとってコア事業ではない。

逆に、普通ならリストラしたくなる層は切らない。この人たちの雇用は守る(但し、業績を理由に、賞与は大幅減とする)。

どうでしょう。トップレベルの人が、そのスキルが世間が追いつく前に、高値の花で買い取ってもらえれば、本人だって「切られた」気持ちは薄らぐはずです。

そういうことを考えると、社員を大切にする会社の本質は、「自社において雇用を守る」ことよりも、会社がどのようになっても、働けるスキルを持つ社員を育成することのほうが、理に適っているとは思いませんか?


「社員を大切にする」とは①

2017年03月12日 08時39分56秒 | 企業経営
「当社は人を大事にする会社です」という理念を掲げる会社は無数にあります。しかし思わず反語になる。

1.なんで3年で3割も若い社員が辞める?
2.なんでリストラする?
3.なんでセクハラ・パワハラする?

普通、そのように考えます。

「社員を大事にする会社」とは何か。
1は、「入って見たら違った」という気持ちで会社を去っていく。
会社説明会ではうまい話しかしない。入ってから、「これが実態か」という思い。
2は、会社の業績の結果、経営者の失敗を社員に押し付け、社員は会社を後にする。
せめて、業績が回復したら、呼びもどすくらいのことはやってもいいのに。
3は、会社もそうだが、その行為をした個人を責めなければならない。

2について、多分、経営者はいうでしょう。「この人たちを切らねば会社は滅びる。全社員を路頭に迷わすことはできない。会社が滅んでは、社会にも迷惑になる。」

本人たちは嫌でしょう。大手の高給取りが今より安い賃金に甘んじる気になれません。特に「なぜ自分だけが損をするのか」と思うから。では、大企業がごっそりなくなって人手不足の企業へ回ったら経済として活性化しないか。本人たちも「已む無し。再出発」と言う気持ちには、、、なりませんね。すみません。これは非常識な暴論でした。

しかし、雇用を守ること以外に、「社員を大事にする」考え方はあるのではないかと思います。


会社は社員ひとりひとりを元気にする力はありません。だからこそ、自分で自分を元気にしていこうではありませんか。

2017年03月06日 07時37分17秒 | 企業経営
人事異動の通達される頃ですね。すてに2月に指示を受けた人もいるでしょう。

「悲喜こもごも」の人事異動ですが、人によって感じ方は様々です。

諺で、「人間いたるところ青山あり」と言われています。赴任したら赴任したところでの素晴らしさはかならずあるものです。どうか前向きにとらえていただきたいと思います。

定年間近の人にとっては、複雑な思いですね。まさしく人生のターニングポイント。言葉でいうのは簡単で、申しわけないのですが、この苦しさ、寂しさは、筆舌に尽くしがたいという人もいると思います。

こういうときに必要なのは、簡単すぎることですが、「自らの元気の源」を思い起こすこと。「自分だけが辛い思いをしているのではない」ということ。そして、「いまの会社=私の人生」と言う思いをできる限り早く切り替え、将来を考えてみることです。

「その程度のことは、わかっています。励ましになっていない」 そうですね。そのとおりです。自分でもよくわかっています。

会社は社員ひとりひとりを元気にする力はありません。だからこそ、自分で自分を元気にしていこうではありませんか。






人員構成のいびつな形に、ある演算をしてみると。。。

2017年03月03日 07時04分44秒 | 企業経営
優秀な人材を採ったとはいえ、全員ほぼ社長になれない。(別に、ある分野の優秀さと社長としての能力はイコールとはいえないですが。)

何も社長になる人を採用しているわけではないですよね。優秀な人は欲しい。ただそれだけ。
採用人数が未達では上から怒られる。だから、数合わせと優秀さのバランスの中で採用担当が悩むわけです。

それでは、こんな考え方はどうですか?

「優秀な人:2点、普通の水準の人:1点 今一つの人:0点」と定めます。
具体的に、ある会社で3人を採用するという事例で説明します。
採用の目標として、優秀な人:1人、普通の人:2人とします。
これを算数的に、優秀者2点×1人+普通の人1点×2人=4点と定めます。仮称「採用に関する係数」(笑) もし、優秀な人が2人くれば、2点×2人=4点で目標達成です。

現実は、こんな簡単なものではないですが、採用活動を数値化しようとしたものです。

こんな算式で何がわかるのか。これを続けると、ある年度は優秀で、別の年度では違うということを示すことができます。

これ、優秀層が多いとよいと思うかもしれませんが、実はそうでもないですね。案外、優秀層が去っていく。よいポジションに全員が就けるわけではない。そうすると、この年代の係数が下がっていく。

よく、人員構成が極端になっていることが話題になりますが、上記の演算をすることで、人員構成のカーブも変わって見えるのではないかと思います。

会社はだれのものか・・・・「社員と経営の分離」

2017年02月18日 07時58分41秒 | 企業経営
ある会社が苦境にあえいでいます。どこの会社?  
 どこでもいいでしょう。ある意味でどの会社でも当てはまること。

「会社はだれのものか」 この議論はもういやというほどやってきたと思います。株式会社の場合、それは株主のモノという考え方がありますが、株を持っている人たちが、本当にそう思っているでしょうか。

経営学では、「所有と経営の分離」という語句がありますが、私は、最近の会社を見ていると、「社員と経営の分離」と言いたいです。

経営側が「こうしたい」と言ったら、社員は「勝手なこというなよ」と心の中でつぶやく。社員は、協力するふりをして、心底「これじゃだめだ」と思っています。

当然、業績不振になります。そしてお決まりのリストラ。
(このとき、大企業の場合、親会社から「流れてきた人たち」は温存されるのだそうですね。これでは社内不和が加速します)

経営側は、ついてこられない社員が悪いと思う。社員側は「勝手にしやがれ」。

そして悪循環にはまる。

これはもう、復活の兆しは、、、、。

社員が「なにをしたいのか」の心も掴もうとせず、「俺の言う通れやれ」の経営は崩壊の道が見えてきます。

しかし、これでは社員は気の毒。それでは、株主は気の毒ではないのか?
どうでしょう。株価が下がれば売ればよいと言う人が多いのでは。つまり有限責任社員だから。
そこに働く社員と同様な気持ちとは異なるでしょう。




「戦わずして負ける」part2

2017年02月09日 07時19分06秒 | 企業経営
前回、「戦わずして負ける」という、「戦わずして勝つ」をひねくった内容で書きました。少し、説明しておいた方がよいなと思って追記致します。

50代が「もう、これからは君たちが頑張らなければ」とい言って、40代以下に期待する話し。
伝統的な大企業では、50代に部長が集中しています。実は、40代以下に「頑張れ」と叫んだところで、実はこの50代の部長が邪魔になって動けない場合が多い。

若い人は、「(たいして働かないのだったら)早く辞めてもらいたい」と思っています。

会社は、日本の人口の縮図になっていて若手が少ない。頭でっかちの組織になっている。

昨日、50代における勝ち負けの話しもしましたが、その始まりは課長になるかならないかですね。各社で幅があるので、一概にはいえませんが、40代前後には見えてくるでしょう。ということは、大卒で会社に入って「15~18年」で今一つだと、お給料が上がるのがだんだん鈍くなり、そして横ばいのまま、或は下がって定年を迎えることに。

大企業の場合、30代でお給料が横ばいになったら、まずその後の昇進・昇格は難しいかもしれません。強い「引き」があれば別ですが。

管理職になる確率が15~18%程度。ならば、大部分の人は管理職ではないから、お給料がそうそう上がらない。ほとんどの人は、管理職が有する役割に相当する責任は持っていません。従って、「若い人、ガンバレ」と言われても、「権限がないからやりません」となる。「若手がやらないから進まない」のは管理職の責任。そこで、管理職が査定を下げても、実は大きく給料が下がらないのが大手。

結局、だれもやらない構図にみえます。そこで頑張るのは奇特な方か、何か好きな仕事でも見いだせたか。そういう人でしょうね。

「いや、そんなことない。きちんと仕事している」と反論する方がいらっしゃるかもしれません。

その時の解は、その仕事によって相手が付加価値と感じてくれるかどうか。
案外、そういうのを確認しないでやっていると思います。付加価値がないと思ったら必死に戦う。
でも、気にしていないから戦っているとは言い難い、故に、「戦わずして負ける」part2です
厳しい言い方で、お詫びしますが、これがよくみられる現実かもしれません。


「戦わずして負ける」

2017年02月08日 07時19分34秒 | 企業経営
大企業に勤めている人から聞いた話し。
「消しゴムとかの文房具用品が数十年分くらいある」と。思わず「文房具屋さんなの?」と聞いたら、「いやいや、普通の会社。在庫として持っているだけ」 

重ねて「毎年、〇億の部品を捨てている」というので、「そんなに粗悪品の部品を買っているの?」と聞いたら、「いや、使わない部品を在庫で持ってた。使わないから捨てた」と。

私は、「使わないなら、なんで買ったの?」と聞くと、「繰りかえしてダブって発注している。それと、これだけ持っておけば、短納期の対応のときに助かるから」 

私は黙った。心の中で、「短納期対応についてはまだわかる。簡単にジャストインタイムができるビジネスではないことも認識できる。しかし、『繰り返すダブル発注』はいけない」

「絶対にこれを無くそう」という掛け声(方針)は挙がるが、動かぬ組織・人に驚きの念を抱いた。多分、「だれかやれよ」なのだろう。ダブル発注については、システム上の問題と、システムを動かす人の問題がある。更に上流では、顧客情報の正確さも検証すべきだろう。

それをやらなくても、この人たちの給料は下がらない。自分の懐が痛まないなら、やるわけがない。

所詮、他人事。というか、他人事にしておいたほうが得。もし、その問題を解決して成果を出しても評価してくれないなら、無理してやる必要はない。人事制度を知って入れば、そうなる。例えば、50代になると経営者候補は明確。それ以外の人は、頑張ってもそれ以上の地位には上がれない=給料は同じか、ある年齢で下降する。よって「やるわけないだろう」が本音。

そうだとすると、「問題は人事制度にある」というのは癪に障るが、「ひどい社員だ」ともいえぬ。

この負の遺産を背負うのは、50代以下の社員。将来ある人たちにして見れば、不甲斐ない50代に腹が立つ。しかし、50代は内心わかっていて、「この問題、将来ある君たちが必死に取り組んでみろ。きちんと報酬はくれるから」と思う。

こうしているうちに、会社は衰退化の道を辿るのか。
これまでの議論の中に、強い外敵の存在は無い。つまりこれは自滅。
故に「戦わずして負ける」


MBAは他社事例。社史は自社事例。企業経営で、理念・ビジョンが大事ならば社史から学ぶことは大事ではないかと思います。

2016年12月25日 10時19分29秒 | 企業経営



MBA(Master of Business Administration)という資格は、ご存じのかも多いかと思いますが、実際の企業経営の事例をもとに、講師と受講者が様々な視点から意見交換をしながら進めていく教育と思えばよいかと思います。

経営幹部、或は起業家をめざすには重要な教育ツールとして扱われてきています。ビジネス書を書く人の中にも、MBAを持っているひとは少なくありません。
ここでは、MBAについて苦言を呈したいということではありません。MBAが企業経営、事業経営を学ぶ、或は判断するということについて、十分な意義を持っていることは承知しています。

ここで、私が気になっている問題点が二つございます。

①テキストの題材のとなっている事例は、どういう立場の人が書いたのか。

②そのテキストをもとに意見交換する際、講師となる人がどんな視点を有しているのか。

この二つです。

「事実は小説よりも奇なり」という有名な諺がありますが、事例を書いた人が、対象となる企業経営等について、的確に描けているか。
おそらく、経営幹部や社員へのインタビュー、顧客や競合からの視点、財務諸表など様々なキーがあるかと思いますが、書く人の価値判断が入り、写真のようにはいかないでしょう。
さらに、そのケースを題材にしたときの意見交換で、講師が「このケースではこういうことが考えられる」とお話しになる。教育としては「確かに」で済みます。

結局、①②ともに間接情報でしかないから、深い本質に食い込むことができるのだろうかという問題意識が私にはございます。むろん、間接情報が×で、直接情報が〇ということを言っているのではありません。
 
「企業は人なり」ということは、今更いうまでもないことです。
MBAの事例では、人の心までは読めない。インタビューを受けた人が、的確にその時の状態を語ってくれるのか。
あるいは、そもそも的確に把握していたとしても、それを話してくれるのか。そこは事例を書く人の嗅ぎ分ける力が重要ですが、対面している人の心の内にまで入っていくことは難しいです。
経営学もそうですが、心理学のセンスが必要ですね。


私としての提案は、MBAもいいのですが、自社の歴史、つまり社史を活用できないものかと思っております。
むろん、難しさはあります。そもそも、社史はMBAのようなテキストとして商売のために作成しているわけではく、会社の記念事業の位置づけで作成しているケースが多いので、社員或はOBが過去の記事を拾ってパッチワークみたいにしてはめ込んだ程度になっていることがあります。

ただし、それでもよいのです。
できれば、そのときの社史で掲載された当事者がいて、意見交換してもらえるとよいのですが、むろん、人には言いたいこと、言いたくないこと、記憶の壁がありますから、「生きた社史」にすることは難しいかもしれませんが、その会社に脈々と流れる何かを感じ取れるのではないかと思うのです。

MBAは他社の事例です。社史は自社の事例です。企業経営では、理念・ビジョンと大事になければならないと言われていますが、それならば社史について意見交換して学ぶということは大切なことではないかと思います。