サロン・風変わりな人材開発の宴 

人の育成について、色々な視点から書いていきます。これは、体験記であると同時に、次の人材開発施策に対するトライアルです。

退職した人に「ご苦労様でした」は、人によってはムカつく言葉

2017年05月20日 20時01分40秒 | コミュニケーション
退職した人に、よく使う言葉。例えば、「長い間、社業ご貢献され、。ご苦労様でした(またはお疲れさまでした)がございますね。

これ、退職した人のキャラクターや、会社に対する思いによっては、非常に不愉快な言葉に聞こえるそうです。

この場合、まず最初は「どうもありがとうございます」から入りるとよいと聞いたことがございます。むろん、いきなり「どうもありがとうございました」は変ですよね。ですから、
「今回、ご退職とお伺いいたしました。〇〇さんがご退職と聞いて、真っ先に浮かんだことは、、、、」と過去のご指導、お世話になったことを挙げると、相手の方は嬉しいそうです。

そういうのもなく、誰でも書ける「ご苦労様」文章は、退職された人からは、「ありきたりなこと書いてさ。儀礼じゃないか」程度しか思わない人も。

会社を去っていくということは一大決心なのですから、感謝の気持ちから入るとよいですね。

造語「ボッチハラ」 人をひとりにしてはいけない。

2017年04月06日 06時17分11秒 | コミュニケーション
パワハラ、セクハラ。マタハラ。色々な嫌がらせがあります。
これ私が作った造語です。「ボッチハラ」。???

なんのことかわかりますか? 要するに、一人にして、だれも声をかけないようにしてしまうこと。
本人に非があるとは思います。

そうでない場合、つまり本人に非がないと言えるような場合、この組織に属する人たち、そしてこの組織の長は無能と言い切って間違いないです。

たいした組織成果を挙げるとは言い難い。

こんな組織はけっこうございます。残念ながら。。。

コミュニケーション? コーチング?
申しわけないですが、関係ないですよ。
人間そのものが冷たいのだから。

残業時間の支払いの有無も大事ですが、関係者の存在が見えていない組織、仲間の存在が見えていない組織は、いずれ衰退していきます。これ、本当にそうなんですよ。

















目覚めましょう! 「コミュニケーション」は「飲みニュケーション」ではありません。が・・・

2017年03月24日 07時08分35秒 | コミュニケーション
「いったい何度言ったらわかるのだろうか。」とつぶやくことがございます。未だに「職場のコミュニケーションは、飲んで仲よくすること」と思っている人の多いこと。

断言しますが、それは絶対ありえません。あまり強い口調で言いたくないのですが、これだけは納得できません。

コミュニケーションは、職場で或は業務で、報告・連絡・相談がきちっとできることを意味します。
それができないのをお酒でなんとかしようというのは、どうかと思います。そもそも保育園にお迎えに行かねばならない人に不公平ではないですか。

きちっと職場で、業務で、人と向き合いましょう。自分と同じ意見の人ばかり集めないこと。

さあて、これまでのところは当然の話し。知ってる人は知っている。

知っている。けれど変えられない。

このとき、変えられないと何が困るか。それを本人が身に染みて感じないと何も変わりませんよね。

そこを、よ~く、みておくことでしょうか。個人差がありますが、そこをうまくつっつくと、変わるもんですね。








「業務の細分化」と「コミュニケーション」の関係

2017年03月11日 08時07分15秒 | コミュニケーション
人を育てるのは難しい。というより、人を育てる限界があります。OJTは、OJTをする人の範囲でしか指導できないという限界です。

業務の細分化により、教えられることが限られる。OJTの範囲が限定されたように思います。

だから、部下育成していないというより、「教えられる範囲が狭くなった」ということではないかと思うのです。

問題は、そけぞれの社員の業務の範囲が狭まったことで、業務と業務の間をつなげる仕事。ここが抜けてしまうことです。以前なら一人の人間の頭の中で展開されましたが、今は業務と業務をつなげるインターフェースの仕事が必要となります。

これ、インターフェースすればいいではないかと思うのは早計。業務が細分化されて怖いのは、誰にインターフェースしてよいのか分からないという現象が起きていることです。

「まさか、そんなこと」と思うかもしれないが、業務をスタンドアローンで考える人には、プロセス
を苦手とする。

コミュニケーションをよくするために対話を促進する研修もよいのですが、仕事の幅を広げることの方が、より有効なのではないかなと思うのですが。。。



「趣味は何ですか」への対処法---これも立派なコミュニケーション能力では。。

2017年01月31日 19時06分31秒 | コミュニケーション
「貴方の趣味は?」と聞かれて、スラスラと答えられ人は多いと思いますか? 少ないと思いますか?

いきなり唐突な質問で恐縮です。多いか少ないかは別にして、相手の人となりを知る、或は会話をスムーズに進めるための一助(?)として、「趣味は?」は頻繁に使われる問いです。

就活では決まり文句の質問なので、「答えざるを得ない」のですが、一般の大人は、ちょっとたじろぐか、回答が面倒だと思う人はいると思います。

社会人の場合、「何となく好きでやっている」程度で、自信をもって「これが趣味です」と言えるほどでもない。或は、付き合い程度で、のめりこんでいない。仕事が忙しくて、それどころではない。そんな声が聞こえてきそうですね。

仮に、「趣味は音楽です」と答えたとします。ふむふむ。すると、「どんな音楽が好きなんですか?」と重ねて質問がきます。この追及に「いやだな。いわねばならんか」と思う。音楽というのはジャンルが広く、次の回答で会話が途切れることも。(相手がこちらの音楽のことを知らないとそうなりますね)

本当は、相手と円滑な関係をつくるための質問である「趣味はなんですか」は、逆に相手との会話を途切れさせてしまうこともある。むろん、このとき、相手と趣味が合えば会話は弾むでしょう。
しかし、世の中に色々なものが溢れ、相手との共通項を見いだすことが難しくなりましたね。

だから、ここでもダイバーシティ。。。「その趣味って、どういうものですか。教えてください。」
教えてもらったら、感謝とその趣味の価値に対する敬意を表す。
違法なものや、人道的に問題ない趣味であれば、そう言う姿勢が良いかと思います。






普段、コミュニケーションがない人が犯したミスを罵倒してはならない

2016年12月28日 22時32分52秒 | コミュニケーション



 仕事をする上で、意見・考え方の食い違いはつきもの。仕方がない。たまたま、40代と50代の言い争いをみたときのこと。甲さん50代、乙さん40代。甲さんの怒りに対して乙さんは黙っていた。どうやらミスをしたのは乙さん。甲さんは乙さんを罵倒していたのを今でも覚えている。

 さて、この場面。「よくあること」で思ってよいか。その後、この二人の関係は冷え切ったままで、改善することはなかった。この甲氏・乙氏は、仕事上よく接点を持っている部門ではない。たまたま何かあったにすぎず、和解しなくても困る関係ではなかったようだ。

 このふたつの部門は、その後、業務上の会話は無くなった。すべてメール等。非接触これでいいのか。教科書的にはアウトだが、それはそれで済む場合もある。

 しかし、本当はこれで困ったことがあった。お互い相談することなく、双方の専門性を活かすべきところを、勝手な思い込みで独自に進めて、不具合をお越し、社内外に迷惑をかけた。
 
 あのとき、最後は笑顔でわかれていたら。。。相手の言い分も聞き、逃げ道も作ってあげれば。
 
 むろん、普段から接点がある部門同士だったら罵倒してもいいというものではないが、なにかおぞましい感じがする。そんなに余裕がないのか。

 

世代論で考える大人。その人のコミュニケーション能力は怪しいものです。

2016年12月09日 21時55分41秒 | コミュニケーション
 「世代の違い」という言葉は、いつの世にもあります。古代エジプトにも、「近頃の若い者は、、、」という碑文があるようで、いつの時代でも同じなのですね。経験値がある大人からみれば、若い人の無鉄砲、理不尽な思考・発言・行動を「危なっかしい」「非常識」「世間知らず」と思う。当たっている面はあろうかと思いますが、ここで目くじらを立てて怒ると、若い人との溝が生まれてしまいます。
 「少し厳しくしないとタメだ」の「少し」は、発言した大人の方にしてみれば「少し」かもしれませんが、受け手である若手からみたとき、それは一律同様な反応ではない場合があります。ここがとても重要ですね。つまり、「反応が一律同様ではない」というところ。発した大人が「自分はこう思っている」と発言し、「わかったか!」と締めたあと、自己満足しないでもらいたい。「どうだ。おれは偉いんだ」なんて思うのは、事態を悪くする。つまり、聞いていた若手はどう思っているかという視点が欠けているから。つまり、コミュニケーション能力の根本的な欠如以外の何ものでもないのです。思いやりとか、そういうことではありません。相手の考えていることを推量しない姿勢は、コミュニケーション能力として不味いのです。これに気がつかないで、「世代論」を唱えるのはやめた方が良い。分かりやすい例は、「きみたちは『ゆとり世代』だから」という台詞。決してこれは怒った発言ではないのですが、若い人は「面白くない」「何とも思わない」「当たっている」「外れている」「自分は違う」等のいろいろな反応があるということを想定したほうがよい。「一律同じ」ではないのです。それは大人の人たちだって、「君たちは皆同じだよな」と言われたらどうでしょうか。大半の方は「いや、違う」と思うかもしれません。しかし、中には「確かに」「一部賛成」等、さらに木目の細かい回答が出てきそうではありませんか?。 
 「ひとりひとりと向き合う」というのは,こういう個々への反応を見た上で、個別の対応から始まると思うのです。
 よく、就活で採りあげられる「学生の皆さんに求められるのはコミュニケーション能力です」としげしげという大人たちをみていると、「そう言うあなたは大丈夫なんですか」と答えたくなります。肝心の大人だって、そのコミュニケーション能力については、威張れたものではないと思っているので。これは天に唾して言っています。自戒を込めて言っています。

「コミュニケーション能力があります」って本当ですか? 私のコミュニケーション能力の習得方法

2016年12月05日 21時41分59秒 | コミュニケーション
就活で、学生は「わたしはコミュニケーション能力があります」と答える人は多いですね。私は「また、きたか」と内心思いつつ、真摯に聞かねばならない。「ならない」というところに、すでに私の気持ちとしては、萎えているのですが。
 先日、「コミュニケーション能力があります」で入った社員が、実は職場では「電話を取らない」社員というレッテルを貼られ、早くもダメ社員の烙印を「頂いた」ようです。電話を取らないからコミュニケーション能力が無い、或はダメ社員の烙印を押すというのも早計ですが、職場の気持ちもわかります。 そう考えると、このコミュニケーション能力というものが、極めて漠たるものであり、実はいくつかの要素が絡み合って存在しているると考えなければなりません。つまり、「聞く・話す」を中心に「理解する」「察する」「読む」とか。しかし、これは、コミュニケーション能力の手段みたいなもので、その裏には「使命感」とか「責任感」みたいなものがないと、上記の「電話を取らないコミュニケーション能力」という状態を招くのかと思います。まぁ、まだ若いですから、この若い人については、しばし様子をみていこうと思います。
 コミュニケーション能力はどうやったら身に付くのか。私は、こんな方法を取ってきました。
1.例えば、ある会議でど立場が上の方が発した発言について、視線だけを動かして瞬間的に周囲の反応 を確認する。⇒いや~、いかにも会社員にありそうな。。。これ、様子を伺っていることには変わりは
 ないのですが、よく読まねばなりません。個人だけでなく場の空気も。但し、ここで黙っているのはダ
 メなんです。何かを言いしょう。「とても自分の意見なんか言えません」を切りかえす方法として、
 「これは、私の意見というより、ブレスト的な発言を許していただけるなら、こんなことが言えるかも
 しれません」と返します。緊迫した会議では、この一言が効きました。それは、コミュニケーション能 力ではないでしょうと思うかもしれませんが、成功や失敗は多少なりともあるものの、これはいろいろ
 な面で役立ちました。
2.とにかく相手を笑顔にする、又は笑わせる習慣をもつ。⇒ これは難しい? ちょっとしたことでよ いと思います。ただし、相手が異性のときは、話題には気を付けたほうがよいですね。差し障わりのな い内容がよいのですが、よく普段からどういう内容に反応するのか知っておくことです。そうです。コ
 ミュニケーション能力を養うには、継続的な人の観察は大事です。
3.普段から相手に対する敬意を払う。
4.深い思考。但し、相手の立場を考えて。

何を言っているんだと思うかもしれませんが、私はこれがコミュニケーション能力をつける方法でしたね。話法とか聞き上手であることは当然なのですが、普段の仕事に対する姿勢が大事なのかなと思っています。