サロン・風変わりな人材開発の宴 

人の育成について、色々な視点から書いていきます。これは、体験記であると同時に、次の人材開発施策に対するトライアルです。

シニアのやる気を無くす原因のひとつは、ダメな課長の存在

2020年12月28日 10時12分41秒 | 指導

多くの職場でシニア不要という声を聴きます。よくわかります。私も同感。いなくてよいと思う人は大勢います。

シニア不要論の原因の主たるものは、シニアの働く姿勢・態度が原因と言われて言われています。
現役時代の三分の一の報酬。権限の剥奪。役割もないに等しく。情報も遮断され。ただ、いるだけ。

マネージャー経験のあるシニアは、一兵卒となった自分を管理する課長の低レベルに失望・怒り。
しかし、課長は多忙でシニアを相手にしていられない。

「こんな課長の下では働けない。昇進・昇格・昇給もないから、手を抜くのさ」と悪循環。

どっちが悪いという議論は稚拙ですが、最後は管理責任。課長です。



不可能な指示を出す経営者、不可解な指示を出す課長

2020年10月28日 20時58分05秒 | 指導
経営者の指示は高すぎます。「そんなことできるわけない」というものが下りてきます。
「それなら、あんたがやってみろ」と言いたくなります。頭にきます。

しかし、しかし、もっと頭にくるのは、若い上司の不可解な指示です。
「何考えてんだ、世間知らず」と言いたくなります。頭に来ます。

これからは若い世代の時代。人生のことがわからない若僧の上司と仕事をしなければならないなんて。

ある知り合いのシニアの嘆きでした。


本当にその人は人材だったのか

2017年06月01日 06時59分01秒 | 指導
「本当にその人は人材だったのかな」と思うことがよくあります。一方で、「制度がよくないのではないか」と思うこともございます。「役職定年」で事実上、役割が無くなったひとたち。

実は、無能ではないですよね。立派な経験値もがあります。しかし、会社としては、若い人を鍛えなければならないの事情と人件費抑制。しかし、どの企業も嘆く人手不足。以前にも書きましたが、人材の受給ギャップ。

一方で、40代はまだ役職定年には遠いですが、多くの企業で昇進・昇給の頭打ちになります。

意欲のある人は、結局、限られた昇格者のみで、昇格者以外にやる気を出せというのは、難しいと思うことがございます。キレイごとを言ってもという気持ちになります。

対策として、キャリア開発研修はよいのですが、受講者がアクションを起さないと、相変わらず聞いただけ。

会社の枠組みから頭を切り放し、働き続けられる能力構築をするという考え方はあるのですが、そういうアイデアが思いついても、その機会を得られなければ能力構築にはなりません。

流動性の乏しい日本の労働市場の裏側には、「大部分の人は、すり替えても何も変わらないから」が背後にありますね。

マーケットがどうかとか、ビジネスがどうかという議論の前に、人の生き方が心配でなりません。



若手が育たぬ細分化と標準化の怖さ

2017年04月19日 06時06分47秒 | 指導

「若手が育たぬ標準化の怖さ」 何のことだか分からないかもしれないですが。

すべての業務は、俗人化せず誰が見ても明確であることが望ましいです。
そのため、ある形でまとまったお仕事は、階層構造を作って細分化していきます。

これによって、役割分担も明確になります。そして、細分化されたお仕事の進め方は、実は、他の業務でも使えるように、業務そのものが標準化するように全体の設計がなされています。

これは、全体最適なコストダウンには有効な手法です。設計開発のお仕事には、よくプラットフォームとかいう言葉が挙がりますが、これは製造業にあっては必然となるお仕事の姿です。

一方で、細分化によって専門化が進展するのはよいのですが、ひとつ間違えれば、「それしかできない」人をつくってしまいます。或は、同じことの繰り返し。

皮肉なことには、世の中はシステムが求められます。様々なものがつながる。 これが細分化して育った人には、他の仕事が見えない。階層構造を成していることにも気づかない人もいます。
これがシステム化に向けた足かせになります。

これ、全体を取りまとめできるリーダー候補には、全体がをまとめる仕事をさせればよいとなりますが、一つ困ったことは、ものを作りたい技術者にとっては嬉しくないことのようです。たいして技術利がつかない。実際には、全体を統括するものですから、組織や全体のバランスを見るようなマネジメントの仕事になっていく。

「自分は技術者としての仕事をするために入ってきたのに」そう言う思いになっていく人はいるようです。
このパラドックスの中にいて、「育つ」と言うことに対して停滞感を感じる人が出で来る現実との戦いです。


若い人を、根性論ではなく、強い魂を持つように育成することはできないでしょうか。

2017年04月17日 07時02分19秒 | 指導
若い人と話していて、「そこがもう一つ足りない」ということがあります。

どうしたらよいのだろう。その価値を指導しても、「あれもこれも」の消化不良になる。

昔、野村克也さんは、古田敦也さんを近くに座らせ、ボソボソと試合中に何やら話していた。そう、刷りこんでいたのだと思う。当時の古田さんにしてみれば、有難い反面、うるさいおやじと思ったか否か。

プロ野球の場合、一年契約(複数年契約もあるが)なので、会社員よりも厳しい。怪我がそのまま成績に響いてくる。ミスで試合が負ければ減給されるし、マスコミにも叩かれる。

会社員にはそういうものはない。だからかもしれないが、「何を言っても馬耳東風」のような錯覚に陥ることがある。

本当にこれで大丈夫か。知識だ。スキルだというものは心配していない。そんなものはなんとかなる。しかし、それは仕事をするにあたっての「魂」というものがないと、上辺だけの魂では知識・スキルもどうにもならない。

下記の本が参考になりました。もう、皆さんご存じだろうから、改めて申しあげるまでもないのですが。
こういう精神教育。決して、それは根性論ではなものが、高いレベルでの魂をもった職業人でないといけないのかなと思う次第です。


生き方―人間として一番大切なこと