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権力者が間違う、ということを考えない人たちが蔓延っているのか?

2014-08-24 23:35:51 | 日記
A.戦争というものの愚劣について
 明治の初めに西洋の社会科学で使う言葉を、日本語に翻訳した知識人は、アルファベットで綴られた書物を苦労して読みながら、幼少以来、自分たちの知識とリテラシーを形造っていた漢文世界、儒教と仏教の教養を駆使して訳語を創造した。徳川幕府が崩壊したばかりの近代化された市民社会などなかった当時の日本の現実にもかかわらず、彼らはかなり正確に西洋の言葉を翻訳によって移植することに成功した。
 今の日本で、日本人は英語が下手だから幼児から英語で教育したほうがいい、などという意見があるが、言語と文化というものの本質がわかっていない暴論だと思う。日本人が英語が下手(ネイティヴ同様に話すことを基準にしなければ、現実にはもうそんな事実もないが)だとしても、われわれが西洋の書物や学問を翻訳で理解でき、大学教育も日本語でやってじゅうぶん世界に通用している、という事実は、実に偉大なことであり、明治の先人のお蔭なのである。アジアでもアフリカでも、西洋に植民地化された国だけでなく、独立を保った国ですら、高等教育を自国語ですることは困難である。それは西洋の学術語の概念に対応する自国語がそもそもないからである。明治の日本は、それを古代以来借り物の中華文明を独自に工夫して、西洋語を片っ端から翻訳してしまった。こんなことをした民族は他にあるだろうか?
 「経済」という語も、economics ,Wirtschaftとは何であるかを考えた日本人が、儒教の「経世済民」から援用して作った。世の動きを見てこれを経綸し、民の生活を安らかにするためにしかるべき処置をとる、これが「経世済民」。つまり経済とは、この意味で為政者に要請される使命ということになる。しかし、西洋語のeconomics にはそういう意味と同時に、「採算のとれる」「お徳用な」という意味が含まれる。なるべく無駄な労力を使わずに、要領よく、最大の利益を手にする、賢いがずる賢い人間の智恵。
 経済学者という人間も、たぶんこの両面があるのだろう。世のため民のため、この社会をいかにコントロールして望ましい状態を保つか、という知恵を提供するとともに、どうすれば大きな利益を効率的に得られるか、人に先んじて有利でおいしい果実を手にするか、を教える学問が経済学になる。ポール・クルーグマンはノーベル経済学賞を受賞したのだから、まちがいなく優秀な経済学者だが、彼はただ経済学という人工的な世界に留まる凡百な経済学者ではない、と次の文章を読んで思った。全文引用で恐縮ながら・・・。

「第1次世界大戦の開戦から100年。当時、「すべての戦争を終わらせるための戦争」であると多くの人が明言した。だがあいにく、戦争は起こり続けた。日に日に恐ろしさが増すウクライナのニュースを目にする今こそ、「なぜ?」と問う好機であるようだ。
 昔むかし、戦争は楽しみや利益のためだった。ローマが小アジアを侵略したりスペインがペルーを征服したりしたのは、金や銀が狙いだった。そういう戦いは今も起きる。オックスフォード大学の経済学者ポール・コリアーは、世界銀行の資金による有力な研究でこう示した。貧しい国々でよく起こるような内戦を予測するには、ダイヤモンドなど略奪可能な資源の有無を見るのが一番だと。反政府勢力が活動の理由として挙げるそれ以外のことは何であれ、大体が後付けの理屈のようである。
 産業革命以前の世界で戦争といえば、原理原則の戦いというよりむしろ、誰が不正な商売を取り仕切れるかという犯罪者一家の間の抗争に近かったし、産業化が進んでいない地域では今もそうだ。
 だが、豊かな近代国家の場合、戦争はたとえ楽勝でもペイしない。ずっと前からの真実だ。英国のジャーナリスト、ノーマン・エンジェルは1910年の著書「大いなる幻影」で、「軍事力は社会的・経済的に無益だ」と論じた。相互依存の世界(汽船と鉄道と電報の時代にすでに存在していた)では、戦争になれば必然的に戦勝国でも深刻な経済損失を被る。さらに、複雑化した経済では、途中でガチョウを殺さずに金の卵を取り出すのは非常に難しいのだ。
 付け加えれば、近代戦はものすごく高くつく。例えばイラク戦争の最終的な費用(退役軍人の医療費なども含む)はどう見積もっても1兆ドルを優に上回るだろう。イラクの国内総生産(GDP)の何倍にも上る。
 だから、「大いなる幻影」の主張は正しかった。近代国家は戦争によって豊かになれない。なのに戦争は起き続けている。なぜか?」ポール・クルーグマン「なぜ戦争をするのか 危うい政権強化の思惑」朝日新聞「クルーグマンコラム@NYタイムズ」2014年8月22日朝刊。

 人間がやってしまう行為の中で、戦争ほど愚かで悲惨な結果を招くものはないだろう、と誰もが思う。にもかかわらず、なぜ今も世界のあちこちで戦争が行われているのはなぜ?クルーグマンは、経済学的に考えても戦争は負ける方だけでなく勝つ方にも、実質的な利益をもたらさないという。若い兵士や民衆の人命を損なうだけでなく、金銭的にも割に合わない。なのに、どうして戦争を起してしまうのか?それは、ある特殊な事情による。

「一つの答えは、指導者たちは算数ができないのでは、ということ。エンジェルはよく、「彼は戦争の終りを予言した」と考える人々から不当な非難を受ける。実際にはこの本の目的は、征服で富を得るという先祖返りした考えの誤りを暴くことにあった。当時はまたそういう考えが広く受け入れられていたのだ。
 楽に勝てるという勘違いはいまだに起きる。推測にすぎないが、プーチン大統領は、少しの費用でウクライナ政府を転覆できる、あるいは少なくともそのかなりの領土を掌握できると思ったのではないだろうか。頬かぶりできるような支援をほんの少し反政府勢力に対して行えば、ここが手に入るだろう、と。
 ついでに言えば、ブッシュ前政権がサダム・フセインを倒して新政府を樹立する費用として予想していたのがわずか500億~600億ドルだったことを覚えているだろうか?
 だがもっと大きな問題は、戦争で政府が政治的に得することが非常に多いことだ。戦争が国益の点で全く理にかなわなくても、である。
 「ハーバード・ビジネス・レビュー」誌のジャスティン・フォックスは先日、ウクライナ危機の根源はロシアの経済実績の悪化かもしれないと論じた。彼がいうように、プーチン政権は国民の注意をそらすものが必要だったと言えなくもない。
 さもなければ無分別だと思われるほかの戦争についても、同様のことが言われてきた。例えば1982年のアルゼンチンによるフォークランド諸島侵攻。原因としてはよく、当時の軍事政権が経済危機から国民の気をそらそうとしたことが挙げられる。(公平を期するために言うと、この主張に極めて批判的な学者もいる)
 実際、戦時には大抵、国民は指導者の下に結集する。どんなにばかげた戦争であっても、またどんなにひどい指導者であっても、である。フォークランド紛争中、アルゼンチンの軍事政権は一時的に極めて人気が高まった。「対テロ戦争」は、ブッシュ前大統領の支持率を一時、目もくらむような高さに押し上げた。彼が2004年の大統領選で勝利したのはおそらくイラクのおかげだ。案の定、プーチン大統領の支持率はウクライナ危機以来うなぎのぼりだ。

 ウクライナでの対立は、他の面でつまづいている独裁主義政権の強化のためと言うのは単純化しすぎだろう。しかしその話には間違いなく、いくばくかの真実がある。そのことは、いくつかの恐ろしい将来展望をもたらす。
 一番間近なところでは、ウクライナ情勢の激化について心配しなければならない。全面戦争ともなれば、ロシアの利益に大きく反するだろう。が、プーチン大統領は、反乱を瓦解させるのはメンツ丸つぶれで耐え難いと感じるかもしれない。
 深い正統性に欠ける独裁主義政権がもはやよい実績を示せなくなったとき、武力をちらつかせて脅したがるのであれば、考えてみよう。もし中国経済の奇跡が終わるとしたら、そのとき(数多くの経済学者がじきに起きるだろうと考えている)、同国の指導者たちはどう駆り立てられるのだろうか。
 戦争を始めるというのは、非常にまずい考えだ。それでも、戦争は起こり続けている。
                      (NYタイムズ・8月18日付)」ポール・クルーグマン「なぜ戦争をするのか 危うい政権強化の思惑」朝日新聞「クルーグマンコラム@NYタイムズ」2014年8月22日朝刊。

 なるほど、と思うと同時に、それは今現在の日本の状況で考えるとちょっと恐ろしい。常識的な知識と正論からすれば、明らかに愚劣な判断でしかない戦争を、始まりは些細ともいえるきっかけだけで気がついたら大戦争になっていた、ということが歴史には数多くある。それを煽り後押しするのは、算数もできない指導者・権力者が頼りにする、無知な大衆の熱狂である。大衆が「早くけしからんあいつらをやっつけろ!」と騒ぐとき、これを冷静に説得するよりも、「よ~し、やってやろうじゃないか!」と便乗する方が、政治家には百倍楽である。安倍晋三という人が、いざというとき、どっちを取るか、「想定の範囲内」であることがホラーである。



B.連続と断絶――過去の戦争・現在の戦争・未来の戦争
 これも、だいぶ前に購入してあった本で、ずっとぼくの書棚にあったにもかかわらず、まったく読んでなかった。たまたま、ジャズピアノのレッスンに出かける前、ふと書棚に眼をやった瞬間、この小さな新書の背表紙の文字が目に入ったのである。
 山室信一『日露戦争の世紀』岩波新書、ぼくらはなんとなく、惨めに敗けた太平洋の戦争はネガティブな戦争としか思えなかったが、もっと前の日露戦争は、東洋の島国国家が明治維新以来、必死で努力してようやく強大な白人帝国を相手に、軍事で世界デビューをした輝かしい「勝った戦争」として誇らしく受け取っていた。たとえば司馬遼太郎の「坂の上の雲」は、そういう日本人のプライドをくすぐる物語として読まれた。しかし、日露戦争をそういう自己中心的な輝かしい勝利としてだけ見ていいのだろうか?というのがこの本の主題だろう。

「第二次世界大戦終結から六〇年目の二〇〇五年は、さまざまな意味で歴史的な節目となる年にあたります。それは中国にとっては、抗日戦争勝利から六〇年、韓国と北朝鮮にとっては日本植民地統治からの解放独立(光復クゥワンボク)を達成して六〇年になりますし、一九六五年の日韓国交回復からは四〇年になります。
 そしてまた、二〇〇五年は日露戦争が終わって100周年になりますが、その終戦の年、一九〇五年は日本は中国大陸の東北部である「満州」に租借地という名の植民地をもち、朝鮮つまり当時の大韓帝国を保護国化して併合への道を歩みはじめましたから、日露戦争の勝利は東アジア世界にとって新たな支配・服従関係の始まりを画した年にもなったわけです。そのため、韓国において二〇〇五年は、第二次日韓協約による日本の強制的占有(強占カンヂヨム)から一〇〇周年ということになるのです。
 さらに、日露戦争終結から一〇〇周年は、同時に一八五五年の日露和親(通好)条約締結からは一五〇周年にあたります。このことは、国交開始から半世紀で日本とロシアが戦うことになたことを意味しますが、しかし、日露の関係は友好的なエピソードから始まっていました。
 それは条約締結交渉に訪れたロシア特派大使プチャーチンの乗った軍艦ディアナ号が東海沖津波によって沈没したため、伊豆戸田村で代替艦戸田号を建造しましたが、これが日露の協力による日本最初の洋式帆船となったからです。二〇〇五年四月十六日、静岡県下田市で開催された日露就航一五〇周年記念式典に、ロシアのプーチン大統領が「私たちはこうした先人たちの高潔な志を今日においても胆に銘じなければならない」との祝辞を寄せたのも、この史実を指しています。
 こうして友好のうちに始まった日露両国は、半世紀後に日露戦争にまで立ち至りました。しかもその四〇年後の一九四五年八月、日本はロシアからソ連に変った国と、かつての日露戦争の戦場となった地で再び交戦することになります。
 日本人にとって、この日ソ戦争は、終戦直前に当時まだ有効であった日ソ中立条約を無視して一方的な攻撃にさらされたものとしてしか意識されていませんし、それが日露戦争との関連でみられることは稀のようです。ところがソ連にとって、それが日露戦争との関連でとらえられていたことは、一九四五年九月二日、国後島を占領したスターリンが対日勝利宣言を行い、次のように述べていることからも明らかです。すなわち「日本の侵略行為は、一九〇四年の日露戦争から始まっている。一九〇四年の日露戦争の敗北は国民意識の中で悲痛な記録を残した。その敗北は、わが国に汚点を留めた。わが国民は日本が撃破され、汚点が払われる日の到来を信じて待っていた。四〇年間、われわれの古い世代の人々はその日を待った。遂にその日が到来した」と。
 もちろん、ここにはソ連による対日参戦を正当化するための歴史観の操作があります。なぜなら、日露戦争の評価に関しましても、レーニンの時代には、帝政ロシアが抱いた黄色い大陸(満州)への欲望が日露戦争の原因であったとみられていましたが、スターリンの時代には日本の満州への侵略が原因であり、日本の卑怯な奇襲に準備の整っていなかったロシア軍は勇敢に戦ったが敗北した、というように評価が一変しており、けっしてロシアとソ連が一貫して日露戦争と日ソ戦争を一体視し続けていたわけではないからです。むしろ、日露戦争と日ソ戦争を明治憲法体制という同一の社会体制の下で戦った日本こそ、こうした一つの時間の流れの中でロシアとソ連に対する二つの戦争を見る視点が必要なのかもしれません。」山室信一『日露戦争の世紀 -連鎖視点から見る日本と世界-』岩波新書、2005、pp.i-iii.

 戦争の本質は昔から変わっていない。ただ、戦争の道具・兵器の技術と殺戮のレベルが進化しただけだ。20世紀の半ば、核兵器が登場し、広島・長崎でそれが現実に人の目に見える形で示されたとき、さすがに心ある人々は、これはまずい、今度戦争したら地球自体が取り返しのつかない破壊に陥ってしまう、と思った。でも、強力な武力を手にしたとたん、小学生の算数もできなくなる指導者と、昨日も明日も知ったことか、わくわくと盛り上がって敵をやっつけろ!と昂奮した人々によって、戦争は実現してしまうのだ。愚かな!
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