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写真付きで日々の思考の記録をつれづれなるままに書き綴るブログを開始いたします。読む人がいてもいなくても、それなりに書くぞ

「東大卒ハイスペック美人新社員」というレッテルで考えるのやめよ。

2016-12-15 10:07:17 | 日記
A.労働者を守るのは誰か?
電通の入社1年目の女性社員が自殺したことは、広告代理店業界トップ企業での過労死として大きな反響を呼んだが、25年前にも電通は男性社員の自殺で、過労死の企業責任を認める最高裁判決が出ていた。今回は東大卒女性(「高学歴ハイスペック美人」なる呼称がかぶせられる)の自殺ということで、労災申請からメディアが大きく取り上げた。  
会社への入退館記録によって集計したところ、うつ病が発病したと推測される日の直前1カ月で130時間を超える残業。遺族は、三田労働基準監督署から月100時間以上の残業を認定したと説明を受けている。上司からは「君の残業時間の20時間は会社にとって無駄」「会議中に眠そうな顔をするのは管理ができていない」「今の業務量でつらいのはキャパ(許容量)がなさすぎる」などのパワハラ発言を繰り返されたという。「局会」「部会」と呼ばれる宴会の幹事まで仕事の一環とされ、パワハラ発言がまん延する職場で、電通は相変わらずブラック企業かと世間は思うが、電通自体は長時間労働を強いているわけではない、という言い訳をしているようだ。

「過労死の四半世紀 オンオフなく仕事 ハラスメントなお 若い女性も犠牲:インタビュー 弁護士 川人博さん
 新入社員の女性が過労自殺した広告大手の電通。25年前にも、入社2年目の男性社員が自ら命を絶った。遺族と和解して再発防止を誓ったのに、また起きた悲劇。過労死や過労自殺はなくならないのか。二つの事件で遺族側代理人を務め、四半世紀にわたり日本の職場の実態を見つめてきた、川人博弁護士の目に映るものとは。
 ――電通でまた過労自殺が起きたと知って、どう感じましたか。
「残念ながら、電通の関係で相談を受けたのは25年前のケースだけじゃない。他にも相談はあったのですが、今までは男性だった。ついに女性までも、という実感ですね。電通は男社会の典型で、女性は男性の補助職という意識が強くありました。その女性が24時間男性と同じように働き、亡くなった。たいへん驚きました」
「他社では女性の過労死の相談はありましたし、労災認定もあり、女性に広がっていることは自覚はしていたのですが。1990年代、2000年代を通じて女性が男性と同じように働くようになる。それ自体は良いことですけれど、男性の長時間労働のシステムに組み入れられ、若い女性の過労死が広がってきています」
――25年前に自殺した男性社員の裁判では、電通の責任を認める最高裁判決を勝ち取りました。でも、悲劇は繰り返されている。
「あの判決は何だったのか。改めて限界は感じます。一方で、2年前に過労死対策は国の責務であるという法律ができ、大きな転機になっている。変化も感じています。インターネット社会で大きく取り上げられ、拡散した情報が世論を作り、働いている人たちの心、特に女性の心を打ちました。この数カ月の国民世論の高まりには、たいへん励まされました」
――男性社員の裁判の判決文を一審から改めて読み直しました。電通社員の働き方は、今もほとんど変わっていないと感じます。 
「最高裁の判決が出た直後は、さすがに経営者も危機感をもっていたと思います。入退館を自動的に記録する出入り口を設ける対応もとった。でも、実際は長時間労働が放置されていた現状が明確になった。そんな企業風土を象徴する社員の心得である『鬼十則』も、社員手帳に引き続き印刷されていた。この四半世紀、結局何も変わっていなかったんです」
「男性は3日に1度徹夜をしていたと指摘されたけれど、今回の高橋まつりさんの睡眠時間も1日2時間程度、1週間で10時間ほど。男性は、靴の中にビールを注いで『飲め』と言われ、高橋さんには、上司が『髪の毛がボサボサだ』などと、人格を否定するようなことを言っている。ハラスメントについても、変わっていない」
――ネット上では「自殺するくらいなら、会社を辞めればよかったのに」という反応もあります。
 「うつ病になると、合理的な判断ができない。しかも、高橋さんは忙しくなってから病気になるまでの時間がかなり短い。仕事を続けるか、辞めるかを考える余裕はなかった。急激に症状が悪化して死亡する新入社員は多いんです」
「医学的に全く判断ができない状況ではないとする場合でも、『会社を辞めたら自分の敗北』という気持ちがどこかにあるかもしれない。半年とか1年とか考える期間があるときは、退職後の人生が容易には切り開けないという、日本の労働市場の問題もあるかもしれません」
 ――こころの病での労災認定の統計を見ると、若い人が多いですね。
「相談もこの10年くらいは30代がいちばん多く、あとは20代、40代。50代の相談は少なくなりました。『過労死110番』が始まった80年代後半ごろは大半が40~50代の、働き盛り世代の相談でした」
――この傾向は、若い世代を即戦力として求める会社側の事情と、関係しているのでは。
「1年、2年かけて研修を積みながらじっくり育てていく会社が少なくなっているのではありませんか。入社1年目から即戦力にする企業の余裕のなさは、大きいと思います。子どものころの教育が甘いと言う人もいるけれど、そんな問題ではありませんね」
「意欲をもってまじめに仕事をする社員、企業にとって本来望ましいと考えられる社員が、病気になり、亡くなっている。決して、弱い人間ではありません。アパレル系企業に4月に就職して、9月には店長になった女性もいます。店長としてアルバイトを使い、予算を管理し、仕事の目標も達成しないといけない。こうしたケースは男女問わず随所に見られます。とても深刻な問題だと思います」
――パソコンや携帯電話を誰もが持つ時代です。過労死問題には、どう影響していますか。
「特にサービス業などの第3次産業では、IT化が労働の密度を高めていて、オンとオフの区別がつきませんね。02年のクリスマスのころ、ある入社1年目の男性が自殺しました。カップラーメンをスーパーやコンビニエンスストアに卸す仕事で、裁判で労災が認められましたが、商品のことで取引先からのクレームや相談が休日にも入る。実家近くで両親と食事中にも携帯が鳴り、『すぐに来い』と言われて、何時間もかけて駆けつけた」
「昔は日曜日は仕事から解放されていたけれど、24時間365日連絡が取れる体制では、どうすれば労働者がオフの時間を確保できるかを、真剣に考えないといけない。『お客様が神様』『クライアントファースト』は、従業員のワーク・ライフ・バランスの中で限定的にする必要があります」
――対策はありますか。
「労働密度が高まり、労働強化は、ほぼすべての産業に行き渡ってますね。自宅で仕事をするのも、かつては風呂敷に資料を包んで持って帰る『風呂敷残業』でしたが、今はUSBメモリー。さらにメモリーがなくたって、連動できるシステムもたくさんある。オンオフを切り替える、国家社会レベルや企業レベルのル-ルをよほど覚悟を持ってつくらないと、働く人はもたないと思います」
――警察庁の統計では、仕事を原因とする自殺は年間に2千件以上ある一方、労災は申請件数でも200件ほど。氷山の一角だと指摘されていますね。
「電話で相談をしても、面談までしない人がいる。面談したとして、労災の申請をするのは半分以下です。親族の間で意見が一致しないことはよくありますし、葬儀での説明や社内報に載せるとき、死因を交通事故や急性心不全とする方もいて、世間に死因を知られたくないと考えるご遺族もいますから。約200件の申請、そして認定された約90件の分析も必要ですが、2千件以上という数字を調査し、分析することが大切です。過労死対策として、ここは強調しておきたいですね」
 ( 中 略 )
――では、会社の同僚や先輩にできることは?
「周囲がいろいろと相談に乗っているケースは、多いんですよ。高橋さんも同僚や先輩に相談していた跡が見えるだけに、悲しいと言うか、残念ですね。親切な友人や先輩は相当いた。けれども、防げなかった。親身になってアドバイスするのは貴重なことですが、解決に向けて話が通じそうなところへ、さらに勇気を持って直言して、変える努力をしてほしい。一人でできないのなら、複数で行動してもいい。難しいことは承知です。その人の職場での地位が危なくなるかもしれないのですが、皆が勇気を持つことが大切です」
――企業体質を変えていくことは、できますか。
「過労死が一人出たということは、相当数の人が療養しているということ。私の経験では、過労死と不正は同時に存在し、職場は深いところで病んでいる。社員の健康を害し、法律を破り、不正もする。成長もできません。企業業績を上げるためには手段を選ばないという姿勢は捨て、社員に健康に働いてもらう。経営者にこうした経営思想を、身につけてもらうところからです」
――次の四半世紀で、過労死はなくせるでしょうか。
「ゼロをめざして取り組み、現実に7~8割以上なくすことは十分に可能だと思います。過労死を必要悪と是認する理由は、ないですから。この四半世紀、残念ながら職場の現状は変わっていないけれど、異常な状態にあるという認識は共有されてきた。国家的に具体的な政策を展開していけば、十分に解決できる問題です。異常な過労死社会は、5年、10年で変えていくことはできるはずです」(聞き手・編集委員 沢路毅彦)」朝日新聞2016年12月14日朝刊、15面オピニオン欄。

 ことは単なる企業の長時間過労死問題ではなく、特定上司によるパワハラ・セクハラ事件ではないかとネットでは、上司の名前探しまでやっているが、いずれにしてもまともな職場ではなかったことは確かだろう。彼女のツイッターもいろいろ表に出ている。
「せっかく4ヵ月ぶりに彼氏に会えるのに、そのために仕事をめちゃめちゃ早く終わらせなきゃならないことと愚痴を言ってはいけないというプレッシャーで辛いったらないんだよな。社会人になるってことは、一時も気を抜けないってことなんだな。」
 自殺は去年のクリスマス直前だったという。
「労働者」「労働組合」という言葉はいまや侮蔑すべきサヨク用語として、企業社会では抹殺されようとしているが、法律や政府の言葉だけの「改善」には実効性は期待できず、職場で企業や上司から労働者を守る実力を備えた共同性がないことが、このような事件を生むと思う。



B.モダン・ジャズのどこが凄いのか?
 岡田暁生氏の『西洋音楽史』を通読したので、ついでに、というか前から買ってあったフリップ・ストレンジ氏との共著『すごいジャズには理由(わけ)がある』を読んでみる。まずは序文。

「本書はモダン・ジャズの巨匠たちの「すごさ」について、あくまで音楽そのものに即しつつ、少しでも具体的にその一端を明らかにしようとするものである。それはつまり、音楽外のこと――録音にまつわるエピソードや人間関係についての情報など――はとりあえずさておき、まずは「この音がああではなくこうなのがすごい」という分析的な次元から出発するということである。ジャズの「脱物語化」と言い換えてもいいだろう。クラシックでも事情は似たり寄ったりだが、「(感動)物語としてのジャズ史」は多い。その類からなるべく距離をとる――これが本書の最大の眼目であった。
 とはいえ、ほんらいヨーロッパ・クラシックの研究を生業としてきた私は、そもそもジャズについてはまったくの門外漢である。いくらジャズがストラヴィンスキーらクラシック・モダンの強い影響を受けてきたとはいっても、私にジャズ史についての専門知識が不足していることには変わりない。そこで前もって、いったいどのような経緯からクラシック畑の研究者である私が、このような本を構想するにいたったかにつき、少し説明をしておきたい。 
 ジャズであれクラシックであれ、コアなファンを主たる聴き手として想定する音楽ジャンルは、大なり小なり閉鎖的な言説空間を形成する傾向がある。それに興味をもち、もう少し詳しく知りたいと思って楽書を手に取ってみたのはいいものの、知らない人名が次から次へ「知っていて当然」とばかりに出てきて眩暈がしてきたり、あるいは音楽自体とあまり関係のないエピソードや蘊蓄のたぐいにうんざりして、途中で挫折した経験のある人は少なくあるまい。かんじんの「自分が惹かれるこの音楽のどこがどう凄いんだろう?もう少し具体的に知りたい!」という素朴な疑問に、なかなか応えてもらえないのだ。しかも僻みかもしれないが、初心者が「これのどこがそんなにすごいんですか?」などと尋ねようものなら、「そんなこと聴けばわかるだろう!」と怒鳴られそうな空気が、「コアなジャンルのコアなファン」のあいだには充満している気もする。どうにも部外者は気後れしてしまう……。
 いうまでもなくこうした事情は、自分ではなかなかわからないが、私が専門とするクラシックの世界にも、そっくりそのままあてはまるはずだ。だからいま書いたことはあくまで「クラシックの専門家」としての私自身に対する、自虐と自戒を込めた述懐と受け取ってほしいのだが、ことジャズについていえば、じつはこうした一種の劣等感は、私自身の長年のトラウマにほかならなかった。十代のころからずっと私はジャズに惹かれてきたし、とくに高校時代には(あとがきに書くつもりだが)ジャズとの本格的な接点が実は手をのばせば届くくらい近くにあった。にもかかわらず、けっきょく私はジャズへの理解を深める決定的な機会を逸し、ただ遠くから畏敬をもって眺めるだけに終始して、そのまま三〇年以上の長い時間がたってしまった。
 私が本格的にモダン・ジャズの世界にのめり込むようになったのは2010年の夏(50歳になった夏だ!)、縁あって大阪在住のアメリカ人のジャズ・ピアニスト、フィリップ・ストレンジ氏と知り合ってからである。祇園のCandyという小さなライヴ・ハウスで氏をはじめて聴き、その圧倒的なピアニストとしての能力、無限とも思えるファンタジーと創意、そして繊細きわまりない音楽性に仰天し、ダメもとでその場でレッスンをお願いして以後、おそらくこの三年半のあいだに月三回くらいのペースでレッスンを受けてきたと思う。いかにもジャズ・マンらしく、約束の時間より30分近く遅れて始まることもざら(ときどきレッスンのダブルブッキングもある!--そんなときは口頭でどうしても尋ねたいことだけを少し質問して帰る)、しかし興が乗ると予定時間を一時間以上延長していくらでも話して(弾いて)くれる氏のレッスンは、私にとってただただ驚天動地の連続であった。」岡田暁生+フィリップ・ストレンジ『すごいジャズには理由(わけ)がある』ARTES(アルテスパブリッシング)、2014.pp.5-7(はじめに)。
 
 ぼくも3年半ほど前から、ジャズ・ピアノのレッスンに月3回ほど通っているので、50歳で始めた岡田氏よりもっと遅いが、気持ちはよくわかるのである。ストレンジ先生は、優れた本場のミュージシャンのようだから、おおいに感動触発されるレッスンのようだ。
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