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ハーバート・リード『芸術の意味』再読 1 老後も労働?

2019-12-15 14:49:46 | 日記
A.思想の寿命について
 造形芸術について論じたハーバート・リードの『芸術の意味』The Meaning of Art (Publisher:7faber and faber Ltd., London,1949)という本は、ぼくが生まれた年に出版されているから、70年前に書かれた。そして滝口修造の訳になる日本語版が1966年にみすず書房から出た。ぼくが持っているのは1990年刊行の新装版なので、30年ほど前にぼくはこれを読んだはずだ。西洋近代美術の批評家としてケネス・クラークとハーバート・リードという名前は、英語圏で高名な巨匠扱いされていることは学生時代から知っていた。でもぼくがリードの著書をちゃんと読んだのは『芸術の意味』が初めてだった。それまで芸術論ではドイツ語圏のカントの判断力批判とか、バウムガルテンの美学とかを齧ってみたが、翻訳のせいもありごてごてしてすんなり頭に入ってこないなという感じだったのだが、クラークやリードの文章は簡潔で飾りが少なく、やっぱり英米圏の文章は、ドイツ語圏やフランス語圏の装飾と長ったらしさがなくて、わかりやすいと思ったものだ。それは書かれた言語のせいだけではなく、思考のスタイルや伝統のせいもあるだろうと思う。
 時代の思考の潮流や流行は、10年くらいでかなり変わっているし、社会の動きは表面的には5年くらいでどんどん変わっているから、30年も昔に書かれた本の大半は、もはや現代の読者にとっては時代遅れのものになるのは当然だろう。比較的短期的な時代の流れに左右されない学術書や文芸書なども、半世紀を経過して読む価値を維持している本はそんなに多くはない。それが書かれた時点からはそれ以後に登場した出来事や作品は存在していなかったわけで、新しい発見や動向が含まれていないし、過去の評価も多少変わってくるだろう。
 リードの本も、第2次世界大戦終了後まもなく書かれたとすると、当時の新しい美術はポロックの抽象表現主義が登場した時期で、現代美術としてはピカソやダリは出てくるが、ポップアートなどは影も形もない。つまり20世紀後半の造形美術についてはまったく未知の状態で書かれている。しかし、では読む価値がなくなったかというと、そうではないと思う。思想の寿命というものは、10年しかもたないものもあれば、50年生き長らえるものもあり、100年影響を与え続けるものもある。 とにかく、ぼくは今「モダン・アート」について講義と論文を用意しているので、もう一度リードを読み直してみようと思う。この本の中心は造形美術、つまり絵画や彫刻や建築なのだが、ぼくの関心は音楽や舞踊演劇などをふくむモダン・アート全体にある。まずは冒頭から。
 「1芸術の定義 
「芸術」という簡単な言葉から、われわれはほとんどつねに「造形芸術」あるいは「視覚芸術」として区別している芸術を連想するのであるが、厳密にいえば「芸術」には当然、文学と音楽とが含まれているわけである。すべての芸術にはある一定の共通した特色があり、この書物では造形芸術だけを扱うのであるが、まずすべての芸術に共通するものの定義から研究し始めるのがもっともよい方法である。
 すべての芸術は音楽の状態に憧れる、と最初にいったのはショーペンハウアーである。この言葉はたびたび繰りかえされ、数多くの誤解の原因となったが、しかし重要な真実をあらわしている。ショーペンハウアーは音楽の抽象的な諸性質を考えていた。音楽では、そしてほとんど音楽でのみ、芸術家は他のいろいろの目的のために一般に用いられている伝達手段の媒介なしに、聴衆に直接訴えることができる。建築家はある程度実利的な目的をもつ建築物の中で自己を表現しなければならない。詩人は日常の会話でやりとりされている言葉を用いなければならない。画家は普通、眼にみえる世界を再現することによって自己を表現しなければならない。ただ作曲家のみが全く自由に、自分自身の意識で、しかも人を喜ばせるという目的だけで作品を創ることができる。しかしすべての芸術家はこのような同じ意図、つまり人を喜ばせたいという意欲をもっているのである。したがって芸術とは心楽しい形式をつくる試みである、ともっとも単純に、もっとも一般的に定義することができる。このような諸形式はわれわれの美感を満足させる。そして美感は、われわれの五官の知覚が形式上の統一とか調和を認識するときに満足させられるのである。
 2 美感 
 芸術に関する一般論はすべて次の仮定で始められなければならない。すなわち人は感覚によってとらえている形、面、量塊(マッス)に感応するものであり、形と面と量塊がある一定の比例をもって配列されているときは快感を感ずるが、一方、このような配列が欠けていると、人は無関心でいるか、あるいは積極的に不快の念と反撥をさえおこすものだということである。快適な諸関係を知覚することが美感であり、その反対を知覚することが不快感である。もちろんあるひとびとはものの外形上の調和にまったく関心をもたない、ということもありうる。あるひとびとが色盲であるように、あるひとびとは形、面、量塊について盲目である。しかし色盲の人が比較的少ないように、ものの視覚上の諸性質に関心をもたない人もまた稀であると信じてよい理由がある。このようなひとびとはおそらく未発達の人といってよいのである。
 3 美の定義 
現在通用している美の定義は少くとも十二ぐらいある。しかしすでに述べた、美とは五官が近くする形式上の諸関係の統一である、というたんなる物理的な定義は基本的な唯一つの定義であり、この基礎の上にわれわれが必要とする包括的なすべての芸術理論をつくりあげることができる。しかしまず最初に、この美という言葉の極端な相対性を強調することが大切であろう。芸術は美と何の必然的な関係もない、というほかはない。—-すなわち、もし美という言葉を、ギリシア人によって確立され、ヨーロッパの古典的な伝統に受け継がれてきた美の概念に限定してしまうとすれば、これはまったく論理的な立場に立った見解にほかならないのである。私自身は、美感というものは、歴史の流れのままに、非常に不確定で、しばしば非常にまぎらわしい姿で現れる変化の多い現象であると考えたい。芸術はすべて、いつもこのような現れ方をするものであり、真面目な芸術研究者というものは、自分がどんなものを美しいと思うにしても、とにかく、時代も人種も違うひとびとの美感の純粋な現われを、芸術の領域に進んで包含しようとするものでなければならない。芸術研究者は原始芸術にも、古典芸術にも、ゴシック芸術にもひとしく興味をもち、今いったように、時代によって異なる美感の現れ方の優劣を評価することよりは、むしろすべての時代にわたって本物と偽物を識別することに関心をもつのである。
 4 芸術と美の区別
 われわれの芸術についての誤解の大部分は、芸術という言葉と、美という言葉を使うときに首尾一貫したものをもたないところからおこるのである。むしろわれわれはこれらの言葉を誤って使うことに首尾一貫しているといってよい。われわれはいつも、美しいものはすべて芸術であるとか、またすべての芸術は美しいとか、あるいは美しくないものはすべて芸術ではないとか、また醜いものは芸術の否定であると仮定している。このように芸術と美とを同一視してしまうことが、いつも芸術の鑑賞を困難にする原因となっている。そして美的な印象一般に非常に敏感なひとびとにとってさえ、芸術が美ではないという特殊な場合に、この過程が無意識に非難者として振る舞っているのである。というのは芸術は必ずしも美ではないからである。このことはどんなに繰りかえし、またどんなに喧しくいわれてもいいすぎることはない。これを芸術が過去においてどうであったかという歴史的な問題としてみても、今日、全世界に芸術がどのような現われ方をしているかという社会学上の問題としてみても、つまり芸術は過去においても現在においてもしばしば美しいものではないことに気づくのである。
 5 直観としての芸術 
 すでに述べたように、美とは我々に快感をあたえるものである、と一般的に、またもっとも簡単に定義することができる。そこでひとは食べることや、匂いを嗅ぐことや、その他の肉体的な感覚を芸術と考えてもよいと思いこんでしまう。この理論は直ちに不合理だということができるのであるが、美学のすべての学派はここに基礎をおいて、ごく最近までこの学派だけがなお優勢であったのである。現在この学派は主としてベネデット・クローチェから出ている美学の理論にとってかわられ、その理論は大いに批判はされたが、芸術は、簡単に直観であると定義するとき完全に定義できるというその大綱は、以前のどの理論よりも啓発的であることが証明された。ただ困難は「直観」とか「抒情」といった不明確な言葉に拠っている理論をどう適用するかにあった。しかし、ここでただちに注意すべき点は、この念入りな包括的な芸術理論が「美」という言葉を用いなくても充分成り立っているということである。
 6 古典的な理想 
 実際、美の概念は限られた歴史的な意義をもったものである。それは古代ギリシアに生まれたが、特殊な人生哲学の所産であった。その哲学は擬人観の一種であり、すべての人間的価値を高めて、神々を拡大された人間以外のなにものでもないと考えたのである。宗教と同様に芸術は自然の理想化であり、特に自然の過程の究極としての人間の理想化であった。古典芸術の典型はベルヴェデーレのアポロか、またはミロのヴィーナスであり、完全にかたちづくられ、完全に均斉のとれた、崇高で、静謐な、人間の完全なあるいは理想的な典型であって、一言でいえばそれは美しいのである。この美の典型はローマ人にひきつがれ、文芸復興期に復活された。われわれはいまなお文芸復興期の伝統のなかに生きており、したがって美というものから必然的に、遠い国の古代のひとびとによって発達させられた、われわれの日常生活の実際の状態とはおよそ縁遠い人間の典型の理想化を連想するのである。おそらく一つの理想としては、他の多くの理想と同様、それも結構であろう。しかしこれは他にも考えられるいくつかの理想のうちのただ一つにすぎないとということを悟らなければならない。それは人間的であるよりむしろ霊的であり、知的であり、非生命的であり、抽象的であったビザンティンの理想とは異なっている。またおそらくまったく理想というものではなく、むしろ一つの贖罪であり、神秘で無慈悲な自然に直面した恐怖の表現であった原始の理想とも異なっており、また同じく抽象的であり、非人間的であり、形而上学的であり、知的というよりむしろ本能的でさえある東洋の理想とも異なっている。しかしわれわれのふだんのものの考え方は、われわれが使う言葉のかたちに頼りすぎるので、しばしば無駄なことなのだが、芸術に表現されているこれらすべての理想にこの「美」という一つの言葉を無理やりに従わせようとするのである。もしわれわれが自分自身に忠実であるならば、晩かれ早かれ、この乱暴なこじつけの誤りに気づくに違いない。ギリシアのヴィーナス、ビザンティンの聖母像、またニューギニアの象牙海岸の野蛮人の偶像はことごとくこの美の古典的概念にはあてはまらないのである。もし言葉がいくらかでも正確な意味をもつとすれば、少なくとも後者は美しくはない、あるいは醜いと告白しなければならない。そしてしかも美しかろうと醜かろうと、これらのものはすべて正当に芸術作品ということができるのである。」ハーバート・リード『芸術の意味』滝口修造訳、みすず書房、1966.PP.11-15.
 美術作品においてなにが「本物」か「偽物」か、その判定基準は何か、という基本問題にはじまって、「芸術」と「美」を同一視し、「芸術は美の実現」つまり人間が感性的情緒的に「美」を直観できるものが「芸術」だとする考えかたは、古来強力に支持されたけれども、リードはこれを批判する。「美」を一義的に決める基準などないし、「美でないもの」も「芸術」でありうる、とするならば、「芸術とはなにか」を問い直す必要があり、この本はまさにそれを主題としている。
 念のため著者と訳者の略歴概要を、確認しておく。
Herbert Read 1893-1968:イギリスの詩人、文学批評家、美術評論家。ヨークシャー州の農家に生まれ、青年時代、ブレイク、ブラウニング、リルケらの影響を受けた詩人であったが、第一次世界大戦に出征し、帰還後ヴィクトリア・アンド・アルバート美術館に勤務中、所蔵品の解説をしたことが動機で美術批評家としての活動を始める。彼の美学思想はフロイトの精神分析、とくにユングの無意識学説の影響を最もふかく受けている。美術評論家としての彼の活動の範囲は広く、主著は文学批評もふくめて殆んど邦訳がある。その主なものは造形美術に関しては『今日の絵画』(新潮社、1953)『芸術による教育』(美術出版社、1953)『インダストリアル・デザイン――芸術と産業』(1953)『モダン・アートの哲学』(1955)『イコンとイデア』(1957)文学批評に関するものでは『散文論』(1958,1967)『文学批評論』(1958)『詩についての8章』(1956、以上みすず書房)などのほか『自伝』(法政大学出版局,1970)がある。
滝口修造:1903年富山県に生まれる。1931年慶応大学文学部卒業。1979年7月1日没。主著『近代芸術』(1938、三笠書房、1962、美術出版社)『幻想画家論』(1959、新潮社、1972せりか書房)『滝口修造の詩的実験1927-1937』(1967,1971思潮社)『シュルレアリスムのために』(1968、せりか書房)『マルセル・デュシャン語録』(1968,東京ローズ・セラヴィ私家版、〈普及版、美術出版社,1982〉)『点』(1963)『余白に書く』(1966、限定版)『画家の沈黙の部分』(1969)『余白に書く 1,2別冊』(1982以上みすず書房)ほか。『コレクション滝口修造』(全14巻、みすず書房)。 

B.働く高齢者はいかに働けばいいか?
 今後の日本社会を破綻せずに維持していくために、どのくらいの労働力が必要なのか?労働力の量と質が変わっていくと同時に、確実に増える非生産人口、とくに高齢者が年金・医療などで安穏な引退生活を送ることはどうも無理になってくるようだ。大きな資産をもつ高齢者は少数で、多数派の高齢者は、なんとかして働くことはできないか?という問題をトータルに考えると、何が重要な課題か。これは高齢者となったぼくにも他人事ではない。
「耕論 老後レス時代 いつまで働けばいいの:適性に合う選択あれば 宮本太郎さん(中央大教授)
 これまで日本では、国、会社、家族という三重構造が多くの人を支えてきました。国が行政指導や公共事業で会社を支え、会社は働き手である男性に年功賃金を払い、家族はこれで教育費や住宅ローンをまかなった。この三重構造は、働き手が定年退職を迎えたり、病気になったりすると機能しなくなります。そこで多額の税も投入して年金や医療保険を組み込みましたが、その分、生活保護などの福祉に回るお金は抑えられた。
 現在、非正規雇用の増大などで三重構造から押し出され、さりとて福祉も受給できず、はざまに落ち込む人が急増しています。低所得や老親の介護、自らの心身の問題など多様な困難を抱えた、いわば「新しい生活困難層」です。社会保障支出が増大しているのに貧困と格差が解消されないのは、ここに支援が届いていないからです。これは世代間対立ではありません。新しい生活困難層は世代横断的に現れており、高齢者の貧困率も高くなっています。
 20140年には高齢者人口が3500万人まで増えて、減少する現役世代人口と数の上で接近します。よく「肩車型」といわれますが、高齢世代の孤立や貧困を放置すれば、結局は若い世代の負担が増す、「重量挙げ型」となるおそれが高い。
 「支える側」「支えられる側」という関係を超えて、高齢者が地域社会に参加し、働き続けることはより現実的な選択肢となってもいいと思います。ただし、上からの元気の押しつけはごめんです。「生涯現役で元気に働き続けよう」と号令をかけるだけでは、老いに関わる様々な困難を忘れた空想論になってしまう。老後を人生の付録のように考えないという意味の「老後レス」はいいのですが、実生活の厳しさを忘れた「人生レス」の施策は困ります。
 高齢世代でも現役世代でも、もっと多様な働き方や評価の軸を選択できるようにすることが必要です。それぞれの適性に合うように仕事を個別に切り出す働き方です。
 とくに高齢世代については、「年金兼業型労働」という言い方もあるように、オーダーメイドでいくつかの収入や活動を組み合わせるかたちがよいのではないかと思います。年金収入に加えて、地域の子育てや介護、農業を担ったり、現役時代に蓄積した経験値を生かした仕事をしたりする。補填型の所得補償とも合わせて、ゆるやかな働き方が目指されるべきでしょう。
 現役時代に活躍した高齢者ほど、自己肯定感の基準が高くなり、老いを受け入れることが難しいと聞きます。それぞれの年齢や心身の条件に見合った多様な元気を模索できる。そんな社会のかたちと心のやわらかさが求められています。 (聞き手 編集委員・真鍋弘樹)」朝日新聞2019年12月14日朝刊13面オピニオン欄。
 「脱工業化社会」をダニエル・ベルが唱えたのは、1962年。その後も、情報化社会、グローバル化、ハイテク・IT化、生命科学や遺伝子操作と、テクノロジーの高度化によって人間の幸福が増進し、工場で労働者が機械に合わせて汗を流して働くイメージをもった労働概念は消えてゆくように語られた。それでわれわれは労働から解放されたゆとりある老後を楽しめるようになったか?うなずく人は少数だろう。コンピューターやスマホが高齢者の生活にも浸透して、ネット通販は便利だとしても生活を支える十分な経済的基盤や公的サービスが確保されているとは思えないからだ。
 では、70歳を超えたぼくのような人間も、積極的に労働し対価を得て社会に貢献すべきなのか。もちろんそれができるなら結構なことである。幸いぼくは、今のところ健康の不安もなく、体力も5㎞ランニングを続けるほど維持している。でも、同世代の友人を見ると、健康や人間関係を維持するにも不安や困難を抱える人も少なくない。そういう人に少しでも働け、というのはかつて好景気の頃の日本で語られた明るい未来とは程遠い所にきてしまったと思う。それは日本経済が没落したからだとしても、それに有効な手を打たず従来の保守思考でやりすごせると政治家たちが思ったのならば、責任は問われるべきだ。
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