お正月に、帰省する予定でした。
特養に住む母には、今回は会えないのも覚悟し、
父のための帰省でした。
でも、東京のコロナ陽性の人数が益々増加して
悩んでいました。
昨日、「父が、来ない方がいい。」ということで、行かないことに決めました。
切ないです。
離れて暮らしているので、親の死に目に会えない覚悟はしています。
しかし、実際身近に迫ったら切ないです。
でも、ジタバタしても仕方がない。
職場の方が数年前、東北の病床の母に会いに行って
病室に一晩泊まり、その日に亡くなって
自分だけが最後を看取ったという話をしてくれました。
離れて暮らしていても、そんなこともあるのです。
コロナなんかに負けてたまるか!です。
最近の私、小さいことで落ち込んでいました。
年末年始は、子どもの頃のような年末年始が送れなくていつも寂しかったのです。
久しぶりに父とお正月が迎えられると思っていたのです。
紅白が終わったら、父と私と妹は母が縫った着物を着て初詣
一年に一度の夜中のお出かけは、楽しみでした。
元旦には、一年の初めの縁起を担いで
粗相がないかとピリピリして、
ある年は、母がお皿を割ってしまって、
一年の出鼻をくじかれて、父は烈火の如く起こりました。
あの時は私泣いたけど、今は懐かしい思い出です。
母は、年末は特に忙しく、紅白もまともに見ずに
お節料理の準備をしていました。
自分も家庭を持って、そんなお正月を送りたかったと毎年思っていたのです。
でも、これから働く目標が出来ました。
父に生きているうちに、会いたい。
弱くなった父に会うの怖いけど。
職場で嫌なことがあっても、動じない強い心になりたいです。
保育園の方は、本当にやりがいがあり、楽しく働けます。
職場の人とも心通い合い、子どもたちも本当に可愛いです。
昨日は、風船が育児室にいくつもぶら下げてあったら
ふうせんいっぱい!ふうせんいっぱい!って
飛び跳ねていました。
話せない子も、「あ!」と身振り手振りでわかります。
双子ちゃんの区別もなんなく出来るようになりました。
私、頑張ってるもん!
仕事帰り、金柑自動販売機に金柑がまだ残ってた!
しかし、100円玉がなく買えなかったけど、
明日は早番の後、100円玉を用意して買おうと固く誓っていました。
父のことで涙目で夜道を歩いていたのに
金柑への執着に切り替わる自分が可笑しく
少し逞しく思えました。
お洒落なお家たちが、皆でクリスマス飾りをやっていて
心温まりました。
父はわがままだったけど、父なりに家族を大事にしていました。
友達からの電話にさえ、ヤキモチを焼く父でした。
電話が長くなると、わざとオナラをして恥ずかしがる私は
電話を切るしかなかったのです。
(父には、いつでもオナラがでる特技がありました。)
母が、それはあんまりだと父に秘密で親子電話を買ってくれて
それがバレた時は、また烈火の如く!です。
寺内貫太郎一家みたいでした。
随分振り回されましたけど、今はそのわがままさえ愛おしいです。
大嫌いは、大好きなんだと思います。
生きてるうちに会いたいです。
熊本でも、そういう状況なのですね。
ほんとに、会いたい人と会える日が来て欲しいです。
初詣は、年末夜中12時前に出かけるんです。
元旦は出させませんでした。
その家の最初のお客様が女性だと良くないと言われました。
懐かしいです。
うちも泉水家もお正月は無しにしました。
私は膝関節症が辛くなって、長時間のおせち作りに自信がなくなった事もあり。
ひーちゃん家のお正月、ドラマのようないい風景ですねぇ。
私、元旦の初詣は行ったことないんですよ。
女は元旦の外出はだめ、が決まりでした。
会いたい人に何時でも会える日が、早く来ますように。
ほんと、寺内貫太郎みたいでした。
行く年来る年の、ゴーン!という除夜の鐘を聞きながら、夜中に初詣に出発していました。
紅白で途中うたた寝なんかしてたけど、年越しそば食べて目が覚めて。
今は、全体的に変わり映えしないのかな。
昭和的なお正月が懐かしいです。
昔は新しい年を迎える事を大事にしてたけど、
今はいつも通りの朝を迎える感じです。
年末は家族でレコ大→紅白→行く年来る年見て、
除夜の鐘で新しい年を迎えてました。
懐かしく思い出しました。
早くコロナが収束しますように🙏