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太宰治さんぽ

2018-11-25 | 読書

太宰治の文学散歩!

やっと行けました。

三鷹駅で集合でしたが、結構な人数でした。

通行の邪魔にならないように

4.5人のグループに分けて、

ボランティアガイドさんについて行きました。

数ヶ月前に一人で歩いたけれど、やはりガイドさんがいると全然違います。

禅林寺には、太宰治のお墓があります。

ここは、太宰の奥さんとの散歩コースだったところで

森鴎外のお墓があり、自分もここがいい。

と言っていたそうです。

津軽に墓を建てることは、実家の方から反対されたこともあり

ここになりました。

どちらも、森林太郎と本名です。

お墓の文字を書かれた人は、

お菓子の中村屋や、お酒の日本盛の文字も書かれました。

なんとなく丸みのある優しい文字です。

そして、いよいよ太宰のお墓

斜め向かいにあります。

鶴丸の紋がありました。

息子の高校と重なり、少し気になりました。

 

奥様は、聡明な方で

口述で手伝ったり、アドバイスをしたりしたそうで

したそうで、その頃の作品は明るかったそうです。

女生徒などがそ、その頃で川端康成に評価されたとか。

いろんな文学者との交流も興味深いです。

位置関係ですが、男性の斜め後ろが森鴎外、前が太宰治で、大きな桜の木がありますので

今度は、桜の頃に来たいです。

太宰の住んでいた場所には、平屋の借家があります。

芸人の又吉さんが住んでいたところで

人気の場所なので、皆さん一年ほど住んでは交代というのが暗黙のルールだそうです。

 ツアー仲間で人気のあった写真

まだ無名だった太宰が、銀座のバーで

最後の一枚のフィルムで撮った写真です。

母性本能くすぐられます。(笑)

 

玉川上水に行きます。

この方が、山崎富栄さんです。美しいかたですね。

太宰はメガネの女性は好みでなかったそうで

彼女も聡明でしたが、太宰の好みに合わせて、メガネを外していたとか。

 

心中しておきながら、奥様には

一生、あなただけを愛しました。

などと、遺書を書いたというのですからね。

でも、奥様はその遺書があったから、生きられたそうです。

 

師匠である井伏鱒二さんの悪口を書いて

丸めてゴミ箱に捨てた遺書の下書き?が

広げられて、残っています。

実はそれが本音だったのではないかと。

心中というから、二人の愛のためにと思っていましたが

小説が書けなすぐなったからと書いてありました。、

本音なのか?残された家族への気遣いなのか?

どちらにしても罪な男ですね。

 

玉川上水も長いので、入水した正確な場所はどこだろうと思ったら、目印がありました。

この玉鹿石が目印です。

津軽から運んできた石だそうです。

この石の道路の向こう側にあります。

ここに太宰の下駄などが置かれていたそうです。

今は水かさもないですが、当時は急流で確実な場所がここだったそうです。

柵もなかったそうです。

 

希望者は、太宰治の作品の朗読を聴きながらの食事です。

私も、どうせ一人ランチの予定でしたので参加しました。

津軽出身の方の津軽弁の朗読良かったです。

そのあとは、太宰が陸橋で写ってる場所へ移動です。

この二枚の写真と同じ場所で写真を撮りました。

コロンビアと書かれていますが

イギリスのレールを使ったそうです。中が窪んでいるでしょ?

今は、一部を除いてネットがありますが、昔はなかったそうで、

子どもには危なかったそうです。

でも、何かあったときは親が悪い。ということでした。

玉川上水も柵がなかったので、

気をつけないと滑って危険でした。

 

昔は、子どもに危険なことがあると親が怒られたけど

今は、親が怒る。と笑い話でした。

ほんと、そうです!

 

友達には、太宰が好きな人がいなくて

ブログに書くくらいしかできなかったけど

こうやって、太宰ファンと一緒に散歩して

いろんなお話が聞けて、とても楽しかったです。

読みたい本がまた広がりました。

 

来年、桜の頃にまた行きたいな。

 


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