小田島久恵のクラシック鑑賞日記 

クラシックのコンサート、リサイタル、オペラ等の鑑賞日記です

ルツェルン祝祭管弦楽団

2017-10-07 12:36:25 | クラシック音楽
ウィーン・フィル、ベルリン・フィル、コンセルトヘボウ管、マーラー・チェンバー・オーケストラ等、欧州の超一流オケの精鋭メンバーによって構成されるルツェルン祝祭管弦楽団が、11年ぶりの来日ツアーを行っている。現在の体制での組織を創設したクラウディオ・アバドが2014年に亡くなり、新音楽監督に就任したのはリッカルド・シャイー。初日(10/6)のプログラムはベートーヴェンとストラヴィンスキーで、シャイーの志向性とオケの実力を示すエキサイティングな内容だった。

初日を前に、シャイーとルツェルン・フェスティバル総芸術監督ミヒャエル・ヘフリガー氏が登壇する記者会見が東京ミッドタウン敷地内の「アーク・ノヴァ」で行われ、シャイーはうっとりとするような美声で(しかし全く気障ではない)、今回のプログラムをどのように準備したかを語った。特にベートーヴェンの交響曲第8番は、作曲家指定の非常に速いテンポをそのまま採用し「オーケストラにとっては大いなる挑戦だが、そうすることによってベートーヴェンの鼓動を感じることができる」と説明した。
ヘフリガー総裁の言葉もひとつひとつが意義深かった。シャイーに対して「個人的に(と強調し)大ファンで、20年間ずっと尊敬してきた」と賛辞を向け、さらに「シャイー氏の感情に正直な面が素晴らしい」と繰り返し語った。
この「感情に正直」という言葉にははっとした。最近、音楽を聴いたり語ったりするときに、きわめて重要なキーワードになりつつあるのを感じていたからだ。

予告通り、シャイーのベートーヴェン8番は剛速球で、サントリーホールの一階前方で聴いていたため弦楽器の迫力が凄く、音の飛沫が飛んでくるようだった。弦を擦過する弓の運動がパーカッシヴで、すべてが打楽器のようでもあった。全員が真剣な表情で、戦闘的ともいえる気迫をみせ、このシンフォニーの痙攣的でエキセントリックな性格を浮き彫りにした。女性奏者たちはスカートやドレスではなくほぼ全員がパンツスタイルで、なるほど、大きく足を広げて演奏している方もいる。
シャイーのスーツの背中の縫い目が見えるほどの距離から聴いていたのだが、マエストロの動きも痙攣的で、いわゆる「タテノリ」で、ベートーヴェンの興奮体質が乗り移ったかのごとしだった。オーソドックスなところなど全くない。「これがこの音楽の本質なのだ…」という姿勢には妥協がなく、オーケストラは凄い分数(!)でそれについてくる。
大変な速さだが、管も弦もひとつたりとも音をこぼさないので、むしろ譜面に書かれた音符は明晰に伝わってきて、作曲家の筆圧の強さと狂気に近い創造力にただただ茫然とした。
「エグモント」が終わったのが19時15分頃で、「ベト8」は19時40分頃には終わっていたから、ほぼ23.4分の演奏時間。その時間の密度はなんというか…異次元的でもあった。サントリーホールのステージが宇宙ステーションで、ベートーヴェンの特殊波動に乗って別天地にテレポートしたような感覚だったのだ。

ベートーヴェンはすごいロックだ…ひょっとしたらパンクなのか。それもドラムマシーンやシーケンサーなしに、強力な「電撃」ビートが飛び出していた。打楽器が鳴っていない箇所でも、ずっとリズムがあり、生き物のように音楽の中をうねっていた。それはまさにシャイーがいう「ベートーヴェンの鼓動」であり、理性を突き破って横溢する肉体の衝動そのものだ。
後半のストラヴィンスキーの「春の祭典」ではそのアプローチが過激化され、エリート奏者たちの尋常でない表現が披露された。
1913年5月にバレエ・リュスの「春の祭典」(ニジンスキー版)がパリのシャンゼリゼ劇場で上演されたときのパニックを想像した。観客は激怒し、ひきつけを起こし、ストラヴィンスキーが書いたのはいかがわしい騒音だと訴え、「春の祭典」ではなく「春の虐殺」だと評された。人間が初めてこの音楽を聴いたときの驚きと恐怖が、2017年のルツェルン祝祭管の音楽からダイレクトに理解できたのだ。危険で病的な和声を奏でるプレイヤーたちは、鋭い耳の持ち主で、お互いの音をよく聞きながら「調和しない」。音程は射撃のように正確だが、その表現は痴れ者か野獣の喚きのようであり、人間の言葉では理解不可能なものなのだ。音と音とかヒリヒリぶつかり合い、血しぶきをあげ、御しきれない強力なものが次々と遠くからスピーディに押し寄せてくる。

シャイーは感情に正直…というヘフリガー総裁の言葉がまたしても念頭に浮かんだ。「私がこう感じたことを、表わしてみたい」という、言葉にしてみれば呆気ないほどのことを、シャイーは寸分の妥協もなく現実のものにしていた。
指揮者の「私」という揺るぎないアイデンティティが、理性を撹乱するような「春の祭典」を貫いていたのだ。カラヤンのアシスタントを努め、多くのマエストロの生き方を傍で見てきたシャイーが、60代を迎えて(あえて円熟期とは言わない)芸術家として充実をはかっていくとき、なろうとしたものは紛れもない「自分自身」で、そこにはイタリアオペラの巨匠という分かりやすいイメージも、ドイツの謹厳な指揮者というイメージもなかったのだ。
「大御所と呼ばれることに何の価値があるのか…私はいつでも新しい私だ」という、冒険的でハイリスクな道を選んだのだ。
その「私」は宇宙と等しく、何ともつながることができる無限の可能性で、形なきものや、命あるものだけでなく命なきものとさえ繋がれる。ストラヴィンスキーは夢の中に出てきた人形に命を吹き込んだ。人形「と」私、妖精「と」私、野蛮人「と」私…俳優のように、自分の心を占めるものと一体化できるのは、2月20日いう黄道12宮の最後の星座のもとに生まれた芸術家ならではの才能だ。

才気に溢れたエキセントリックな衝動が、野蛮でこの上なく芸術的なサウンドとして「今」という時間に溢れかえった。この音楽をどう要約したらいいか分からないほど驚いたが、なぜか腹筋がふるふる震え「ふっ…ふっふっふっ」という笑いがこみ上げてきた。チェコ・フィルのドヴォルザークには泣いたし、パリ管のマラ5には正体不明の怒りを感じたが、ルツェルン祝祭管のストラヴィンスキーからは哄笑が溢れ出した。理性を使って理性あらざるものを表現してしまえる人間の凄さ、未来的で爆発的な楽観性に痺れて、嬉しいような楽しいようなサイケデリックな気分に見舞われた。
アンコールにはストラヴィンスキー「火の鳥」から「カスチェイーの凶悪な踊り」か演奏され、獰猛で凶暴なモダニズムの切っ先が肌に突き刺さってきた。オケがはけるとき、ずっとシャイーの後ろ姿の陰になっていたクレメンス・ハーゲンさんの穏やかな姿を見つけ「あっ…」と声が出そうになった。こんな優しそうな紳士があんな音楽を奏でていたのだ…。
ルツェルン祝祭管弦楽団は10/7.8.9にも日本でコンサートを行う。

(写真は10/4に「アーク・ノヴァ」で行われた記者会見で撮影したものです)