二期会の『金閣寺』の二日目を上野の東京文化会館で観る。ゲネプロではABキャストを前半(Bキャスト)後半(Aキャスト)と見学し、歌手たち全員の出来栄えの高さと、マキシム・パスカルが指揮する東響の繊細で機知に富んだサウンドに関心した。本公演は与那城敬さん主役で観たが、あの美男子の与那城さんが道化のようなメイクでヴァルネラヴィリティの塊である溝口を演じ切っていることに改めて驚いた。柏木役の山本耕平さんも、邪悪で第六感の発達した奇妙な青年の役を見事にこなし、ドイツ語の現代オペラを高いレベルで上演できる今の二期会の実力は素晴らしいと思った。
歌手たちの完成度と、オペラ全体の感想とは分けて考えなければならない。一緒に考えるのが自然なのだが、今回はそうはいかなかった。『金閣寺』は演出がものをいうオペラだと重ねて思ったからだ。三島由紀夫の原作を、黛敏郎さんがベルリン・ドイツ・オペラの委嘱(1976)で作曲した。クラウス・H・ヘンネベルクの台本では、吃音の溝口が「手の不自由な青年」に変更されている。オペラは歌わなければならないので吃音ではダメだということなのだが、それは演出家にとっての大きな課題となる。特に三島の観念小説をよく知る日本人にとっては、デリケートな問題だ。
宮本亜門さんは過去に演劇で『金閣寺』のとんでもない傑作を作った。柳楽優弥さんが溝口を演じたACTシアターでの再演は二回観に行った。ここでは亜門さんの奔放なマジックが全開だった。ホーミーを歌う美しいダンサーが金閣寺である…という手品のような解釈は、他の演出家には真似できない。紛れもない天才の仕事だった。オペラ版を観て、亜門さんはドイツ語で書かれたこの台本に相当苦痛を感じられたか、あるいは最初から「自分のものではない」と突き放したのではないかと思われた。端正で美しい舞台ではあったが、熱が感じられなかった。溝口の分身である、「ヤング溝口」を木下湧仁さんが体当たりで好演したが、演じ手に感謝しながらも、その部分的なナイーヴさに口実じみたものを感じてしまった。
今回の『金閣寺』では稽古を見学するチャンスがなかったが、指揮者稽古が始まったばかりの頃、偶然にも副指揮者の沖澤のどかさんに取材することがあった。指揮者コンクールで優勝された沖澤さんの、コンクールでの心境などを取材する場だったが、そこで偶然これから二期会のお稽古に行かれるという話になった。パリ・オペラ座バレエ団の『ダフニスとクロエ』で指揮者のマキシム・パスカル氏のファンになっていた私は、思わず「パスカルさんってどういう人ですか?」と沖澤さんにたずねた。「とても知的な方で、三島のこともオペラ作品のこともよく知ってらっしゃるので、今回のヴァージョンについては『斧で切ったようなカットだね』と仰ってました」という答え。沖澤さんは2015年の神奈川県民ホールでの『金閣寺』ではプロンプターを務められていたというお話だったが、それ以降は金閣寺についてお聞きすることも、沖澤さんとお話することもなかった。「マキシムさんの『斧で切ったように』というフランス語が面白くて」という沖澤さんに「ふーん。そんなものなのか」と思っていた。この金閣寺はフランス国立ラン歌劇場との共同制作だが、フランスでの上演時は別の指揮者が振っている。
どうして斧で切ったようなカットになってしまったのか…戦後のある時期に書かれたオペラに現代的な意味がなくなった、と判断したのか、作品そのものの難解さをフレンドリーにするためか、それとも「手が不自由な溝口」という台本に価値がないと思われたのか…亜門さんは、つねに「勝つ」演出家だったので、この『金閣寺』は意外だった。亜門さんにも、ぶっ飛んだ『魔笛』もあれば、比較的常識的な『フィガロの結婚』や『コジ・ファン・トゥッテ』もあり、両面性を感じてきたが(それはとても人間的なことだ)「勝つ」ことだけは諦めていない方だと思った。装置・衣裳・照明・映像スタッフは海外のアーティストだが、彼らのスタイリッシュな感性と、映像の衝撃性は確かに演劇的な効果を上げていた。多くの観客が満足する内容のヴィジュアルが、表面的には作られていたと思う。
こう思ってしまうのも、2015年に上演された田尾下哲さん演出の神奈川県民ホールの『金閣寺』の印象があまりに強く、それに比肩する演劇的な「力」が今回のプロダクションには感じられなかったからだ。三島の狂気に近い論理性と作品の美学が田尾下演出には波打っていて、公演を観た後に県民ホール近くの可愛いパンケーキ・ショップでパンケーキを頼んだ自分は、ホイップクリームだらけのケーキを少しだけしか食べられなかった。五感がすべて麻痺してしまうほどの演劇的な衝撃があった。三島の亡霊や、日本の戦死した兵士たちの怨霊、演劇人と演奏家の苦悩が、舞台上に物理的に出現した大きな金閣寺とともに私の精神に食い込んだのだ。「認識か行為か」という『金閣寺』の命題は、そのまま三島の具体的な死へとつながっていくが、あの舞台上の巨大な金閣寺は決闘の申し込みのような凄みがあったのだ。
2015年の『金閣寺』のことを語り出しても詮無きことかも知れない。人は4年前に観たオペラのことをちょうどいい具合に忘れているし、目の前に現れた新しい『金閣寺』にぼうっとなってしまうこともある。いくつかの場面は2015年の金閣寺とだぶったが、演出家が偶然同じイメージを抱くこともあるだろう。
そう思って何も書かずに眠ろうとしたら、夜明けに死ぬような悪夢を見た。誰の声とも分からぬ怨霊のような声で「お前は一度見たものを忘れられるのか?」「見てしまったものから逃れられるのか?」という、感覚とも響きともつかないものが、真綿のように首にからみついてきたのだ。私はこのまま狂って死んでしまうのか…その声はどういう意味があるのか。狂わないために今、この文章を書いている。
悩ましいのは、この二期会の『金閣寺』が決定的な失敗作ではなく、むしろ多くの観客を魅了し、私自身もここで描かれた女性の恐ろしさと溝口のみじめさに再び共感し納得してしまえたことなのだ。もっと悩ましいのは、宮本亜門さんの芝居の『金閣寺』を愛し、亜門さんを信頼している自分が、このオペラで演出家を疑っていることだ。ラストシーンは奇妙だった。突然現れた銀色の大きな坂のような板に向かって溝口が走ってよじのぼり、そこからトスカのように身を投げる。亜門さんのお芝居では、放心した溝口は客席の最前列の席に座り、三島の原作の通り「生きよ…」と言うのだった。生きるべき溝口が、自決のような振舞いをする。ここに秘められたアイロニーを感じ取らないわけにはいかなかった。
歌手たちの完成度と、オペラ全体の感想とは分けて考えなければならない。一緒に考えるのが自然なのだが、今回はそうはいかなかった。『金閣寺』は演出がものをいうオペラだと重ねて思ったからだ。三島由紀夫の原作を、黛敏郎さんがベルリン・ドイツ・オペラの委嘱(1976)で作曲した。クラウス・H・ヘンネベルクの台本では、吃音の溝口が「手の不自由な青年」に変更されている。オペラは歌わなければならないので吃音ではダメだということなのだが、それは演出家にとっての大きな課題となる。特に三島の観念小説をよく知る日本人にとっては、デリケートな問題だ。
宮本亜門さんは過去に演劇で『金閣寺』のとんでもない傑作を作った。柳楽優弥さんが溝口を演じたACTシアターでの再演は二回観に行った。ここでは亜門さんの奔放なマジックが全開だった。ホーミーを歌う美しいダンサーが金閣寺である…という手品のような解釈は、他の演出家には真似できない。紛れもない天才の仕事だった。オペラ版を観て、亜門さんはドイツ語で書かれたこの台本に相当苦痛を感じられたか、あるいは最初から「自分のものではない」と突き放したのではないかと思われた。端正で美しい舞台ではあったが、熱が感じられなかった。溝口の分身である、「ヤング溝口」を木下湧仁さんが体当たりで好演したが、演じ手に感謝しながらも、その部分的なナイーヴさに口実じみたものを感じてしまった。
今回の『金閣寺』では稽古を見学するチャンスがなかったが、指揮者稽古が始まったばかりの頃、偶然にも副指揮者の沖澤のどかさんに取材することがあった。指揮者コンクールで優勝された沖澤さんの、コンクールでの心境などを取材する場だったが、そこで偶然これから二期会のお稽古に行かれるという話になった。パリ・オペラ座バレエ団の『ダフニスとクロエ』で指揮者のマキシム・パスカル氏のファンになっていた私は、思わず「パスカルさんってどういう人ですか?」と沖澤さんにたずねた。「とても知的な方で、三島のこともオペラ作品のこともよく知ってらっしゃるので、今回のヴァージョンについては『斧で切ったようなカットだね』と仰ってました」という答え。沖澤さんは2015年の神奈川県民ホールでの『金閣寺』ではプロンプターを務められていたというお話だったが、それ以降は金閣寺についてお聞きすることも、沖澤さんとお話することもなかった。「マキシムさんの『斧で切ったように』というフランス語が面白くて」という沖澤さんに「ふーん。そんなものなのか」と思っていた。この金閣寺はフランス国立ラン歌劇場との共同制作だが、フランスでの上演時は別の指揮者が振っている。
どうして斧で切ったようなカットになってしまったのか…戦後のある時期に書かれたオペラに現代的な意味がなくなった、と判断したのか、作品そのものの難解さをフレンドリーにするためか、それとも「手が不自由な溝口」という台本に価値がないと思われたのか…亜門さんは、つねに「勝つ」演出家だったので、この『金閣寺』は意外だった。亜門さんにも、ぶっ飛んだ『魔笛』もあれば、比較的常識的な『フィガロの結婚』や『コジ・ファン・トゥッテ』もあり、両面性を感じてきたが(それはとても人間的なことだ)「勝つ」ことだけは諦めていない方だと思った。装置・衣裳・照明・映像スタッフは海外のアーティストだが、彼らのスタイリッシュな感性と、映像の衝撃性は確かに演劇的な効果を上げていた。多くの観客が満足する内容のヴィジュアルが、表面的には作られていたと思う。
こう思ってしまうのも、2015年に上演された田尾下哲さん演出の神奈川県民ホールの『金閣寺』の印象があまりに強く、それに比肩する演劇的な「力」が今回のプロダクションには感じられなかったからだ。三島の狂気に近い論理性と作品の美学が田尾下演出には波打っていて、公演を観た後に県民ホール近くの可愛いパンケーキ・ショップでパンケーキを頼んだ自分は、ホイップクリームだらけのケーキを少しだけしか食べられなかった。五感がすべて麻痺してしまうほどの演劇的な衝撃があった。三島の亡霊や、日本の戦死した兵士たちの怨霊、演劇人と演奏家の苦悩が、舞台上に物理的に出現した大きな金閣寺とともに私の精神に食い込んだのだ。「認識か行為か」という『金閣寺』の命題は、そのまま三島の具体的な死へとつながっていくが、あの舞台上の巨大な金閣寺は決闘の申し込みのような凄みがあったのだ。
2015年の『金閣寺』のことを語り出しても詮無きことかも知れない。人は4年前に観たオペラのことをちょうどいい具合に忘れているし、目の前に現れた新しい『金閣寺』にぼうっとなってしまうこともある。いくつかの場面は2015年の金閣寺とだぶったが、演出家が偶然同じイメージを抱くこともあるだろう。
そう思って何も書かずに眠ろうとしたら、夜明けに死ぬような悪夢を見た。誰の声とも分からぬ怨霊のような声で「お前は一度見たものを忘れられるのか?」「見てしまったものから逃れられるのか?」という、感覚とも響きともつかないものが、真綿のように首にからみついてきたのだ。私はこのまま狂って死んでしまうのか…その声はどういう意味があるのか。狂わないために今、この文章を書いている。
悩ましいのは、この二期会の『金閣寺』が決定的な失敗作ではなく、むしろ多くの観客を魅了し、私自身もここで描かれた女性の恐ろしさと溝口のみじめさに再び共感し納得してしまえたことなのだ。もっと悩ましいのは、宮本亜門さんの芝居の『金閣寺』を愛し、亜門さんを信頼している自分が、このオペラで演出家を疑っていることだ。ラストシーンは奇妙だった。突然現れた銀色の大きな坂のような板に向かって溝口が走ってよじのぼり、そこからトスカのように身を投げる。亜門さんのお芝居では、放心した溝口は客席の最前列の席に座り、三島の原作の通り「生きよ…」と言うのだった。生きるべき溝口が、自決のような振舞いをする。ここに秘められたアイロニーを感じ取らないわけにはいかなかった。