小田島久恵のクラシック鑑賞日記 

クラシックのコンサート、リサイタル、オペラ等の鑑賞日記です

新国『トスカ』(1/23)

2021-01-25 01:30:41 | オペラ
新国『トスカ』の初日を鑑賞。アントネッロ・マダウ=リアツの古典的な演出はこの劇場で何度か観ているが、プログラムに2000年のプロダクションとあるので初演から21年目となる。コロナ対策で演出に変更があったとのことだが、トスカとカヴァラドッシの距離は不自然ではなく、客席からはドラマに充分に沿った絡みをしていたように見えた。トスカはこの役がデビューだった(2013年)イタリア人キアーラ・イゾットン。カヴァラドッシはスター歌手フランチェスコ・メーリ、スカルピアはウルグアイ出身のバリトン歌手ダリオ・ソラーリ。指揮はダニエーレ・カッレガーリ。オーケストラは東響。

印象的だったのは、冒頭の3つの音が、爆音ではなく非常に示唆に富んだ「それほど大きくない音」だったことで、圧政者スカルピアを象徴する恐怖音なので、大くの指揮者は序章の刻印として暴力的な音を出す(譜面ではfff)。ダニエーレ・カッレガーリは含蓄に富んだ、心理的に怖い響きを東響から引き出し、その後もオペラの先入観を覆すような「繊細で一歩引いた」音楽を奏でた。弦の響きが特に美しく、トスカとカヴァラドッシがいちゃつく場面(!)では愛の陶酔そのものの夢心地のサウンドとなった。『トスカ』は改めて人間関係が重要なオペラなのだ。

フランチェスコ・メーリは気品あるオーラで、登場してすぐ『妙なる調和』を見事に歌い切り、客席から長い喝采が巻き起こった。勢いがあり、正確で華があるアリアに満足。カヴァラドッシは強い声だが、がなり立てないのが良かった。堂守の志村文彦さんは、新国でこの役をやられるのは何度目だろう。ますます磨き込まれていて、ぶつぶつ言いながら筆を洗うシーンも、腰を痛そうにして歩く仕草もリアルで素晴らしかった。

イゾットンの「マーリオ!マーリオ!」の声がとても深く、ほとんどコントラルトのように聴こえたので一瞬驚いた。正真正銘のソプラノで高音も伸びるが、声に独特の憂いがあって、違う声種にも聴こえる。ネトレプコはベルカントからスタートして徐々に重い役に成長していったが、イゾットンは若いうちから既に声に重みがあるのだ。メーリの明るい声とのコントラストが最初のうち不思議だったが、ドラマティックで演技力もあり、どの場面も迫力満点だった。30代前半くらいだろうか? 若いトスカはいいものだと率直に思った。

スカルピアのダリオ・ソラーリは上品な紳士の風情で、「テ・デウム」もそれほどどす黒くなかった。音程をしっかり守って、輪郭を保ちつつ正確に歌うタイプなので、悪代官も嫌らしさが少な目なのだ。ヴェルディやベルカントのレパートリーがメインとプロフィールに記されているが、必要以上に威嚇しないスカルピアというのもある意味深読みできる「怖さ」がある。
 
それでも二幕では、スカルピアもほどほどに腹黒さを増す。一幕の一瞬で空気が転換していくオーケストレーションも見事だが(トスカ去る→カヴァラドッシとアンジェロッティの会話→アンジェロッティ逃走と堂守の再登場→児童合唱のくだりは手品のよう)、二幕は聴いていて全身が息苦しくなるほど圧倒される。あまりにリッチなスコアなので、それを聴いていることが快感なのかストレスなのかも判別しがたくなるのだ。拷問もレイプ未遂も殺人もファルネーゼ宮の「密室」で起こり、そうした美術が作られるが…オーケストラもつねに「密室」をサウンドで作り上げる。四方八方からの圧が凄いので、最終的に誰かが血を流さなければならないのは、物理的な帰結にも思える。五線譜でここまでの演劇を書き上げたプッチーニは、間違いなく規格外れの天才だった。

メーリの「勝利だ!」の熱唱、イゾットンの「歌に生き愛に生き」には完全に魅了されたが、二幕で大変なのはスカルピアとトスカの「真剣勝負」で、芝居的にも集中力を求められる正念場だと思う。イゾットンの初々しい、少しの嘘もない表情に胸打たれた。自由と誇りと愛する男を傷つけられたトスカが、スカルピアの心臓を一刺しする瞬間に、これほど共感したことはない。

古典的演出が素晴らしいのは、それぞれの幕がひけたときに「さっき死んだのは嘘ですよ」と登場人物が飄々と出てくることで、個人的にそこが大好きだ。血で息が詰まってもがき苦しんだスカルピアは、喝采のときポケットから何かを出して客席にアピールしたかったようだが、うまくいかなかったみたいでニコニコして袖に引っ込んだ(何を見せたかったのだろう)。

歌手の熱演にも増して、この再演では指揮者のプッチーニ解釈に感銘を受けた。カッレガーリはミラノ出身で、スカラ座管弦楽団に12年いたというが、オペラと音楽全般に対して非常に柔軟で広範な知識を持っている音楽家だと感じた。ヴェリズモ然としたところが少ないのは、恐らく歌手の声質に合わせているのだろう。「濃いドラマ」を聴かせようとすると掻き消えてしまうような、レース編みのような見事なオーケストレーションを詳しく聴かせてくれる。初日だが、東響は素晴らしい演奏をした。三幕の入りのとき、指揮者への喝采がそれほど大きくなかったのが気がかり。「濃い口」のドラマを求めてきた人は、もしかしたら予想外だったかも知れないが…オペラに対して内なる理念を秘めた、卓越した指揮者だと思う。

3幕では、予想外のシーンで涙した。好きなオペラは「トスカ・ボエーム・蝶々さん」と言って憚らない自分だが、『トスカ』は泣くオペラではない…しかしこの演出では、カヴァラドッシを救いに来たトスカが「あなたはお芝居で処刑されるの!」と言った瞬間に、本人は自分の死を理解している。大きな声では言わないが、メーリの姿を見ていればそれは明白だった。死を覚悟したカヴァラドッシが、お喋りなトスカに「ずっと喋っていてくれ…」と語るくだりは、絶望的な孤独感とともにある、最後の愛情表現に心臓が止まりそうになる。処刑されたカヴァラドッシを確認しようとするトスカに「お姫様、さあご覧ください」とばかりにお辞儀をするスポレッタの今尾滋さんが、最後まで気を抜かない見事な演技だった。
『トスカ』は1/25、1/28、1/31、2/3にも上演される。


















最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。