小田島久恵のクラシック鑑賞日記 

クラシックのコンサート、リサイタル、オペラ等の鑑賞日記です

東京バレエ団『くるみ割り人形』(12/13)

2019-12-15 17:36:29 | バレエ

37年ぶりのリニューアルが大きな話題となった東京バレエ団の『くるみ割り人形』の初日(12/13)を東京文化会館で観る。マーシャ役は川島麻実子さん、くるみ割り王子は柄本弾さん。ドロッセルマイヤーは森川茉央さん。カンパニーが長年踊ってきたワイノーネン版をもとに衣裳、装置、演出が新しくなっているが、予想以上に鮮烈で、充実したプロダクションだった。
アンドレイ・ボイテンコ氏による舞台美術デザインはクリスマス・ツリーの美しさを幻想的なスケールに押し広げたもので、舞台が転換するたびに盛大な拍手が起こっていた。大広間は壮麗で輝かしく、一方マーシャの寝室は広く暗く礼拝堂のような雰囲気。昔のロシアの子供部屋はこんなに心細い空間だったのかと思う。この暗さには夢の世界とつながる「回路」が潜んでいる。『オネーギン』で恋人の幻想をみるタチヤーナや、『薔薇の精』で眠りの中で妖精と出会う少女を思い出す。大広間で子供たちとは別に舞踏会を繰り広げる大人たちの様子は『ロミオとジュリエット』を彷彿させるし、新しい『くるみ割り人形』にはたくさんのバレエのオマージュがちりばめられているように感じられた。この印象はラストシーンまで続いた。

マーシャを踊る川島麻実子さんは床に吸い付くような柔軟な甲で、全身が表情豊か。チャイコフスキーの音楽の耳あたりの良さの奥にある前衛性を、見事に踊りで表現していた。2年ほど前、川島さんと指揮者の川瀬賢太郎さんの対談の司会をやらせて頂いたことがあるが、川島さんは神奈川フィルの公演に足しげく通い、チャイコフスキーの音楽を研究されていた。川瀬さんへの質問も熱心で、スコアがどうなっているのか、音楽の構造やオケについても好奇心旺盛で「バレリーナはこんなにも研究熱心なのか」と驚かされたものだ。その知性は、この日の踊りに生かされていた。チャイコフスキーのバレエ音楽以外のシンフォニーやコンチェルトもきっとたくさん聴かれたのだろう。可愛らしいマーシャが、音楽の神秘と深遠を同時に表していた。

ピエロ(鳥海創さん)、コロンビーヌ(金子仁美さん)、ムーア人(海田一成さん)が生きた人形として登場する場面では、客席の子供たちの食いつくような視線がすごかった。フォーキンの『ペトルーシュカ』を思い出すが、同時にこの面白いキャラクターが舞台を埋め尽くす感じは『ベジャールのくるみ割り人形』も彷彿させた。ベジャールは「思い出すナ…クリスマスのコト…」と自らの幼年期を振り返ってくるみ割りを振り付けたが、このバレエの「二次元的なキャラクターが次々と出てくるユーモラスな感じ」も嬉々として強調し、金色と銀色のドラァグ・クイーンのような天使まで登場させている。東京バレエ団はワイノーネン版とともにベジャール版も頻繁に上演してきたので、あの「カラフルなキャラクターがひとつの空間に同居するなんとも言えない面白い感じ」を出すのがうまい。初日の上演では、シーンごとに長い喝采が巻き起こるので、次の踊りへ移るタイミングが難しかったと思うが、喝采の間じゅう張り子の人形のようにゆらゆらと揺れる演技をしていたピエロの鳥海さんが最高だった。

 『雪片のワルツ』では、NHK東京児童合唱団の約20名ほどの少年少女が舞台の左側に整列し、清らかな声を聴かせた。シーケンサーのボイス加工などで現代では省略できるパートだが、くるみ割り人形は「こども」が大切な役を担う。舞台では東京バレエ学校の生徒たちも大活躍をした。生の子供たちの声はホール全体にこだまし、聖なる響きに胸を打たれた。
指揮は井田勝大さん。日本でバレエのピットに入って、これだけ踊り手の呼吸感に寄り添った見事なチャイコフスキーを振れる人はあまりいないだろう。10年以上前、Kバレエ カンパニーの『白鳥の湖』の公演で井田さんが振られたとき、客席でNBSの皆さんとお会いしたことを思い出す。聞けば「うちでずっと助手をやってくれた子が指揮デビューするんですよ」とのこと。井田さんは長年、福田一雄先生の助手を務められていた。現在はKバレエの音楽監督だが、今年は東京バレエ団と両方のピットに入ることなったのが嬉しい。東京シティフィルハーモニック管弦楽団は名演で、金管の力強いワルツの表現がダンサーたちに安心感を与えていた。

2幕ではたくさんの東京バレエ団のスターが活躍した。12/15の王子役の宮川新大さんと伝田陽美さんが踊る「スペイン」は一気に陽気で温かいムードが溢れ出す。宮川さんの明るい肯定的なエネルギーに、改めて大きなスター性を感じた。三雲友里加さんとブラウリオ・アルバレスさんの「アラビア」は妖艶な美しさ。「中国」は岸本夏未さんと岡崎隼成さんが機知に富んだコケティッシュな踊りを見せた。「フランス」の樋口祐輝さんは、個人的にこの公演での大きな発見だった。「ロシア」の池本祥真さんも踊りと本当によく合っている。池本さんは2010年のペルミ国際バレエコンクールの金賞を受賞しており、モスクワでキャリアをスタートさせたダンサーだ。カンパニーの中でどんどん存在感を増していることがたのもしい。

グラン・パ・ド・ドゥは見事だった。くるみ割り王子の柄本弾さんはベジャールもノイマイヤーも素晴らしく踊るが、クラシックでは完璧なダンスール・ノーブルで、基本のポジションの美しさと正確さにクラシックのダンサーとしての底力を見た。川島さんとのパートナーシップは高次元の信頼関係を感じさせるもので、二人が踊るときの目標がとても高くなっているのが分かる。川島さんの冒険心と大胆さが、柄本さんのやる気をさらに引き上げているのだと思った。インタビューでは「今後はバレエ団をひっぱっていく役目も担う覚悟」と語られていた柄本さんだが、王子の華麗な動きで空気が変わり、群舞がいっせいに動き出すシーンの鮮やかさに、その言葉の意味を理解した。王子は最後、起立したまま数人のダンサーに持ち上げられ花芯のようになり、群舞は花弁のごとく腰を落として静止するのだが、それはまさにに「ボレロ」と「春の祭典」のラストと重なった。東京バレエ団の新しい『くるみ割り人形』は、バレエ団の創成期を振り返るものであり、同時にこれまで踊ってきた数々のレパートリーを振り返るものでもあったと思う。それが決して仰々しくも重々しくもない、「ハイセンスで華麗な」世界になっているのが東京バレエ団の良さなのだ。

東京バレエ団が海外の巨匠たちの名作に取り組むときの一途さ、謙虚さをずっと見てきた。マラーホフやギエムの公演を支え、彼らの引退まで献身的に共演を続けた。私がバレエに目覚めたのも1990年の東京バレエ団とジョルジュ・ドンの『最後のボレロ』で、学生時代に岩手県民会館での公演を観たことがきっかけだった。そこから数えきれないぐらい、彼らの公演を観た(東京バレエ団は私の青春のシンボルなのだ)。バレエは西洋のものか、誰のものか、正解はどこにあるのか? という真剣な問いに、忍耐強くしなやかに取り組んできたこのバレエ団が、この上なく優美な形で見せてくれた「解答」に胸が熱くなった。これはただの新制作ではなく、彼らのすべてであり、そのアイデンティティの在り方が清潔で崇高であることに感動せずにはいられなかった。

 芸術監督の斎藤友佳理さんは、お稽古ではとても厳しい方で、はた目からはきちんと踊っているように見えるダンサーにも、名指しで鋭い注意をされる。こんな厳しい稽古場、私はとてもいられない…と見学していて何度も思ったが、それは母の厳しさで、全員がどれだけ必死であるかを知っている。この素晴らしい『くるみ割り人形』を完成させた斎藤さんの熱意とリーダーシップ、美意識と才能にはただただ脱帽である。

 

 

 

 

 

 


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