小田島久恵のクラシック鑑賞日記 

クラシックのコンサート、リサイタル、オペラ等の鑑賞日記です

チャイコフスキー 3大協奏曲の饗宴 (11/6)

2023-11-09 00:50:08 | クラシック音楽
「チャイコフスキー130年目の命日に捧ぐ」とサブタイトルがつけられたオール・チャイコフスキー・プログラム。前半に『ロココの主題による変奏曲 イ長調』『ヴァイオリン協奏曲 ニ長調』、後半に『ピアノ協奏曲第1番 変ロ短調』が演奏された。高関健さん指揮 東京フィルハーモニー管弦楽団。
『ロココの主題』でソロを弾いたスペイン人チェリスト、パブロ・フェランデスの演奏が大変魅力的。素晴らしい音感で音程を取り、ひとつひとつのフレーズを有機的につなげていくので、ソロパートがひとつの生き物のように感じられる。地味でおっとりしているようで、秘められた情熱があり、オケとの対話も繊細だった。プロフィールを見ると、大変人気の演奏家でスター並みの注目度の人らしい。演奏は堅実で、むしろ禁欲的な雰囲気さえある。しかしながら音楽の輪郭は魅惑的で、聴き手をくつろいだ気分にもさせてくれる。一言では語り切れない、何層もの神秘的な資質をもったチェリスト。チェコフィルの来日公演にも参加して協奏曲を弾いたらしい。謙虚さを感じさせるステージマナーも好感が持てた。コンサートマスターの三浦さんが賞賛するように握手していた姿が印象的だった。

 『ヴァイオリン協奏曲』では長身のヤン・ムチェクがスマートに現れ、ヴァイオリンがとても小さく見えたが、弾き始めると楽器と身体が完全に一体化して、情熱的な音楽が溢れ出した。この曲は数えきれないほど聴いているはずなのだが、こんなにも凄い技巧が詰まっている曲だということに改めて驚愕した。ソリストの集中力が並大抵でなく、ピッチも正確なので、旋律のピュアさが瞬間瞬間に飛んできて「一体こんなものを書いたチャイコフスキーは、演奏家に何をさせようとしたのだろう」と思ってしまう。オーケストラはこの曲では大変野性的で、高関さんが引き出すサウンドはロックのようで、一楽章のアッチェレランドはソリストの情熱とシンクロしたのだと思うが、型破りなほどだった。こんなに密度の濃いヴァイオリンコンチェルトは聴いたことがない。

後半の『ピアノ協奏曲第1番』ではキリル・ゲルシュタインが登場し、オケがソリストが囲むように配置された前半の2曲と、全体から隔絶された前方に楽器が置かれるピアノ協奏曲とはやはり違うものだなと思った。ゲルシュタインの大きな手が、冒頭の和音を分散和音で弾いていたのが鮮烈だった。力強い打鍵というより、雅やかで女性的な雰囲気になる。サンクトペデルブルクの優雅な街並み、オペラ『エフゲニー・オネーギン』の3幕の舞踏会の場面を連想した。しかしすぐさま男性的な低音が押し寄せるように鍵盤から唸り出し、大きなグルーヴを生み出していく。ゲルシュタインはもうひとりの指揮者のようにチェロや管楽器を目で制し、オケをコントロールしているように見えた。この協奏曲では、指揮者が二人いたように見えたのだ。否定的な意味ではなく、それが素晴らしい効果を上げていた。ゲルシュタインはカリスマ的で、チャイコフスキーの音楽から人間の矛盾や苦悩まで引き出して、聴き手の心臓に触れてくる音楽を創り上げていく。演奏家の知性と霊性によって、未知の印象が膨大に引き出されていた。ところどころ新鮮に聴こえる箇所があり、プログラムを見ると「1879年版 チャイコフスキーが所有していたスコアに基づく」と記載されている。

ソリスト3人の莫大な才能と精神性が、異様なほどの幸福感をもたらしてくれたコンサート。ただの幸福感ではなく、作曲家が抱えていた苦痛や悲哀こそが人間の貴重な感覚なのだということも教えてくれた。チャイコフスキーの130回目の命日を偲ぶのに、サントリーホールは確かに相応しい場所で、シャンパンの泡を模した素敵な照明のあたりに、作曲家の霊魂が飛来してきたようにも感じられた。イタリアオペラのピットに入るときはイタリアのオーケストラの音を出し、チャイコフスキーでは完全なるロシアのオケに変身する東フィルのサウンドにも、改めて感動した晩だった。