イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

東京という不思議な空間で遊ぶ!(心の健康度 ⑥ 9/10)

2014-06-15 | 第五章「和解と平和」

 2-3年前までは、関西とか外国に憧れることが多かったが(今でも結構そうだが)、最近は、地元の東京や近くに不思議に興味を持つことが多くなった。

 写真は、京王線府中駅駅前の再開発地の工事現場で、今遺跡調査が行われているが、昔は、そんなことは全く関心がなかった。それが今は、府中のホームページなどを一生懸命見るように。今まで、日常の中では全く想像することもなかった、縄文時代、古代、奈良時代が日常に息づき始めているようだ。

 

 これは、考古学の話であるが、東京には様々な切り口で、その地(アースフィーリング)を楽しむことができる。例えば宮沢賢治である。今まで、宮沢賢治といえば花巻の記念館や盛岡の小岩井農場など岩手県というイメージが優っていたが、研究者の福島康樹氏(詩人)の「宮沢賢治と東京宇宙」(NHKブック)を読んでびっくり。

 賢治の東京での活動跡を入念に追跡・思索を紹介されていて、東京でも賢治を楽しめることを知ったためだ。宮沢賢治とニコライ堂、上野公園・・の結びつき、古地図などを見つつ、東京で賢治を楽しむことができるのだ。

 空間を多層的に味わうことは、今年初めの琵琶湖で経験するようになった。唐崎神社から、江戸時代の芭蕉を想ったり、道綱母を想ったり、天智天皇や最澄を想ったり。当麻寺を壬申の乱から飛鳥時代・・・一つの空間を様々な時代から思索しつつ味わう。

 最近は、7月5日に新宿歴史博物館で勉強会を開催するが、その場所を時間があればインターネットで昭和38年、昭和22年、明治や江戸時代と地図や航空写真で見比べで味わうことができる。

 私の生家の近くだったので、私自身も幼いころから青春時代の思い出があり、昔は区立高等商工学校があったことも知っている。そこに通っていた人のことを想ったり、さらに私が生まれる前の焼け跡が広がる四ツ谷のころも。江戸時代は北伊賀町というのでひょっとしたら伊賀忍者との関係もあった土地かも。近くには服部半蔵の墓もあり、今でいう幕府の隠密の仕事をしている人の町だったのかもしれない。

 私は、この三栄町の一角を少しは知っていたが、私の両親や祖父母、曽祖父母はさらに知っていたはずだ。そして、絶えることのない私の命を育んだ生命のバトンタッチ。この地を知っている祖先もいれば知らないですんだ祖先もいるのだろう。不思議である。

心の健康度 ⑥ 9/10

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運を天に任す問題!(心の健康度 ⑥ 8/10)

2014-06-14 | 第五章「和解と平和」

 昨日は某所でボランティア。もう10年以上続けている。月に一回あるかないかのボランティアだが、続けてきたのは価値があるのかなとも思う。

 ふと考えると、ボランティアでは何かを与えるというより、何かを得るところが大きいかなと思う。多くの人が指摘しているが・・・

 小学校や中学校、高校を卒業して数十年後のクラス会で感じるのは、皆変わっていないな・・・ということもあるが、もう一つは、ある年になると誰もが『運を天に任せる』ような経験を一つ二つしてきたので同じ人間というより、深さを感じることである。

 ボランティアも、状況的には「運を天に任せる」経験を積んできた人との、ある種の連帯なのだと思う。旧知に会うのとどこか似ている。

 さて、ボランティアのほうも、10年くらいたつと、ボランティア仲間もいろいろ『運を天に任せる』問題を積んでいく。そのせいもあるのか、ますます仲間意識も強固になってくる。

 因みに、ボランティアは日本では余りポピュラーではない。ただ、非人間的な民族かというとそうでもなく、下町の人情など本質的には余りすぎるほど日本でも息づいていると思う。

 エリクソンのライフサイクル論にあるように、人は世話ー生殖性ー停滞感の時代(30歳代から60歳くらい)を生きることになる。その時に、何か世話をやきたくなるのは自然の摂理なのだろう。それと、「運を天に任せる問題」との相関もあるのかなと思う。 

心の健康度 ⑥ 8/10

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問題にどう向かうか!(心の健康度 ⑥ 7/10)

2014-06-13 | 第五章「和解と平和」

 「生き甲斐の心理学」では問題を意識に挙げるまでを大切にし、何か変と意識しだしてからどうするかについては現実吟味力を発揮して一般の知識で対処するようだ。

 そんなことを昨日つらつら考えていたが、現実に大変な事態に気付いたときどうするかは、ビジネスの世界ではKT法、創造性開発や品質管理手法がポピュラーで、様々な局面で使われてきている。

 そして、個人的なことだが、問題解決や危機でも、こうした解決手法を学んだことは実に役立った。特にKT法は危機管理を含めて応用がきくと思う。

 問題の兆候を分析したり、解決方法を検討したり、将来の行動を思索したりは何もビジネスの世界だけでなく普遍的なアプローチなのだろう。そして、それを知っているか否かは生命の問題にもかかわってくる。

 昨日の古代研究でも学際的なアプローチが気になった。万葉集は日本文学だけの資料ではなく、恐らく様々な立場の人によって深められていくだろう。現実に渡辺康則氏は新聞記者出身のようだ。そして、萬葉集に関心のある私は心理学からである。

 問題解決の世界も、心理学だけでなく問題解決手法などとの相互効果で大きな一歩が歩めるのではと思う。

 自死の問題でも心の病でも、必ずその兆候がある。これはU先生の「生き甲斐の心理学」で学ぶ病理論の一角であるが、実にいろいろ考えさせられる。

 写真は先日行った小岩井農場。スタッフの方が親切にもポーズをとっていただいた。写真機をもってふらふらしていたら、こんな親切。ありがたかった。

心の健康度 ⑥ 7/10

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微細な不安感のとらえ方!(心の健康度 ⑥ 6/10)

2014-06-12 | 第五章「和解と平和」

 ちょっとしたことで慄いたりして失笑をかったりするのはどうかと思うが。逆に、ちょっとしたことに気付かず、大きな間違いをしでかすこともある。

 ストレス曲線の、不安感、怒り、身体症状、ウツ、錯乱の中で、やはり不安感の取り扱い方が方向性を決める段階という意味で大事なのだろう。先憂後楽の憂は意外に微細な不安感を意味しているかもしれない。

 先日も述べたが、萬葉集の注釈の意味を事細かに読み込み検討し、そこから編者の歴史観を浮彫にしていくことで、誰も考えなかった古代史の断面を浮彫にした「捏造された天皇・天智」(渡辺康則著)は、その典型かもしれない。

 誰でも本文は注目し、いろいろ思索するだろうが、細かい注釈は、一般に読まなかったり、無視したり、注釈そのものを疑ったりする。今回の「捏造された天皇・天智」は、藤原氏の影響力が低下した長屋王全盛(蘇我+皇親派)の時期に、間隙を縫ったかのように日本書紀等の歴史改竄に抵抗し万葉集を書き換えた山上憶良等の働きがあるようだ。長屋王の木簡が出てきた現状では実に説得力がある。

 さて、日本語で微細な不安感を大事にすることを何というのだろうか?言葉は浮かばないが、侘び・寂の文化、俳句や和歌の発達した文化を考えると、非常に大事にしている文化であることは確かだと思う。私の乏しいボキャブラリーでは残念ながら適切な言葉が思い浮かばない。

 英語ではcarefullという言葉が、それに近いかもしれない。care=世話 +full なので非常に直接的で判りやすい。万葉集をcarefullに読めばきっと、皇太子と皇太弟、御歌と歌、そういった細かいところに気付き、なにか変?と気付き、大きな成果に結びつくのだろう。

心の健康度 ⑥ 6/10

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天智天皇の真実は?(心の健康度 ⑥ 5/10)

2014-06-11 | 第五章「和解と平和」

 「生き甲斐の心理学」の師匠からの課題は「持統天皇の他者分析」なので、この2-3年関係ある歴史書、小説、漫画などを読み漁り、さらに現地に行ったりしている。そして、持統天皇の生育史にも大きな影響を与えているはずの天智天皇についても、今年は山科陵に行ったり、近江大津京遺跡に行ったりして妄想している。

 写真は、京阪の近江神宮駅近くの近江大津京遺跡の中心的な遺跡で、天智天皇が実際に執務をしたかもしれない中心的遺跡である。当時は海岸線がかなり陸によっていたようで、近くに琵琶湖があり、そして、河川を通じて瀬戸内海に通じることのできる国際的でもある場所である。

 私も海民の血が入っているようで、この遺跡は奈良の遺跡と比べても、何か強烈なアースフィーリングを感じる。さて、この天智天皇であるが、日本書紀や万葉集、その解釈本をいろいろ読んだが、何かよく判らないことが多い。特に大化の改新後の身の振り方(天皇にならない)は謎であった。これも、藤原不比等の政治的なフィルターで脚色された書紀のせいかと思ったことも。何か真実が観えていないいら立ちがあった。

 さて、そんな中で、一昨日から「捏造された天皇・天智」(渡辺康則著)を読んでいる。万葉集は和歌集で文学の対象と私も考えていたが、どっこい歴史の証言としても読めることを、この本は教えてくれた(筆者は万葉史観としている)。簡単にいえば、天智天皇は九州政権であり蘇我氏や斉明天皇・天武天皇の大和政権の系譜とは違うということだ、なかなか鋭い切り口で論証していくのだがゾクゾクとする。天武天皇は前半生が記載されていないので、いろいろ書かれているが、天智天皇もこの本のように韓人だった可能性、九州政権という可能性もあり驚きであった。しかし、何か真実に一歩近づいた感がある。それは萬葉集の脚注が自分にとっても謎だったこともある。

 昨年は、「本能寺の変431年目の真実」(明智憲三郎著)を読み、勝者が作った歴史の通説と実際の真実のありかたについて考えさせられた。これは、私たちの生育史にもあてはまる。自分の生育史の真実を自ら作ったフィルター(周りの文化、両親の影響など)で歪めてしまいがちだと最近は感じているからだ。

 そして、生育史の真実に迫るとき、それは表面的な善悪や時の価値観とは離れ、何か普遍的な何かが見えてくるようにも思う。

 しかし、そんな天智天皇の娘でもある持統天皇。どのように解釈するかさらに謎は深まり。これではいつまでたっても、論文が書けない(笑)。

  

  山科陵は、訪問したとき今日と同じような大雨だったが、ゾクゾクするような場所だった。

心の健康度 ⑥ 5/10

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