2-3年前までは、関西とか外国に憧れることが多かったが(今でも結構そうだが)、最近は、地元の東京や近くに不思議に興味を持つことが多くなった。
写真は、京王線府中駅駅前の再開発地の工事現場で、今遺跡調査が行われているが、昔は、そんなことは全く関心がなかった。それが今は、府中のホームページなどを一生懸命見るように。今まで、日常の中では全く想像することもなかった、縄文時代、古代、奈良時代が日常に息づき始めているようだ。
これは、考古学の話であるが、東京には様々な切り口で、その地(アースフィーリング)を楽しむことができる。例えば宮沢賢治である。今まで、宮沢賢治といえば花巻の記念館や盛岡の小岩井農場など岩手県というイメージが優っていたが、研究者の福島康樹氏(詩人)の「宮沢賢治と東京宇宙」(NHKブック)を読んでびっくり。
賢治の東京での活動跡を入念に追跡・思索を紹介されていて、東京でも賢治を楽しめることを知ったためだ。宮沢賢治とニコライ堂、上野公園・・の結びつき、古地図などを見つつ、東京で賢治を楽しむことができるのだ。
空間を多層的に味わうことは、今年初めの琵琶湖で経験するようになった。唐崎神社から、江戸時代の芭蕉を想ったり、道綱母を想ったり、天智天皇や最澄を想ったり。当麻寺を壬申の乱から飛鳥時代・・・一つの空間を様々な時代から思索しつつ味わう。
最近は、7月5日に新宿歴史博物館で勉強会を開催するが、その場所を時間があればインターネットで昭和38年、昭和22年、明治や江戸時代と地図や航空写真で見比べで味わうことができる。
私の生家の近くだったので、私自身も幼いころから青春時代の思い出があり、昔は区立高等商工学校があったことも知っている。そこに通っていた人のことを想ったり、さらに私が生まれる前の焼け跡が広がる四ツ谷のころも。江戸時代は北伊賀町というのでひょっとしたら伊賀忍者との関係もあった土地かも。近くには服部半蔵の墓もあり、今でいう幕府の隠密の仕事をしている人の町だったのかもしれない。
私は、この三栄町の一角を少しは知っていたが、私の両親や祖父母、曽祖父母はさらに知っていたはずだ。そして、絶えることのない私の命を育んだ生命のバトンタッチ。この地を知っている祖先もいれば知らないですんだ祖先もいるのだろう。不思議である。
心の健康度 ⑥ 9/10