イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

歴史を愛すること、生育史を愛すること!(心の健康度 ⑦ 4/10)

2014-06-20 | 第五章「和解と平和」

 私は歴史好きなのだが、自分の歴史に対する関係性が随分変わってきたことを最近感じる。

 かつては、昔の歴史の知識を増やしたい、あるいは歴史を学ぶことは楽しいという知的興味が中心で、生身の自分との接点は殆どないそら事のようであった。

 それがU先生の「生き甲斐の心理学」を学ぶことで、自分の存在が厳然たる歴史性を持っていることに気付き、さらに何というか歴史のどの時代にも自分の祖先が必ず存在しているので、歴史の事実や祖先に与えた影響により興味が湧くようになったようだ。

 「生き甲斐の心理学」では、健全な自己愛を大切にするので、自分の身体だけでなく、生育史(心理学的領域)や魂(宗教的・哲学的領域)を大切にしている。

 自分が死に際し、自分の人生に悔いを残さないことは重要だと思うが、言葉を変えれば、自分の生育史を大切にすることにもつながる。人生山あり谷ありで、良きときもあれば悪いときもあるものだが、考えを深めれば、悪いことも良いことの原因になったりで単純に唾棄すべきものではないようだ。意味の解釈は自分が好きなだけ考え深めることができる。勿論、「あなたは自分の生育史を愛せるか?」と問われれば、やはり、正直なところ素朴に「Yes」とは言えない。しかし、解釈の深化によって、生育史の印象は随分変わるのも確かだ(より肯定的に)。そして、生育史を大切に愛しむことで親密性の考え方も不思議なことに変わってくる。

 昨年のNPOの奈良旅行ではアースフィーリングを大切にする意味を学んだ。そして、旅・アースフィーリングを大切にした勉強会を企画実施することが多くなった。来月の7月5日の四ツ谷勉強会も私の育った家のごく近くの会場であり、その場所には個人的な思い出も詰まっている。そして、その地点を中心に、固有の長い歴史があり、両親や祖父母・・・祖先との関わりもある。

 平成、昭和、大正、明治、江戸時代、中世、古代・・・そんな歴史も沢山悲惨もあり幸福もあるのだろう。そして、自分の生育史と同じように、その解釈も自分にゆだねられている。

心の健康度 ⑦ 4/10

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江戸の仇討の物語!(心の健康度 3/10)

2014-06-19 | 第五章「和解と平和」

 江戸の仇討は3つ有名なのがあるらしい。そのうち赤穂浪士の討ち入りは日本人で知らない人を探すのが難しいくらいだ。皇居東御苑にも松の廊下跡があり、殆どの人が足をとめて見入っていた。

 誰でも知っている忠臣蔵であるが、実際に調べてみると、結構知らないでいたことが沢山あった。一つは、この赤穂事件の前に市ヶ谷の浄瑠璃坂の仇討という事件があり、その事件が組織的な仇討を実現しているなど赤穂事件の一つのリファレンスになっていたこと。さらに、何故事件が起こったのかなどの基本的情報が幕府側の隠ぺい工作があったのか、沢山の謎があることだ。

 しかし、この事件後に泉岳寺まで山鹿流隊列で47士が行進したことは事実のようで、想像を上回るたくさんの江戸庶民が沿道で拍手喝采をしたのは本当のようだ。一説によると、近くに住んでいた芭蕉や紀伊国屋文左衛門までも見物に行った可能性があるとのこと。

 この物語は、いろいろ脚色されているとは思うが、今でも私たちの心をしっかりつかむところがあるようだ。倫理道徳的には、今の世の中では受け入れにくいが、共感を呼ぶのは確かだ。

 私は、山もあれば谷もある人生の不思議さかなと思う。さらに、何かの想いを実現していく不思議さというのもあるのだろう。それは、身体の生死を越えた魂の物語かもしれない。

 しかし、日本人の特性でU先生の指摘している次の6つ。①幽玄の美②恥の文化③汚れと禊④甘えの構造⑤侘び寂⑥もののあはれ・・・みんな綺麗に入っているような気がしてくる。

心の健康度 ⑦ 3/10

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物語で湧き起こる感情・罪悪感を考える!(心の健康度 ⑦ 2/10)

2014-06-18 | 第五章「和解と平和」

 昨日はU先生の勉強会のあと、映画「ノア約束の舟」を久しぶりに映画館で観た。通常、途中で眠くなったり、ちょっと飽きたりすることが殆どだが、今回の映画は最初から最後まで、ぱっちり眼を皿のようにして鑑賞させていただいた。

 旧約聖書に題材をとり、天地創造、アダムとイブ、カインとアベル、アブラハムとイサクを彷彿させる部分など特殊撮影の効果も抜群で感動した。しかし、暗い感情の中でも罪悪感の取り扱いは実に難しい問題。

 罪悪感というと、キリスト教などに結びつけ、日本人にはちょっとピンとこないところがあるが、実は今江戸時代の様々な物語を読んでいて(「江戸名所の謎」という、雲村俊慥氏の本を中心に)、市ヶ谷の浄瑠璃坂の仇討、浅草の観音様の話(姥が池伝説)、その中で出会う暗い感情の中で罪悪感が大きな働きをしていることを感じてしまう。日本文化のエートスの中にも、罪悪感は大きな意味があり、その処理の仕方は大切なのだろう。

 今朝、先日訪問した皇居の東御苑にある天守閣についても、保科正之の物語を読んでハッとした。保科正之は二代将軍徳川秀忠の落胤で、高遠藩の保科家に養子として何とか引き取られ(正妻に殺してしまえと言われたとも)、その後正妻が亡くなった後に、腹違いの兄弟である家光と親密になっていく。そして、三代将軍家光が亡くなったあと、補佐役として家綱の替りとして、政治の中心となっていった人物である。江戸の10万人の死者を出したとも言われる振袖火事の悲惨を切り抜け、活躍していく。写真の江戸城天守閣も振袖火事で真っ先に焼失したとも言われるが、再建は保科正之の御進言で、天守閣建設は中止された。保科正之の心中は如何だったのだろう。

 エリクソンの人格形成論にでてくる暗い感情は、①不信感②疑惑・恥辱③罪悪感④劣等感⑤自己混乱感⑥孤立感⑦停滞感⑧絶望感 である。個人的には様々な湧き起こる感情を分析する時に、この分類はとても役立つと思っている。自分の自己事例を振り返り勉強しすると理解が深まり、思わぬ真実を発見したりする。罪悪感は自由意志と関係が深く、また、それに基づく思考・行動の結果とも関係が深いように感じる。そして、その扱いは結構大変だ。

 日本では、罪悪感は怨霊思想とも結びつき、おぞましい話に展開することが多いが、そんな中にあって、庶民は明るい解釈の中で、しっかりと暗い感情をバネに生き抜いてきたようにも思う。

心の健康度 ⑦ 2/10

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親密性を楽しむ!(心の健康度 ⑦ 1/10)

2014-06-17 | 第五章「和解と平和」

 今度の7月初めの「生き甲斐の心理学」四ツ谷勉強会が気になっていることもあるが、最近は東京・江戸に関係する本を読むことが多くなった。今朝も上野の寛永寺にゆかりの天海について妄想した。明智光秀=天海説なども面白いが、その生育史は持統天皇以上に波乱万丈。100歳を越え、しかも東北出身、しかも信長に滅ぼされた比叡山延暦寺の僧であったり、戦国時代をしっかりと生き抜いた人なのだ。

 一方、この数年いつも頭のどこかにいる持統天皇は、天智天皇のイメージが変わったことから、何となく疎遠な感じになってしまった。歴史の解釈が変わると持統天皇像も変わる(今回はよく判らなくなった)。

 こんな風に妄想の世界の、親密性も日々刻々いろいろ変わり、近づいたり遠のいたりするが、日常の対人関係も同じようだ。親密性が増したり、ちょっと疎遠になったりする。

 しかし、それが何となくバランスを保ちながら、自然に近づいたり遠のいたりする最近の傾向を思い出したりすると、何かほっとするところがある。それは夜空の天体のように、いろいろ変わっても大らかな秩序が保たれている安心感につながるようだ。占星学が長い人類の歴史の中で大切にされたのも、不思議な天体と人のありかたが似ているかもしれない。月が目立ったと思えば、次は木星が中心になったり、火星が戦いの雄叫びを挙げたり・・・

 さて、日常の中では、親密になることで大きな悲しみなどストレス曲線を背負ったりすることもある。そうした経験は、無意識に親密になることを避けたり、よく考えると不健康な兆候もあったりする。

 これから、暫く親密性について考えて行きたい。

心の健康度 ⑦ 1/10

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いっしょに作業をする楽しさ!(心の健康度 ⑥ 10/10)

2014-06-16 | 第五章「和解と平和」

 昨日は家族の誕生日であり、かつ忘れていた父の日であった。夕方は皆で料理をつくり、ちょっとしたパーティ。楽しかった。

 家族との人間関係も、心の防衛機制で考えると、反動形成や感情転移で気まずくなるよりは、いっしょに料理をつくったりして同一化を意識する(普通、忘れてしまうが)ほうが生産的で明日への活力になるような気がする。甘えの構造は健在だ。

 さて、今日も頭の中は宮沢賢治であったり、持統天皇だったりする。そして、一人の人を研究するとは、その人の存在する空間と時間を学ぶことである。ちょうど朝ドラの「アンと花子」は大正時代が背景にあり、当時の時代背景は今と似ているようで興味深々であるが、この時代には宮沢賢治も生きており、そして東京周辺にも出没していた。

 自分の生育史でも正当に理解するのは難しいが(様々なフィルターをかけられる)、例えば宮沢賢治のような様々に研究されている人でもフィルターはかけられるようである。宮沢賢治が石川啄木の影響を受け、かなり短歌を作っていたが、その短歌は殆ど知られていなかったり、詩や童話の習作時代と軽く見られたりする。また、宮沢賢治が東京で会いに行った唯一の詩人が高村光太郎だったことも驚きであった。過日、高村光太郎が宮沢賢治の弟のつてで花巻郊外で戦後の一時期を過ごしたが、不思議な関係もあるものだ。どういう点に惹かれたのだろうか。

 いっしょに作業をするのではないが、不思議な出会いは相互に大きな影響を与える時がある。宮沢賢治の場合だけでなく、持統天皇でもそうだ。持統天皇にとっての不比等、若き日の聖武天皇や長屋王、元正天皇。道昭や役小角。小説家も書いたことがない不思議な関係もあったと思う。

 それと、もう一つ不思議な視点は、その時代に生きていたはずの祖先である。例えば、私の祖父は建築家であったが、祖父の設計した建造物を宮沢賢治は見たのか、見たとしたらどう感じたか・・・。ある時代の空間を妄想することは楽しい。

写真は小岩井牧場で食べたピザ。食べるだけも楽しい!

心の健康度 ⑥ 10/10

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