朝ドラの「花子とアン」毎日観るのが楽しみになってしまった。U先生のブログに刺激されたところもあるが、「アンのゆりかご」を思わず買って読んだり、白蓮さんの年表を毎日のように眺めたりしている。
特に、柳原白蓮さんの一生は実に感動を覚える。大正天皇とのお母様の姪にあたる高貴な生まれだが、母が幕臣の娘ではあるものの妾で、生後しばらくして亡くなるなど数奇な運命をたどる。花子とアンでは、花子と蓮子は親友となっていくが、その背景の生育史を調べると実に大変な試練だったなと思ってしまう。その後、大富豪の伊藤伝右衛門と再婚するも、当時の最大級の話題と言っていいほどの白蓮事件を引き起こす。これから先はドラマを観ることにして、余り述べないようにするが、その人生は、実に試練の連続といって良いようだ。時代と環境に翻弄され・・・
それにも拘わらず、白蓮さんは1967年まで82歳まで生き抜き、歌人として、あるいは社会活動家としても立派な足跡をのこす。昨日のブログで、郭の話もでたが、吉原の遊女を救出したりもしている。
心の健康を維持し、何故生き抜くことができたかは「生き甲斐の心理学」学徒の一人の私にとっても実に興味がある。
例えば複雑な白蓮事件など、思わず考えてしまう。様々な人の援助や理解もあっただろうが、本人の決断や行動も見事かなと思う。それが可能であったのは、基本的に次の自己実現の問いかけをどこかでされていたのではないだろうか。
①何のために生きているのか?
②生き甲斐は何か?
③自分の身体、心、魂を大事にしているか?
そして、困難の中で①アイデンティティを上手に統合②現実吟味力を健全に発揮③防衛機制をうまくつかう。こんなことだったかもしれない。81歳でなくなったとき、夫の龍介さんは次のような述懐をされている。
「私のところへ来てどれだけ私が幸福にしてやれたか、それほど自信があるわけではありませんが、少なくとも私は、伊藤や柳原の人人よりは子の個性を理解し、援助してやることが出来たと思っています。波瀾にとんだ風雪の前半生をくぐり抜けて、最後は私のところに心安らかな場所を見つけたのだ、と思っています。」