昨日から、仕事もし、江戸時代の古地図妄想もあり、借りてきた江戸時代のDVD妄想もあり、宮沢賢治について考えることもあり、そして自分のルーツをかんがえることもあり、来住英俊氏の「気合の入ったキリスト教入門Ⅲ」を味読することもありと、何となくまとまらない時間を過ごしている。まとまらないついでにメガネを紛失してしまったり・・・
しかし、何となくほんわかとした気分でいられるのも、自分の親密性に関係しているのかもしれない。考えてみれば、例えば高校生の一時期などは、すべてが疎遠というか親密性がないというか、そんな中で息苦しい時をおくったことも。随分違うものだ。
人生の節目というのを最近、意識するようになった。
入学したり、就職したり、結婚したり、退職したり・・・まあ、個人的な一時期を画するような時があるのは誰でも経験し、その中で独特の周りとの関係性、感じ方があることに気が付いたりする。そして、例えば就職したりすると、周りに対する感じ方総体が変わったりする。もうあのころに戻れないと深く思うことも。あるいは、人によるが何気ないときに、神仏に出会う・・・といったことで感じ方が全く異なってしまうことも聴く。米国の宇宙飛行士が帰還してから宗教家になったりする例などはそうかもしれない。
そして、不思議なことに、節目節目を他人の眼からは健全に過ぎ越しているが、自分の本心では何も変わらない自分を感じることもある。周りとの関係性が全体的に変わらず、閉塞感が漂う時。自分の経験からすると、これは自分の防衛機制と深い関係があり、本来やるべきことが観えなくなっている時におこるようだ。そして、親密性とか愛とか、本来考えるべきことが邪険にされているようで、必要な一歩が出て行かない。
自分の場合は、どのようにこうした状況を過ぎ越したのだろうか。一皮むけるような華々しさはなかったが、「何の為に生きているのか?」、そういった自問自答からの小さな一歩が新しいドアを開けたように思う。勿論、新しいことをするのはリスクもあるが、現実吟味力を確かにし、感情の世界を大切にしているうちに自然に過ぎ越していくようだ。
生き甲斐の心理学では、3Vの法則で有名だが、まずはVisualize(イメージ)し、次に一歩をVerbalize(言語化)し、Vitalize(実行)する。これを、時々「何の為に生きているか?」の自問自答とセットで実施してみたらどうだろうか?
心の健康度 ⑦ 7/10