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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

誕生と死を大切にする・・・(愛と縄文 1/10)

2015-06-27 | 第八章「魂と聖霊」

 私も還暦を過ぎて、来年は誰が決めたか前期高齢者になってしまう。死が気になる年だが、自分の魂について最近は生き甲斐の心理学の影響やキリスト教の影響でよく考える。縄文の遺跡についても、当然埋葬は気になるが、もう一つヒトの誕生も魂に関係して気になる。

 そして、縄文―魂(宗教)-心理学、こんな図式になるのだろうか?まあ、いろいろ考えてしまう。

 さて、今日ひっかかっている問題は、縄文時代に見られる胞衣壺(奈良時代はポピュラーだったようだ)のような風習だ。これは、竪穴式住居の展示を見られたからなら、時々縄文時代の一時期、入口付近がちょっと盛り上がり、そこに壺というか土器が埋められていて、それが、どうも胞衣とか生後間もない子供だったと推定されている・・・という説明だ。普通の成人は別にしっかり埋葬だれるのだが、これはイエの中に埋葬される特別な風習のようだ。

 ヒトが亡くなるときは身体と魂が別れるということが直観的に判るので、再生を祈って埋葬する(墓石等に象徴される)のが基本だが、誕生の時も、ヒトは自分の身体だけでなく、紐帯、胎盤などと共に生まれてくるので、魂を想定した場合、魂を含む身体自身も神秘だが、紐帯や胎盤(出産と同時に土に返っていく)も神秘の延長にあると考えるのは当然だろう。そして、胎盤やへその緒のあつかいは、当然ながら丁寧になるのだろう。

 世界各国の風習も、昔は紐帯や胎盤に関わる風習が当然あったようだが、最近は、日本でさえそうした風習は残念ながら消えつつあるようだ。

 しかし、へその緒を小さな桐箱にいれて大切に保存したりする風習は今でも日本でもあり、誕生にまつわる神秘をどこかで記念しているのだろう。縄文時代から続く、神秘的な風習はこれからも続いていくようにも思える。

 日本人は宗教は信じていなくても魂を信じる人は多いようだ。そして、これは日本の縄文時代から続く誕生と死に関わる風習と関係しているのだろう。

 幼子の幸福を念じる親や共同体の愛。死後の幸福を念じる愛・・・縄文時代も今も変わらないものは変わらない。

愛と縄文 1/10

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