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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

縄文人は魂をどう考えていたか?(愛と縄文 2/10)

2015-06-28 | 第八章「魂と聖霊」

 夏至が過ぎ、ますます気候は夏に向かって突進しているようだ。梅雨とはいえ晴れ間の日差しは、もう夏以上だ!

 今年の夏は、関西の勉強会参加をはじめ旅行を考えている。春には関西に行き、長屋王の邸宅の跡にもか行ったが、日本の怨霊について最近いろいろ思索をていて、今年の夏のテーマかなと考えている。お化けの話は夏の風物しだし。

 日本の怨霊思想は、奈良時代、平安時代は首都を変更するくらいの影響力(桓武天皇など)があったようだ。東京でも平将門の首塚など現代でも恐れられている。しかし、鎮魂の思想もあり、ストレス曲線が幸福曲線に見事に変わるような心理学的にみても納得がいくような話も好きだ。日本は怨霊思想というより本質は鎮魂思想かもしれない。

 さて、こうした怨霊思想など、縄文時代はどうだったのだろうか?人によると屈葬とか土偶とか・・・今の価値判断で違和感を感じるものは直ぐに恐ろしい霊とか魂と結び付けがちだが、本当にそうなのだろうか?私は、狩猟・漁撈・採取文化の延長の縄文文化は、弥生以降の時代よりよほど穏やかではなかったかと思う。しかし、魂を信じている文化であり、当然ながら怨霊の思想もあったと思う。

 ただ、解決のない怨霊したい放題ということではなく、魂の本質は愛そのもの・・・そんな性善説的な鎮魂思想が裏にあるように思う。

 世界の宗教の大半は、ヒトは神の似姿・・・といった思想があり、ヒトにはどんな人も愛そのものが隠れているかもしれないと考える。世界の潮流の死刑廃止などの流れもそこから来ている。そして、そういった宗教(キリスト教、ユダヤ教、イスラム教)の元の文化として、メソポタミアの最古の文字に記された宗教がある。今から5200年前ごろからだが、その中には神人同形論的な後の宗教の原型的な思想もあるのだ。そして、古メソポタミア文明と並行して存在していた縄文文化も同じ定住文化でもあり、同じような性善説があったのではないかと妄想している。

 魂は愛そのものである。そんなニュアンスがどこかにあり、縄文時代の正中線になっている。私はそう思うのだ。

 怨霊も、しっかりと鎮魂することで成仏したり(後の世の言い方だと)・・・いろいろである。

 人間は、私もそうだがあらゆる間違いをしでかす可能性があり、また、間違いをしでかす。しかし、それを受容していく、鎮魂する思想があるのだと思う。縄文時代の宗教は残念ながら文字がないためはっきり判らない。しかし、当時の遺跡を検討することで、その手がかりをつかめたら・・・そんな風に今日も妄想し励んでいるている。

愛と縄文 2/10

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