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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

夏至が近づいてきましたね!(古代人は真実を大切にした 1/10)

2015-06-05 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

 私の家の近くには見晴の良い丘があり、そこからよく日没を観測する。6月22日が今年の夏至だが、太陽の沈む位置はどんどん北の方に向かい、随分日も長くなっている。もう午後7時近くに日没なのだ。

 ブログの写真を撮ったのは、近くの見晴のよい丘、堀之内愛宕神社のそばの丘なのであるが、そこは多摩ニュータウン446遺跡のすぐそばにある。また、このあたりには、いくつもの縄文時代の遺跡が発見されている。そして、多分、この丘も当時からあり、例えば縄文中期(約5000年前)の祖先達も同じ風景を観ていたのだろう。

 写真の左端は、雲がかかっているが、富士山の近く(昨日は生憎見えなかった)、そして、その左には丹沢山系の最高峰蛭が岳がある。冬至の時は、その蛭ケ岳付近に日が落ちる。日本には縄文早期、あるいは草創期(10000年以上前)からストーンサークルがあったと言われる(縄文人の文化力 小林達雄著)。当然ながら、ストーンサークルは冬至、夏至、春分、秋分といった時の太陽の位置を意識している。そして、東京にもこの写真を撮ったところから車で15分くらいのところの多摩境にストーンサークル(田端遺跡)があり、そこからは冬至の時に蛭が岳の真上に日が沈む。

 近くの446遺跡は南向き(大栗川向き)の舌状地の縄文中期の村の遺跡だ。北側が崖で、北風を防いでくれる場所だ。ここに5-6軒の縄文村が中央広場を中心に環状にあったそうだ。南向きなので太陽の位置は判りやすく、季節を掴み、時間を掴み、村人は日々豊かに暮らしていたのだと思う。とは言っても、大陸からインフルエンザが鳥とともに来たり、富士山が爆発したり、地震があったりで、当時の人々も苦労が尽きなかったと思う。

 そんな理不尽さの中であっても、規則正しく太陽は沈み、自然からの恩寵ともいえる食物等をいただき祖先は生きながらえてきたのだろう。そして、思うのだが、当時の人にとっての太陽や月、北辰をはじめとする星々は恵みの情報源であると共に、何か聖なるsomething greatを感じたに違いない。

 446遺跡周辺(南側から撮影)  このあたりも確か縄文遺跡が(北側から南側に向かって)

 人には、不思議な傾向と渇望が備わっているようだ。真善美という言葉があるが、そういうものも人が渇望した一つだろう。今回は縄文時代の人の真実へのアプローチをいろいろ考えてみたい。しかし、真実を知ることで心は安定し、何となくパワーが漲る。これは今も5000年前も変わらないかもしれない。

古代人は真実を大切にした 1/10

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