最近は、写真の可愛いヒメジョオンを見ても、大湯遺跡の日時計を想ってしまう。大湯遺跡の石棒と円管は男女合体をイメージし、神秘や再生をイメージさせる。どなたかがパソコンをはじめ家電製品についている起動スイッチのマークもそうだと言われていたが、納得してしまう。
次の写真は昨日とったもので、久しぶりに家の近くを散策した。夏至なので本当は早朝と夕方の日の出と日の入が見たかったのであるが、寝坊し起きたときには驚くほと日は高く上がっていたし、日の入は仕事でそれどころでなかった・・・残念。
しかし、梅雨の合間のまあまあ晴れている夏至の散策は、色とりどりの季節を感じる花で満ちていた。
梅雨は、じめじめして嫌だと言う人も多いが、慰めもある季節だ。
さて、今日は、縄文のビーナスについて写真を観たりして、縄文の国宝級の美について妄想していた。縄文のビーナスは2-3年前に初めてみてから2-3度は見ているが本当にうっとりするようだ。豊かな女性の美に溢れ、平安感がおとずれる。
しかし、これを眺めているといろいろ疑問も湧いてくる。着物を着ていたのではないか?それはどんなものか?頭のヘルメット状の部分の意味するものは何か?無文字文化だったかもしれないが図で何かを伝えようとしているのでは?意味するものは何か?
頭頂部の大きな渦巻は北極星を中心にした北の星ぼしの軌跡か?あるいは水流のようなものか?あるいは月の出かたを意味しているのか?世界的に図像の解釈をされている学者・研究者もいてうきうきする説に感激もするが、自分は基本的な理解ができていないようで、何かむなしさを感じてしまう。
疑惑感は好奇心や心の遊びにつながる大切な感情だと思うが、ネガティブに流れると無力感に繋がってくるようだ。バランスも必要なのだろう。時には、縄文以外のことにも関心を持つことも大事だ。ヒメジョオンの花が大湯遺跡の日時計に見えたら、ちょっとお休みがいいかもしれない。
古代人は美を大切にした 7/10