きのうは、勉強会で「生命力」の話がでた。自分の人生の中で「生命力」に溢れていた時期、逆に「生命力」に乏しい時期・・・
いろいろな考え方があるが、五感体感が健全で感情が流れる雲のように、自分でも意識できたり、それにともない判断力が冴えているときなどが、「生命力」に溢れているのかな、など思った。
逆に、防衛機制がやたらときつく、鎧兜状態なときは、自分の感情も判らない感じで良くない。
また、ふと思ったのは、対人関係で「生命力」をもらったり、もらいあったりする関係があるのも重要なのだろう。
知性化という防衛機制がある。これは、感情をなまのまま表出するのが怖いので、抽象化するものだ。
この防衛機制を強く感じるのは、最近ではブログを書いている時である。生の感情をいろいろ抽象化してしまい、推敲すると何が言いたいのか伝わってこない。誰に向かっているのかもわからない。感情が伝わらない。自分でも読みたくなくなる。
こんな状態の時は、読者は離れていくだろう。友達どうしの関係でも、決して深まらないだろう。
「生き甲斐の心理学」の94ページには、知性化の防衛機制で親友ができない悩みを持つ方のために、人間関係をきずく条件のことが載っている。
(1)本音で交際できる人物
(2)秘密を護る人物
(3)好き嫌いを明確に言える人物
(4)誠実に自分の思考、感情、行動が出来る人物
本当にそうだなと思う。良いブログを書くためのヒントでもある。
さて、昨日は持統天皇についても思索した。持統天皇は立場上、敵が多かったかと思う。しかし、要所要所で信頼関係をきちっと築き、難局を見事に回避する。知的な人であったが、決して知性化を巧みに使い分けたのだろう。
今回の衆議院選挙、日本の国の原型ができた7-8世紀と状況が似ている。この時期、女帝や女傑が政治を動かした。
日本は、異常なまでの男性中心の政治(国際的にみて)。そろそろ卑弥呼や持統天皇の伝統に戻る時期かもしれない。
こころの仕組みを活かす 8/10