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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

冬至、ゆったりした時間を祝う!(自分の中の神話 2/10)

2012-11-13 | 第七章「光と復活体」

 今年の冬至は12月21日である。冬至は日本人にとっても古代から大切にしている時である。太陽の光が弱まり続け、そして、それが極に達した日に反転する祝日なのである。太陽の恵みが復活する感謝の日なのである。

 日本の盆(夏至)と、暮れ(冬至)は弥生時代、そしてその前の縄文時代から大切にされている。あるいは、5-6万年前に祖父母がアフリカを出立する以前からあったかもしれない。

 当然、仏教やキリスト教が成立する以前からである。

 さて、今日は縄文時代の、祖父母の気持ちを古代妄想(Kさんの発明造語)してみることに。

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 生き抜くことは、いろいろ大変だった。競争や葛藤もあり、自然の脅威もあり・・・感情も、罪悪感や嫉妬、疑惑や不信、殺意や怒り・・・もよぎってきた。もちろん。様々な悪いかもしれない行いをしてきた。

 太陽の光は、どんどん弱くなっていくではないか。日々寒くなり、食物の恵みも心配だ。分別で考えれば、もう限界。打つ手は無い。

 祖父母からは、冬至があるということを学んでいる(大湯のストーンサークル)。今年も皆で準備をしている。だが、今年も同じだとは、誰も保障してくれるわけでない。悲惨な歴史の記憶もある。

 そして、冬至。

 すべてが反転し始める。平等に光を与え続ける太陽の恵み。春に向かうのだ。神の恵み。我々はゆるされたのだ。自分ですら自分をゆるせなかったのに、ゆるされたのだ。太陽に感謝しよう。神に感謝しよう。ゆっくりと、この世というかあの世というか、この世界に感謝しよう。

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  昔の人は、地軸が23.4度傾いて、太陽の周りを回っているのを知らなかったからさ。この数百年の科学からの知見で笑うことができるだろうか。勿論、当時にもストーンサークルがあり、冬至の存在は知識としてあった。しかし、本質的に何が変わったのだろうか。

 今の時代。私はカトリックなので、冬至ではないがクリスマスを祝う。それは、縄文時代の祖父母が祝う本質と余り変わらないのではないか。そして、正月や初日の出も祝う。これも縄文時代と本質はあまり変わらないのでは。

 ゆったりとした時間の中で感謝しつつ。 

 自分の中の神話 2/10

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