晴天の霹靂という言葉があるが、突然に事故にあったり、思いがけないことが起こることは還暦くらいになると、当たり前に経験することのようだ。そして、突然、壁のような悩みに直面する(理想と現実のギャップ)。こういう時は、U先生の「生き甲斐の心理学」によれば、緊急事態の回避として、明るく居直ることが大切とされている。
普段から悩みが皆無ではないところに、極端な悩みが来たら誰でも正常ではいられなくなる。ひょうひょうとして明るく居直り、時が来てから再度、憂鬱な問題を点検すればいい。緊急対策と恒久対策を分けることが大切。
私も、この知恵で随分救われてきた。
さて、恒久対策のほうであるが、これは、やはり心理療法の知恵が必要である。自分の生育史を精査し、あるいは同世代の人の特徴を掴むなどから、時代の影響を思索するのも大事だ。
私の例で恐縮だが、6歳の時に幼友達の交通事故の経験から、感情の抑圧と、ちょっと病的な理想(無意識の世界の)が生じたと思う。それが、高校、大学の学園紛争等の社会現象の中で、病理が進みそうになったことがある。その時の鬱感情(病的な理想と現実のギャップ)は、40歳台まで何となく持病のように持続したが、あるとき、それが劇的に緩和した。それが、何故か理屈が判らなかったが、「生き甲斐の心理学」を学ぶ中で、理解を深め、今では、その鬱感情は無くなり爽やかな幸福感が残るだけである。
自分のケースを考えると、個別の生育史の問題もあるが、時代よって生じた生育史の問題も大きいと思う。U先生に教えられて、同世代の人たちの生育史と性格が似ていることを学んだ。そして、実際にこの5-6年、同世代のコミュニティを経験するなど本当だなと感じている。さらに、最近は歴史の中に、同世代の影を感じてワクワクしている。
「生き甲斐の心理学」の学びを深めるため、持統天皇の研究をしているが、同世代人という観点で見るとワクワクする(この見方は従来の歴史の本にはないこともある)。
持統天皇(645-701)のちょっと上の同世代では、630年前後に生まれた道昭や役小角がいる。持統天皇も含め河内国に縁が深いということもあるがどうだろう。日本で最初の火葬は道昭(法相宗の僧侶で、遣唐使も経験している)であるが、持統天皇も、道昭が亡くなって2年後に天皇で初めて火葬された。吉野を舞台にしての役小角と持統天皇も記録は少なく小説の世界の話になるが何かを感じてしまう。
持統天皇の息子の草壁皇子(662-689)とほぼ同世代には藤原不比等、柿本人麻呂、元明天皇(女帝)もいる。彼らは、当時の大戦、唐・新羅との戦いのころに生まれている。草壁皇子を育てつつ、草壁と同世代の天才も発掘しているのである。
持統天皇の孫世代(680-686生まれ)には、文武天皇、元正天皇、長屋王、吉備内親王が。彼らは天武天皇崩御から持統天皇誕生のころに幼少期を過ごしている。
そして、持統天皇の曾孫世代は聖武天皇や光明皇后である。彼らも、持統天皇の影響を無意識の中に刻んでいるかもしれない。そして、強烈な東大寺大仏建立や一連の活動も、道昭の弟子である河内国生まれの行基の助力も大きかった。
話が、今日は大脱線であるが、自分の鬱感情を幸福感に転換すること。結構楽しい作業である。
明るい感情 9/10