昨晩は、大学時代のサークルのメンバーの飲み会に参加した。それも、昔、よく行っていた店で、懐かしかった。考えてみれば、40年近く楽しくお付き合いをさせていただいている。
集まると、当時の人間関係にワープする。昔の一人ひとりの個性も変わらず、それが又楽しい。
さて、この何気ない集まり。考えてみれば、不思議である。40年という歳月は、短いようで結構長い。振り返ってみれば、私もいろいろ、あった。恐らく、参加者全員、いろいろあっただろう。健康面、経済面、人間関係・・・まあ、タフな問題には事欠かないのがこの世である。
少しオーバーかもしれないが、良くぞ生き延び集うことができた。という正直な感動がある。<友、遠方より来るまた楽しからずや>の心境かもしれない。その原動力は個性からくる、何かなのだろう。
人は、とかく自分や自分史を過小評価しがちである。もっと・・・で生まれていたら。もっと・・・できていたら。あの時・・・していたら良かったのに。あの3年は無駄だった、だまされた。こんな感じである。しかし、どうだろうか?
アフリカの少年兵のことを知ったり、祖先の苦労話(持統天皇の歴史など凄い)を学んだりすると、ちょっと見方が変わる。自分の不満の原因であるギャップ、・・・あるべき(理想)。今の状態・・・(現実)は固定的に観えて、変動的なのである。
私は、40歳台のある日。突然、あるがままの自分でいいのだと解放された経験がある。自分のもっていた過度の無意味な理想が落ちた。それは、無条件の愛を感じた瞬間でもあったかもしれない。そんなこともあるのだ。
そして、何故生き抜けたかを考えると、一見倫理道徳的に考えると、どうだったかなと思うことが、生き抜く鍵だったりする(勿論、周りに迷惑をかけたりということはあるが)。
今は、コンピュータゲームは辞めてしまったが、40歳台のあるころ、毎晩のように憑かれたようにゲームをしたことがあった。それ故、日本の戦国時代の武将の性格は覚えてしまったが、あれは何だったのだろう。
無駄と当時は考えたが(もう一つは、私の性格が勝ち負けで余り燃えないところがある)、「生き甲斐の心理学」を学んだ今となっては、その退行的行動は賛否両面があり、ある意味、喫緊な問題から距離を保てたということもあったようだ。
この生き抜くポイント。それは、フロイトが理論を展開し、臨床心理学の基礎となっている、14の防衛機制である。これは生き抜く鍵であるが、同時に、こころの眼を曇らし鈍感になるマイナス面もある。
この理解を深めると、適時の判断力が研ぎ澄まされ正確になり(直観がさえるというか)、また、無理のない生き方が送れるようになれる。私もまだまだで恥ずかしいが。皆さんと一緒に理解を深めていきたい。
心の仕組みを活かす 1/10