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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

道ばたの痛んだお地蔵さんから想う? (自分の中の神話 8/10)

2012-11-19 | 第七章「光と復活体」

 合理的な尺度では切り捨てられてしまうようなものが、今いろいろ、見直されているように思う。この写真の、お地蔵さんも、近くで見ると原型がよく判らないほど傷んでいるが、それでも実に大切にされていることが判る。何か特別な想いとか、起源(縄文時代に遡ったり?)があるのだろう。

 今回の「自分の中の神話」では、レヴィ=ストロースの神話公式を事例に当てはめ考えてきたが、対立する緊張関係から、変換される過程で、あるものが消えて、何か象徴的なものが残るというところがある。

 ちびくろサンボであればトラのバターからホットケーキが。一房の葡萄の話も題名自体がそうかもしれない。私のホスチアや色付きチョークもそうなんだろう。勿論、こうしたことは良く観察すると沢山ある。世の中意味あるものに取り囲まれているようだ。

 ただ、こうしたものは、本人にとっては特別の意味があるが、他人には知らさない限り判らないので、時に、そこを無造作に触れられると動揺する。パンドラの箱のように、抑圧していたものが噴き出し錯乱したりも。「生き甲斐の心理学」でいうと、十四の防衛機制と深く関係しているのだ。

 この、よく判らない動揺。人生の大事な時に良く現れる。そして、その対処法は実に大事だ。そして、「生き甲斐の心理学」では定石として、感情の意味をのんびり自問自答することを薦めている。

 自分の感情の意味を考えないで、観念的に思考を弾ませると、とんでもない方向に行ったりする。感情から、満たされていなかった自分の理想に気づくだけで、それに対する、ぶれない何かが始まりだす(感情は理想と現実のギャップから生まれるとし、感情を引き起こした隠れた理想と現実の把握のしかたをあぶるのがポイント)。

 しかし、今の自分は「生き甲斐の心理学」に出会えただけでなく、同志にも恵まれ幸せである。

 自分の中の神話 8/10

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