古代の道は、一部、無くなっていますが、
基本的には、道はなくなりません。
古代の道でも、今もチャント残っています。
身近な場所で、本当になくなった道路もありますが、それは、土地区画整理事業で、その地域全体の見直しが行われた場合と、道幅の拡張工事により飲み込まれた場合ではないでしょうか。
逆に、道は、どんどん増えています。
■分かり易い例:
世田谷区は、昔、畑が多く、畑道が主な道路であった。
その後、一部の畑が住宅地になると、その住宅地の中に、住民用道路ができる。
その住宅地に隣接する新しい住宅地ができると、その住宅地の住民用道路が、いつのまにか、新しくできた住宅地の道路とつながったりする。
元々が、畑道なので、道幅が狭く、変に曲がっている。
住宅地ができる度に、道が新設され、その繰り返しが、あの複雑な道になってしまった。
逆に、郊外の広大な住宅地の方が、全体を構想して設計されているので、整然とした道路になっています。
結論は、道はなくなることは無く、増え続けている。
増える要素は、次の場合が挙げられる。
■バイパス道
■高速道路とその関連施設(インターチェンジへ出入り口、工事用側道)
■昔、鉄道(都電等の廃線跡)だったところ
・新宿の歌舞伎町、ゴールデン街近くの都電の跡の『四季の道』という遊歩道。
http://parkandcats.hp.infoseek.co.jp/sinzyukuyuuhodoukouen.html
・府中市の府中町3丁目と天神町1丁目の間の道は、元引込み線の跡が道路になったもの。
(その当時は、下河原線<中央線国分寺から北府中、下河原の支線>(今の南武線)と、米軍司令部(今は、府中の森と航空自衛隊府中基地)とに、ジェット燃料の運搬用引込み線があった。
週、何回か、貨車が走っていた。)
下河原線は、ここを参照:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8B%E6%B2%B3%E5%8E%9F%E7%B7%9A
・札幌の定山渓鉄道
昔の鉄道跡地は、サイクリングロード、地下鉄に活用されている。
定山渓鉄道は、ここを参照
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%9A%E5%B1%B1%E6%B8%93%E9%89%84%E9%81%93
■昔の堀の活用
・東京の外堀通り
-堀を埋め立てた跡が道路
赤坂見付~山王下~虎ノ門~新橋~八重洲~呉服橋
*外堀通りは、皇居を中心に1周している道ですが、上記以外は、お堀として、現存しているので、除いています。
*お堀について、更に正確に言うと、紀尾井町から市ヶ谷あたりまでは、公園やグランドになった空堀です。
堀と言うのは、石垣や土手で分かります。
・高速道路
-銀座の数寄屋橋の上を走っている道路(この道は、正確には一般道です。)
(昔の堀の地下部分には、東京メトロの丸の内線が走り、その上をショッピングセンター(銀座ナイン、西銀座デパート等)とし、一番上を道路が走ると言う、もの凄く有効活用を図っています。)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%AB%98%E9%80%9F%E9%81%93%E8%B7%AF
この道路を管理している会社は、ここを参照:
http://www.tokyo-kousoku.co.jp/
-汐留めから京橋までの地下部分の高速道路
(この地下の高速を通るときに、助手席や後部座席に座っていたら、壁になっている部分を良く見ておいてください。時々、黒っぽい石垣が見えます。多分、江戸時代に作られたお堀の石垣です。
更に、上を通過する橋をみてください。湾曲している橋なら、昔に作られた橋です。最近作られた橋は、フラットになっています。
素早く見ながら、昔は、堀であった雰囲気を楽しんで、また、懐かしんでください。)
-堀や川の上を活用した高速道路
一番有名なところは、地下化にすべきではないかと議論を呼んでいる東京の日本橋かな。
都内の主な路線:
古川(一ノ橋JCTから浜崎橋JCT)
内堀(千鳥が淵~竹橋)
外堀(一ツ橋~神田橋~呉服橋)
↑正確には、外堀でなく、神田川ではあるが、ここでは、外堀とする。
日本橋川(呉服橋~日本橋~江戸橋~箱崎の手前)
隅田川(箱崎の先~両国~駒形~堤通り)
神田川(江戸川橋~飯田橋)
等
今も残る昔の道は、後日、ブログに掲載予定。
乞うご期待を・・・・
写真は、新丸ビル内で見つけた被写体です。