カメラ大好きおばあちゃん

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野田藤の発祥地 (大阪市福島区)

2015年04月26日 | 写真
JR大阪駅から南西に約2キロ。大阪市福島区玉川の住宅街にある春日神社境内に、「野田の藤跡」と刻まれた石碑が建つ。
この地が野田藤の名前の発祥。先ずはここから、 大阪の歴史の詰まった野田藤を復興したいと、のだふじの会事務局長の藤三郎さん(75歳)は、力を込める。

野田村と呼ばれた一帯は、 南北朝時代からの藤の名所。村の庄屋さんだった藤さんの祖先が記した「藤伝記」には、 1594年の「藤の花盛の節」に豊臣秀吉が自宅を訪れたとある。その後、「吉野の桜、野田の藤、高尾の紅葉」と童歌でも歌われたが、最盛期は20年ほどだった。
1614年、 大阪冬の陣の前哨戦「野田福島の合戦」で辺りは徳川方の焼き討ちにあい藤も焼けた。江戸時代に復活したが、今度は戦時中の空襲で壊滅状態に。1970年代には、 地元のライオンズクラブが区内に移植したものの、 手入れが行き届かず次第に咲かなくなった。

約10年前、 藤さんは大手化学メーカーを退職。 実家に伝わる古文書や絵巻を読み始め、野田藤こそ、大阪の『ふるさとの木』だと復活への思いを強くした。

2006年に連合町会の協力で、ボランティア団体「のだふじの会」を結成。現在メンバー約380人が、下福島公園など区内約20ヶ所、70本の水やりをしたり、選定をしたり、地道な手入れが実を結び、花をつける木は年々増えている。

「野田藤」マメ科フジ属。いわゆるフジの別名で野田の地名から、植物学者の牧野富太郎氏が名付けたとされる。長く豊かな房が特徴で、 1995年福島区の花に制定された。(YOMIURI ONLINE 2015年3月15日より)

写真は2011年4月下旬に、訪れた時のものです。