カメラ大好きおばあちゃん

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細々とでも長く続ける 

2015年04月13日 | その他
海原純子(日本医大特任教授)2015年3月29日 毎日新聞

 30歳を少し過ぎた頃、スポーツクラブに入った。医者の仕事は座りっぱなしか立ちっぱなしということがが多く、 座りっぱなしで患者さんの話を聴き診察していると、肩や背中が凝ってしまう。 少し体を動かすといいかな、と思って水泳をするようになったのだ。
 以来、もう30年近く水泳が生活の一部になっている。とはいえ泳ぐ時間はごく短い。スポーツクラブが閉館するギリギリにかけこんで、 10分位泳いだりすることもある。でも全く体を動かさないのと、ほんの少しでも動かすのは違うということを実感しているから、わずかな時間でも泳ぐのが好きだ。
 ただまわりの人は、数分泳ぐためにわざわざスポーツクラブへ行くのは時間のムダ、あるいはどうせ泳ぐならちゃんと長時間泳がないと意味がない、と思っていることが多いことに気づいた。外来で受診する方と話をしていても、「どうせ運動するならちゃんとやらないと意味がないし、そんな時間はないからやらない」という方が多い。全か無か、という思考性である。
 しかし、ちょっとでもやってみる、少しでもやってみる、少しでも長く続ける、というのは大事なことだと思う。無はいつまでも無のままだが、ほんの少しずつでも積み重ねていると、変化が確実に感じられる。 ただ、ほんの少しずつの積み重ねは劇的な変化にならないから意味がない、と思われてしまうのだろう。
 そう考えていくと、 このところ「細々とでも長く続ける」という視点は、ほとんど顧みられることがなくなってきた。「三日でかわる」というキャッチフレーズのダイエットや「てっとり早く」「最大の効果」という謳い文句の氾濫である。 芸の世界も食の世界も、日本の伝統文化を継ぐ分野以外は、 一発勝負の人たちが増え、となりのお姉さんが翌日スターになる状況だ。コツコツ続けるのは、この時代にマッチしなくなってきている。
 さてこんな風潮の現在だが、今一度「全か無か」だけではなく「細々とでも長く」の視点を加えてほしいと思う。ちょっとでもやってみる、のは確実に違う。 運動のことだけを言っているわけではない。人生すべてに共通する。
 医者という仕事、30年以上続けてやっとしっくりいくようになった。 私はジャズを歌ってライブをしているが、 ほんのわずかでも長く続けていると確実に変わってくる。細々とでも長く続けたものは簡単にはくずれない。
 今からでも何かを続けてみませんか。