人は、ふるさとびと

お帰りなさい と迎えて
下さる神様は、私達の
ふるさとなんです。

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臓器移植について(4)

2023-02-15 11:40:56 | スピリチュアル
     (前日からの続き)
我々の生命というのは、絶対な神様の愛、
生命から分かれてきてるものなんですね。
神様以外からこの生命というものは
出て来てないんです。
世界人類どの人一人とってもね。
例え、世の中にとても貢献をしてる人も、
あんな人がと思うような人の生命で
あってもね、裡(うち)の本心本体
というものは、皆神様から分かれて来ている。
だからそういう意味で言えば、皆
神の子どもでしょう。
そういう分け隔てのない公平な本心本体を
もってる、生命をもってる、我々の大元、
それは何から来てるか、それは神様からなんだ、
神様の愛なんだと。
何度もくり返して申しますけど、我々は
神の分生命であって、我々はこの地球世界の
運命修正というものを、それぞれの
持ち場持ち場でさりげなくやっていかなきゃ
なんない。
そういう大きな大使命みたいなものをおびて、
この肉体をまとって、ここへ生きて存在
してる訳ですよ。
だから、そういう大使命といいますか、何で
この世の中に、人間が何処から分かれて
何の為に生きてきたか、何の為に分かれて
来たか、その根っこは何なのか、という
ところをね、本当に謙虚に見つめ直した時には、
そこに怖れ畏(かしこ)みが出てくるんです。
慎みが出て来て、祈り心が出てくる訳なんです。

ところが、今の臓器移植の是か非かという
問題はね、そりゃあ色んな宗教家とか、
日本人の倫理観とか生命観とか、風土の違い
とかね、いろいろ議論しておりますけれども、
良いか悪いかの問題だけでこれは決められる
問題じゃない訳なんです。
良いか悪いかから出発して、いけないとは
言いません。
何故かというと、人間というのは、良いか
悪いかから出発しないと、悲しいことに
深いところへはなかなか行けないものでして、
そこから何か侃々諤々(かんかんがくがく)の
議論が始まって、随分曲がりくねって、やっと
深いところへそれぞれが到達するんです。
だから、今の議論が悪いとは言いませんけど、
今の議論というのはイエスかノーかなんですね。
良いか悪いかだけで片づく問題ではないのに、
良いか悪いかの次元でやってる空気では
困るんですね。
          (つづく)