(前日からの続き)
実は、臓器移植がどうのこうのというよりも前に、
我々はこういうもっともっと深いところを
見つめて、その上で自分の存在の根元を
何処に求めるか、それは神に求めるんだ、
神様の愛に求めるんだという、その深いところを
見つめた人たちが、こういう是か非かだけで
侃々諤々やってる空気の流れをね、もっと
愛のある光のある平和に満ちた空気の流れに
変えていかなきゃならない。
本当のところを言えば、我々のなすべき仕事
というのはそれなんですよ。
臓器移植というものは、本当に必要があって、
その人の運命、生命に、あるいは器にとって
それがその時必要であれば、神様というのは
何が何でも臓器移植をさせると思うね。
あるいは、させられる人もする人も決まってる
かもわからない。
だけども、私がここで言いますのは、そういう
ことによって人間という尊厳に満ちた
この存在がね、つまり、神様というもの、
その根っこのところ親のところ大元のところを
忘れ果てて、何か品物を交換するみたいに生命
というものがただ単純に連らなっているんだ、
という風に思ってしまったら考えてしまったら、
非常に恐いことになる。
だから、そういう風潮になるのをくい止めて
いくというか、くい止めるその空気をつくる、
それが我々祈りの同士のやはり役目なのでは
ないかと。
(つづく)
実は、臓器移植がどうのこうのというよりも前に、
我々はこういうもっともっと深いところを
見つめて、その上で自分の存在の根元を
何処に求めるか、それは神に求めるんだ、
神様の愛に求めるんだという、その深いところを
見つめた人たちが、こういう是か非かだけで
侃々諤々やってる空気の流れをね、もっと
愛のある光のある平和に満ちた空気の流れに
変えていかなきゃならない。
本当のところを言えば、我々のなすべき仕事
というのはそれなんですよ。
臓器移植というものは、本当に必要があって、
その人の運命、生命に、あるいは器にとって
それがその時必要であれば、神様というのは
何が何でも臓器移植をさせると思うね。
あるいは、させられる人もする人も決まってる
かもわからない。
だけども、私がここで言いますのは、そういう
ことによって人間という尊厳に満ちた
この存在がね、つまり、神様というもの、
その根っこのところ親のところ大元のところを
忘れ果てて、何か品物を交換するみたいに生命
というものがただ単純に連らなっているんだ、
という風に思ってしまったら考えてしまったら、
非常に恐いことになる。
だから、そういう風潮になるのをくい止めて
いくというか、くい止めるその空気をつくる、
それが我々祈りの同士のやはり役目なのでは
ないかと。
(つづく)