(前日からの続き)
と同時にですね、この人間が生きていく
ということの中には、様々な苦しみが
伴なってく訳ですよ。
例えば、仕事にしろ家庭生活にしろ、
結婚生活にしろすべてのことについて、
悩み苦しみがある訳なんですよね。
つまり、私がさっき申しましたように、
何故人類を根絶やしに出来ないか
といったら、神様の光の生命だから。
それは事実根絶やしになりようがないし、
またそれはしちゃあいけないんです。
でも、それは大目的だけれども、例えば、
私たちが神様のことを語る時に、神様
というのは愛ですよという時にですね、
何も苦労もしない人が、何の挫折も悩みも
味わって来ない人が、神様は愛ですよ
と言ったって、説得力がありますか。
説得力ありませんよ。
何にもありませんよ。
例えば、ここに十人、人がいると
しましょうかね。
十人いるとして、仕事がなくなって
明日からどうやって食べて行こうか、
明日のお米を買うお金も無いというところまで、
追いつめられた人がいるとしますよ。
で、それを迎える神様のことを語る人が、
順境で育って来てね、物質も愛情も一杯受けて
育って来たその人が、そんなこと言ったって、
神様は愛ですと言ったって、説得力が無いこと
おびただしいじゃありませんか。
だから、神様の愛というのは、人間の我々
一人一人の、人類一人一人の個性、性格、
良い所とか悪い所とかね、どういう所で
苦しんで、どういう生き方を送って、今何が
この人の悲しみなのかというのは、皆知ってる
訳なんです。
知っていて、それで抱きしめてね、今あなたが
これを欲しがってるのはよく分かっている、
だけど今はあげられないけれどもといって、
泣きながら光を送っている。
それが神様の愛なんですね。
だから、そういう神様の愛というのは生半の
もんじゃなくてね。
その生半でない神様の愛を伝える、
少なくとも言葉にして伝える時には、
何かその人の人生の中でね、離婚なり別れ、
お金が無いことだとか、子どもを失なった
とかね、死別の悲しみとか、いろいろな
この世の中の苦というものをいくつかですよ、
無いにこしたことはないけれどもね、
個人的に言えば、だけど神様の愛を語る時には、
やはり何か一つか二つかこの人生の山を越えて
谷を越えて、そうして、自分も塗炭の苦しみを
味わってね、もうこんな神様なんかあるかしら
という所から這い上がってきて、それで尚かつ
唇から出てきた言葉が、それが神様という言葉
だったと。
ね、やっぱり神様、私はあなたが忘れられ
ませんと。
そういう経験をした人が神様を語る時にはね、
やはり説得力があるんです。
ただ単に、ここにこう書いてあります。
白光のテキストにこう書いてありますから。
それじゃあどうにもなりません。
テキストというのはやっぱりテキストなんです。
(つづく)
と同時にですね、この人間が生きていく
ということの中には、様々な苦しみが
伴なってく訳ですよ。
例えば、仕事にしろ家庭生活にしろ、
結婚生活にしろすべてのことについて、
悩み苦しみがある訳なんですよね。
つまり、私がさっき申しましたように、
何故人類を根絶やしに出来ないか
といったら、神様の光の生命だから。
それは事実根絶やしになりようがないし、
またそれはしちゃあいけないんです。
でも、それは大目的だけれども、例えば、
私たちが神様のことを語る時に、神様
というのは愛ですよという時にですね、
何も苦労もしない人が、何の挫折も悩みも
味わって来ない人が、神様は愛ですよ
と言ったって、説得力がありますか。
説得力ありませんよ。
何にもありませんよ。
例えば、ここに十人、人がいると
しましょうかね。
十人いるとして、仕事がなくなって
明日からどうやって食べて行こうか、
明日のお米を買うお金も無いというところまで、
追いつめられた人がいるとしますよ。
で、それを迎える神様のことを語る人が、
順境で育って来てね、物質も愛情も一杯受けて
育って来たその人が、そんなこと言ったって、
神様は愛ですと言ったって、説得力が無いこと
おびただしいじゃありませんか。
だから、神様の愛というのは、人間の我々
一人一人の、人類一人一人の個性、性格、
良い所とか悪い所とかね、どういう所で
苦しんで、どういう生き方を送って、今何が
この人の悲しみなのかというのは、皆知ってる
訳なんです。
知っていて、それで抱きしめてね、今あなたが
これを欲しがってるのはよく分かっている、
だけど今はあげられないけれどもといって、
泣きながら光を送っている。
それが神様の愛なんですね。
だから、そういう神様の愛というのは生半の
もんじゃなくてね。
その生半でない神様の愛を伝える、
少なくとも言葉にして伝える時には、
何かその人の人生の中でね、離婚なり別れ、
お金が無いことだとか、子どもを失なった
とかね、死別の悲しみとか、いろいろな
この世の中の苦というものをいくつかですよ、
無いにこしたことはないけれどもね、
個人的に言えば、だけど神様の愛を語る時には、
やはり何か一つか二つかこの人生の山を越えて
谷を越えて、そうして、自分も塗炭の苦しみを
味わってね、もうこんな神様なんかあるかしら
という所から這い上がってきて、それで尚かつ
唇から出てきた言葉が、それが神様という言葉
だったと。
ね、やっぱり神様、私はあなたが忘れられ
ませんと。
そういう経験をした人が神様を語る時にはね、
やはり説得力があるんです。
ただ単に、ここにこう書いてあります。
白光のテキストにこう書いてありますから。
それじゃあどうにもなりません。
テキストというのはやっぱりテキストなんです。
(つづく)