アボルダージュ!!

文芸及び歴史同好会「碧い馬同人会」主宰で歴史作家・エッセイストの萩尾農が日々の思いや出来事を語ります。

ずっとあとまで、覚えている歌    (萩尾)

2006-09-30 | 音楽
先日、童謡や唱歌について書いたが、その後、「ゆゆしき事」を聞いてしまい、少なからず、ショックに襲われた。
9月27日の水曜日の深夜だった。
名古屋日帰りをしたので、疲れているから、グッスリ眠れるはずなのに、「ゆゆしき事」で、ショックから、無念さが立ち上がり、つづいて、悲しくなってしまった。眠れなかったなぁ・・。
一年ぶりくらいの久しぶりで、20代終わりくらいの年代(エ?もう、その年代になったの?!歳月の早さ!)の当会会員だったY子さんと電話で話した。
用件は全く違うことだったのだが、ついでに聞いてみた。
―小学校の時に、唱歌というのかな、「故郷ふるさと」とか「里の秋」「浜辺の歌」といった歌は音楽の時間に歌った?―
もちろん、歌ったという答が返ってきた。
そして、こちらが聞くよりも早く、今の音楽の教科書にはJポップス等が入ってきていて、いわゆる唱歌がなくなっているものもある―と、彼女は言った。
彼女、現在、丁度、小学校関係の仕事をしている。
私たちの年代ではなく、彼女たちの年代(1970年代後半生まれ)でも、今の年齢で、例えば、ふっと、「ふるさと」や「浜辺の歌」などを耳にすると、その情景(風景)が浮かび、涙が出てくる―と、言っていた。
今の子供たちの接している歌―確かにいい歌も数多くある。けれど、風景が浮かんでこないのではないか―と、Y子さんは続けた。
あるいは、その風景を知らない。
アア、そうだろうなぁ・・・知らないかもしれない。
故郷の風景・・といっても、溢れるほどの人と車の中で育っていたら、そこが「ふるさと」で、懐かしくもなんともないかもしれない。
が、「ちょっと、待てよ」と、私は、自分の思考にストップをかけた。
私も東京の中野育ちだ。けれど、「うさぎ追いし、かの山、小鮒釣りし、かの川~」と歌えば、浮かぶのは、中野の町並みではなく、どこか遠くの山や川である。そこが、真実、自分が生まれ育った所ではないのに・・。
思い浮かべる事ができない―これは、文章を読んで、想像して行くことができないからだろう=国語力の低下も一因かな。
卒業式で「仰げば尊し」は古い・・といわれるかもしれないが、せめて、「蛍の光」は・・・「最近は歌わない」と、彼女は言った。Jポップス系の曲を歌うという。
これを聞いて、
「君が代斉唱義務付けよりもこっちでしょう。君が代斉唱に起立しなかった、故に懲罰なんて、わけのわからないことをしておいて、どうなってしまったのだろう、日本は・・」
ショックと怒りで、自分では予想もしなかったほど、落ち込んだ。これは、歴史に思いの丈をかけているせいかもしれないが、先人たちへの思いゆえの無念さがからんでの落ち込みだったのかな・・。
この日の昼間、特養の老人ホームで長いこと働いている友人と、童謡や唱歌について、話したが、その内容も、Y子さんに話した。
認知症や記憶も定かでなくなった老人たちの前で童謡や唱歌を歌ったときの事、彼らも歌った―という。記憶がないはずなのに・・である。
記憶とか、思考とか、いう部分ではなく、魂魄(たましい)そのものが覚えているのだと思った。
いつか誰にも来る高齢の時期、今の子供たちはその時、そういう歌を持っているだろうか、その魂魄の中に・・。風景を思い出すことができるような歌を、今の、子供たちに教えてあげることは、私たちの義務ではないだろうか・・・と、今回も、シビアなブログになってしまったが、そんな風に思いつめ(?)、体はクタクタなのに、精神が研ぎ澄まされて、睡眠を妨げた一夜だった。
・・といっても、その一夜に限らず、ずっと、その思い、その無念は、私の胸の底に澱のように沈み続けているのだけれど・・。

身体を動かす (飛浪)

2006-09-29 | その他
昨年までは、YMCAのスポーツクラブに入って、週に2回は、エクササイズをやってましたが、どうも日本では、スポーツクラブというとハイソな感じなのか、メンバーシップもお高くて、今まで入れずにいました。近くにあるスポーツクラブKが、今月は入会金も無料だから、というのと、そろそろ1年近くも動かしてない身体がだらけてきつつあるため、思い切って入会してしまいました。

とりあえず、何でもやってみるほうです。最初は、「ボディコンバット」というのをやりました。茶髪の格闘技系のお兄さんとヘビメタの音楽に囲まれつつ、走りっぱなし+パンチだキックだ、の一時間です・・・。翌日は全身がばらばらになるかと思うほどでした。

ハムスターの如く、トレッドミルの上でひたすら走るのもOKです・・・「何でも来い」がポリシー(?)なので。で先日、「禁断の」HIP HOP教室にチャレンジしてしまいました。

この選択は無茶だったかも、ですね。
たかだか1~2分程度の動きのルーティンを覚えられない、身体は思ったとおりに動かない、ステップの数があわない・・・脳みそから出た指令が手足に行き着くのが、音楽についていかない(爆)
「皆さんを困らせるつもりはないんですけどねぇ・・・」と先生苦笑、生徒失笑ちゅうとこです(笑)その様は、すでにHIP HOPとは別物、盆踊りですらなく、手足をばたつかせているといった感じでした。世の中知らないことは沢山あるもんです。次回のために、ひそかにステップの練習をする私ですww


ずっとあとに思い出す歌  (萩尾)

2006-09-26 | 音楽
飛浪が音楽のことを書いていたので、私も音楽について、ちょっと、触れてみようか―と。
私もいろいろな音楽を聴いてきた。
絶対にコレ!・・というものはなく、大体、何でも聴くのだけど、ヘタな人が歌うのは、悪いけど、聴いていることは苦痛。
・・などと偉そうに言っているが、私は、人前で歌うことはできない。
カラオケは苦手。
嫌い・・というのではなく、あの騒々しさがたまらない。
随分前、高校のクラス会が卒業以来、初めて開催された。
かなりたくさんの人が集った。当時の担任の先生も参加。先生は若かった。
・・で、この時初めて知ったのだが、先生は、私たちの担任となった時、22歳だったということ!つまり、4~5歳しか離れていなかったわけである。
・・で、そのクラス会の二次会でカラオケスナックに行った。実はこれが、カラオケ初体験。
クラスの誰かの店らしかったが、「誰のお店?」などと、あのうるささの中で聞けるものではない。
卒業以来、初めて、会う仲間もいたので、実は、話をしたかった―と、半分くらいの人から、あとで聞いた。カラオケ現場(?)は話をするには、絶対に不向きである。
初体験のカラオケだったが、やはり、苦手なまま、次に行ったのは数年前、これは、仕事関係だったので、断ることも出来ずに、我慢していった。
歌った。松山千春を・・。
上田成幸(歌手・舟木一夫さんの本名)作詞作曲の『蜃気楼』に挑戦したかった。曲もあった。が、あれは、難しい!ものすごくいい歌だけど、優しさと温かさに、ふいと涙がこみ上げてしまうほどのいい歌だけど、何しろ、難しい。諦めて、「果てしない大空と広い大地の・・」(これも本当はむずかしいけど)と歌った。
しかし、やはり、カラオケBOXは好きななれずに、2回目の体験も終った。
歌は聞いているほうがいいのだろうなぁ・・と、思う反面で、この年になって(笑)、時々、童謡やら、小学校で歌った歌を一人、口ずさむ。
それは、数年前、舟木一夫さんが童謡を歌うのを聴いたからかもしれない。
その時、何かを思い出した。遠い日の事だろう、あまりに遠すぎて、思い出したそのものさえ、何か、わからないくらいに・・。それでも、心の扉がノックされて、涙がボロボロ。
「静かな静かな里の秋~」
「あした浜辺をさまよえば、昔の~」
「うさぎ追いしかの山~」
・・等々、その昔、自分が子供だった頃には、歌わされなければ(つまり、学校の音楽の授業で)歌いもしなかった童謡やら唱歌(というのかな)やらを聴いて、「涙滂沱状態」・・これは、何だろう?舟木さんの染みとおるような声のせいだけではないだろうなぁ・・。
何があっても子供の頃はよいものなのかもしれない。ここまで 歩いてきてしまうと・・ねっ!(これが、結論・・か?)
・・で、秋になった今、一人口ずさむ「静かな静かな里の秋~」

それで、少し、心配。
最近の小学校の音楽などでは、これらの歌は教えないのだろうか?
その子達が大人になり、長い人生のデコボコ道を歩いて、そうして、ようやく、ふぅ~と溜息をついた時に、ふいと思い出す歌を伝えておかなければいけないのではないだろうか。

音楽の話(?) (飛浪)

2006-09-25 | 音楽
幼い頃は、父が「飲む打つ買う」な人で、かなり貧乏だったのだが、六畳一間のアパートには、場違いなステレオがあった。父は休みの度、それでレコードをかけていた。(会社で自分に似ている、といわれたのが理由らしいが)石原裕次郎や、演歌、それとなぜかハワイアン。おかげで、「砂浜のぉ~すなを~」と、石原裕次郎のヒットソングはほぼ唄える、というへんちくりんな幼稚園児であった。

幼稚園から帰ると、テレビでアニメ番組をやっていた。「ジャングル大帝」「宇宙少年ソラン」。何度も見ているうち、すっかりタイトルソングも覚えた。

夕食の後、家族でテレビを見ていたら、ザ・タイガースというお兄さんたちが「シーサイドバウンド」を歌っていた。メンバーはどうみても日本人だが、ジュリーとか外国人みたいな名前だった。「愛されて、棄てられて、泣き濡れる部屋の片隅~」(弘田三枝子・人形の家)人前で歌おうものなら、母があわてて口をふさぎそうな歌を平気で唄っていた。

歌を聴くのも、唄うのも、大好きだ。残念ながらインストルメンタルの才能はないので、楽器は弾けないが、その幼い頃に「歌は楽しい、楽しくしてくれる」というのを知ったからかも知れない。カラオケも大好き、バンド活動も大好き。とりあえず、唄っていれば楽しい。(唄っている間は、何もかも忘れられる、ってのがいいのかも知れない)

昔の歌謡曲も、フォークも、今のアップテンポ(死語か?)な歌も、ジャニーズも、ゴスペルも、HIP HOPも、とりあえず何でも聴く。
英語でも広東語でも韓国語でも、唄う。曲を聞いたままの歌詞を丸々覚えりゃ、発音がどうの、イントネーションがどうの、なんて関係ない。ハングル読めないと、唄えないかっつーと全然そんなことない。(読めれば、より正確な発音にはなるだろうが)

今一番の願いは、香港人の友人に、地元のカラオケボックスへ連れて行ってもらい、飽きるほど広東語ポップを唄うことです。日本のカラオケボックスの中国語ソングはとても限られているので・・・。

歴史好きが電車男を見て  (萩尾)

2006-09-24 | 幕末以外の歴史
空が随分と高くなって、すっかり「秋の空」を感じる。
空の青が濃くなる季節だが、まだ、夏の名残があるようだ。
季節の花が遅い。
なぜか、お彼岸の中日(9/23)に必ず咲く―と、今までは思われていた彼岸花(曼珠沙華)がまだ、開花していなかった。
庭の曼珠沙華は半分ほど開いているが、昨日、墓参で訪れた埼玉県の墓地はまだ開いていない花が多かった。
真夏に咲いているはずの百日紅(サルスベリ)がまだ、盛んに咲いている状態だ。
やはり、季節がおかしいのか、それとも、昔のように、月をみて暦をきめた方が、自然に適しているのか―う~ん。陰暦に戻した方がいいかな・・などと、詮無いことを考えてみる。

昨夜、フジTV系列で『電車男SP』の放映があった。
・・で、みてからブログを書こうと思ったのだが、これは、個人としての感想だが、連続ドラマで放映していた昨年のものの方が、胸に来たような気がする。
原作を元にして製作・・と書いてあった。原作から離れているから、感動が薄かったのだろうか?タヒチが余計だったかな??
夕方、wowowで放映した堤真一氏の『フライ、ダディ、フライ』の方に感動してしまって、「その日の感動量」の残量がなくなってしまっていたかな―などと馬鹿な言い訳をする(笑)。
その『電車男SP』に北村一輝氏が出ていた。
2001年大河ドラマ『北条時宗』は1回も欠かさず見ていた。脚本が井上由美子さんだったので、最初から期待していた。登場人物の、特に、陰のはずの女たちの心情、思いが丁寧に描かれていて、毎回、涙・・の状態で見ていた。
そこで、この北村氏を発見。平頼綱役。このドラマ中での育ち(実際はドラマとは違う)、それゆえの卑屈な表情と鋭い目が非常に印象に残った。
以来、ドラマなどに出演しているとちょっと、気にしていた。
さらに気になったのは名前。
プロフィールには「芸名」と書いてあるので、本名は別かな。
この名前を見るたびに、「北一輝」(キタイッキ)を思い出していた。
北氏は二・二六事件の際、死刑になった日本ファシズムの理論的指導者と言われている。
私はこの名前を、多分、まだ、十代の頃かもしれない、かなり昔の映画の中で聞いた。「祭りのあと」というタイトルだったかな?
その映画の終わりの方で、主人公が、
「祭りが始まった、東京ででかい祭りが始まった!」
と言う風な叫びを発して、
「北さんがやった、北一輝さんがやった」
と言う。
それが、昭和維新といわれる二・二六事件だったのだけど・・。
北一輝は新潟県佐渡に1883年に生まれ、22歳の時に上京して早稲田大学の聴講生となった。翌年、23歳で『国対論及び純正社会主義』を著して、幸徳秋水(高知県出身、少年時代から自由民権運動に参加した社会主義者。大逆事件の首謀者とみられ、明治44年1911年処刑)らと交わった。やがて、北氏は政財界から資金を集めて、門下生を養う。その青年将校が二・二六事件を起こしたので、首謀者と言われ、死刑になったのである。
しかし、こんな物騒な経歴の人を思い出すのは北村一輝氏には迷惑な話だろう。
俳優が職業の友人が北村氏と共演した。
彼も、北村一輝という俳優は、役柄などから、とっつきにくい、傲岸不遜な男だろうと思っていた部分あり―だったらしいが、まったく、違っていたとの事。
「気配りの人で、腰の低い、いい奴だったよ」
という感想(?)をあとで聞いた。
役者さんはわからないものである(笑)。
それでも、北一輝の話などが映像化されたら、北村さんに演じてもらいたいと思う。
その時は、暮々も、昨夜の『電車男』のIT企業社長のクールな場面はともかくとしても、コメディ場面のドナルドダックの声は無しにして(爆)。

やはり、私は心底、歴史が好きなのだなぁ―と、思う。
大河「北条時宗」の事を前述したが、そうすると、この時代のことをもう一度、調べてみたくなる。
文献や小説を読み漁り、その時、私の心も思考も、過去に出かけて行くようだ―ある意味、至福の時・・かな(笑)。
マァ、そんなだから、たとえば、信長さん(織田信長)の比叡山攻めを書いた日の夜などは、夢の中に、火、火、火・・である。その場に自分もいたので、多分、うなされていただろう(笑)と思う。
今川義元を討ち取った桶狭間の戦いを書いたときの事。見た夢は当然のように、桶狭間。両軍入り乱れての戦闘場面にいる私は、確かに恐怖で足がすくんでいる。が、その中で、必死に信長軍の旗印を探している。どちらが味方かわかっているようだ。
「あちらに行けば大丈夫、あちらが味方」と、夢の中でもちゃんと判断していたことに、目がさめてから、笑った。

歴史がこんなに好きなのは、歴史は生命の営みとイコールだから・・。
一度も途絶えた事の無い歴史を見つめる事は、生命の営みを見つめる事。
この歴史の重さを全く、思考の中にない指導者たちが、この国の政治の頂点に立つことが、大きな悲劇なのだが、これは、固い話になるし、現在政治が絡むから、やめよう。

『電車男』を見ながら、日本の歴史までに思いをはせてしまった一夜だった(爆)。


沖田総司を好きな理由 (飛浪)

2006-09-22 | 幕末関連
ようやく幕末系の話題。(笑)

新選組ファンが集まると、やっぱり、どの隊士が好き?という話にまずなりませんか?
現在、ヒジカタさんの人気はダントツで安定しているけれど、そもそも人気隊士は、その時代時代で流行ったドラマ、映画、或は漫画などに左右され、若干違ってくるように思います。昔々私が漫画で新選組を知った頃は、絶対的に沖田さん勝ちでした。その次にヒジカタさん・・・。2004年のNHK大河ドラマを境に、総司さんが、人気バトルに置いていかれちゃった感があるのは私だけでしょうか・・・。

その代わりに、山南さんなんて、今まで柔和なおじ様(以前からのファンの方、失礼!)のような扱われ方をされていたのに、三谷さんの描くあのキャラで、堺雅人さんのあのキャラで、堂々人気者の仲間に入ってしまったし。光縁寺への訪問客が衝撃的に増えたというし。(その割に余り花が飾られてないのはどうして・・・)総司忌とか専称寺へ訪れる人が増えた、という話は余り聞かない。まぁ、何故山南さんと総司さんの人気が入れ替わってしまったのか等々は次回熱く語る(かも知れない)ことにして。

皆さんご存知の通り、豊玉師匠の俳句を見ても、北へ向かう時のヒジカタさんを慕う隊士の話を聞いても、ヒジカタさんは、文句なくとても優しいし、きっと戦をしてても、同時に女性にもぬかりなく優しくしてくれそうです。強いし、優しい・・・王子様みたいです。

う~ん、それでもやっぱり総司さんがいい。
ノンポリでマイペース極まりないところがいい。(誉めてますよ)
いつもはぼんやりしてるけど、いざ!という時にビシッと決める、そういう男の人が理想の私としては、あくまでも私見ですが、総司さんを置いて他にない!と信じ込んでます。斬るのが好きだったのではないか・・・というと、アブナイ言い方ですが、彼の場合、真剣は所謂剣術の延長上、というか、武器の一つであって、その武器をいかに合理的に本来持つ力を100%出せるように利用するか、というような、簡単に言ってみれば「剣術オタク」のようなものではなかったかと思うんです。且つ、剣術を通して自分を表現する以外、自己表現ってできなかったように思うんです。

きっと今なら、武器オタクってところじゃないかなぁ。
明治を過ぎ、日露戦争とか太平洋戦争とか、不謹慎な話かも知れないけれど、その時に彼が生まれ変わっていたとしたら、ドイツの各種秘密兵器や、海軍国となった日本の、世界を誇る軍艦群とか、きっと目を輝かせて、研究したのではないかと。むしろ、剣術オタクらしからぬ死に際の無念を消す為にも、刀剣とか剣術だけじゃなくて、進化した技術を見せてあげたかったなぁ・・・と思う私です。



日本語   (萩尾)

2006-09-19 | その他
飛浪の噛み合わない会話―を読んで、噴出しながら、まるで、その場に私もいたかのように、その様子がはっきりと浮かんでくるのは何故だろう?
飛浪のそういう心臓バクバク状態を知っているからだろうか?
何回か、そういう場面を見ている。実に苦しそうなのだ(笑)・・と、笑い事ではないけど・・。しかし、会ってしまうと結構、落ち着いているようなのだけど、なぁ???

ちょっと、日本語について、こうるさい事を書いてみようかな―と、ここ数年思っていながら、あまりにもたくさんの人々がそういう日本語の使い方をするので、なにも、喧嘩をふっかけるようなことをしなくてもいいか・・・と、目をつぶっていた。
そうしているうちに、私の親しい友人やスタッフや、あまりに多くの人々が使い出した。民放は当然のように、が、NHKのアナウンサーも使用するから、これは、もう、「正しい日本語」と認められたのかもしれない・・・などと本気で思った事もある。
最近の生徒たち(小学生~高校生)学生たち(専門学校生・大学生)は文章を読んで理解する事がものすごく苦手らしい。数学の計算は速くても、文章で問題を出題されると、
「意味わかんな~い!」
である。
国語力の低下。
学科の中で一番大事なのは国語である―と、どこかに書いてあったが、その通りだ思う。
小学生の授業に英語を・・という提案が出始めているが、まずは、
「国語でしょう」
と、口を挟む機会などがあれば、つい、そんな風に言ってしまう。
が、国語力の低下・・云々、言っていても、言っている大人が、
「私的には・・・思うけど、気持的には・・・学校的には・・・」
といった話し方状態。
「・・的」という言い方が、すっかり市民権を得て、TVのリポーターもアナウンサーも、
「○○さん的にはどう思いますか?」
「番組的には、その方向ですすめます」
使い方がまちがっているよねぇ―と、いつも、思いながら、それらの言葉に接している。
「萩尾さん的には、いかがですか?」
と聞かれて、
「わたし的には」
などと答えたことはない。答えるはずが無い。聞かれた瞬間、「ウン?!」と疑問符を胸の内で発しているのだから・・。
「私としては・・」「私としましては・・」が答え方だろう。
その他にも、この国の言葉は、おかしくなっている。この国の現在の状態と同じに・・。
先日、「僕たちの戦争」というSPドラマを放送していた。
現代の若者と戦時中の若者が入れ替わってしまう話。突飛な話だけれど、中身は濃い。戦争の只中から現代にタイムスリップしてきた若者が現在のこの国を見て、
「こんな世の中にするために英霊たちは死んでいったのか!」
そんな風な叫びをあげる。
アア、本当にそうだ。あの戦争で逝った人々はよもや、こんな世の中になるだろうと思いもしなかったろう。後につづく人々は、「正しい世の中」を作ってくれると信じて、散ったのではないか。
何だか、先人たちに申し訳なくなった。

気楽に言葉を綴るブログだから、あまり、こうるさい事を言っても・・と、思いつつ、一応、日本語で文章を書くことを生業の者として、一度は口に出す事が義務かもしれない―と、ちょっと、固い事を書いてみた。
マ、私も、時々は「そうじゃん!」などと、結構、わざと(!)言う事もあるし・・(笑)。

・・ということで固い話だったので、和みの画像を添付しようかな。
でも、猫嫌いな方、ご容赦!近所でも、
「あの美人のミケ猫ちゃんはどこの?」
と評判。
「うちのです」
と、親馬鹿で答える私。


らしくない緊張  (飛浪)

2006-09-17 | その他
友人、知人の前では、笑われてナンボ、で全然OKな私。

が、好きな人の前で超を超えるほど緊張する。
つじつまがあう、あわない程度の話でなく、自分が何を言ってるかさえ分からなくなったりすることはしょっちゅうだ。

一昨日、めったに会えない「大好き」な人に会うことができた。
会う前から、心臓は苦しいし、呼吸も荒い。歩くと、眩暈がするし、手はぶるぶる震えてくるし・・・いまどきの小学生でもこれほど好きな人の前でキンチョーすまい。

また、この相手が厄介で、自分からは何も会話を広げようとしない。こちらの質問に答えたら「・・・」状態だ。変な間は嫌だから、とこっちが酸素欠乏状態の脳みそをフル回転しながら、会話を(かろうじて)続ける・・・、今流行りの「脳トレーニング」みたいだ。

しかも、私たちの会話は、会話レベルが微妙にずれているようだ。お互いがぽわーんとしてるO型で、質問も返答もかなりアバウトだからなのかも知れない。
「いつ、(九州を)発つんですか?」
「来週(アメリカに)帰ります。」
「そんなに長く?だったらいい所沢山見てくださいね。」
「え、九州の話?九州は今日発ちます。」
「あぁ・・・」

思い人でもない人であれば、ハンカチ王子ならぬ白馬の王子にもなれそうなハンサムさんの前でもそれほどは緊張しない。がんばれば、ちょい笑ぐらいなら取れるだろう。

好きになる相手がいつもよくないのかなぁ。
でもそんな人ばっかり好きなんだから仕方ないなぁ。と思いつつ、思い人との微妙な会話のズレは、誰にも真似出来ないだろぅ、ってほくそえむ自分も居るんだけど。(笑)

東の人間    (萩尾)

2006-09-16 | その他
飛浪が西の人間について、書いていたが、私は、ある意味では典型的な東の人間なのだろうなぁ。西の笑いで笑えない。
たとえば、時間とお金があったとき、私は、北に向けて、出かける。
冬でも北に向かうのは苦ではない。
奥州(東北といわずにあえて、奥州!)のそこかしこで出会う土地の人々のジンと胸底に染みてくる北の国の言の葉、言い回しの中に身を置くと、ホッとする。
もちろん、津軽海峡を越えて、蝦夷地も、ホッと生き返る!(が、この数年の函館行きでは、いつも、過密日程で、生き返る暇(?)がなかったけど・笑)

飛浪とは「墓フレンド」という出会いだったけど、何回か、手紙(ペンフレンド!)のやり取りをして、それから、実物(?)と会ったのだが、手紙のイメージと全然(爆)ちがっていたので驚いたことが記憶にはっきりと(再度、爆!)残っている。
手紙のイメージ―非常に読みやすい、綺麗な文字が並んで、文章も丁寧だった。
「真面目でおとなしい少女(そう、少女・・です)なのだろう」
と、思っていた。
いや、だから、会って、「真面目じゃない」と思ったわけではなく(笑)、話していて、「笑い通し」だったということである。
確かに和む・・というより、面白かった!
階下の母が、
「おや、あの子が、あんなに笑っている!」
と驚いたくらいだ。
しかし、私は、笑わない娘であったわけではないけど・・。
だから、出会って、数ヶ月ほどで出かけた江差・松前・函館の長い旅は他人と長い日数、常に一緒にいる―という苦痛はなく、笑いばかり・・。
いや、ホントに楽しかった!
飛浪が書いた会うだけで、噴き出した人というのは、実は、私の友人で、彼とは、飛浪に出会うよりも前のものすご~く若い頃の出会いで、現在は、実力ともに(!)大物俳優になった。その彼がなぜか、私と一緒の飛浪を見た瞬間、「プッ」と噴出した。マ、ほんの一瞬だから、飛浪は気がついていないと思ったけど、後日、飛浪は人を和ませるよねぇ~みたいな話になって、
「○○も初めて会ったのに、笑っていたものねぇ」
といったら、
「○○さんは噴き出したんですよぉ」
と。
(アア、気がついていたんだ)
と、思った次第。

それもこれも、ここまで歩いてきた今は、楽しかった思い出・・という類かな?



「笑い」について (飛浪)

2006-09-15 | その他
先日、西の人間に囲まれて仕事をしている方に会ったら、気の毒なほど憔悴した感じだった。立ってるだけ、声を出すだけで存在感が違う、と。

私は、九州生まれの九州育ちで、土曜日、幼稚園から帰ってくるとちょうど「吉本新喜劇」の始まる時間で、あのホンワカしたオープニングと共に昼ごはんを食べて育った。(行儀が悪いけど)ああいった「これでもか!」的な笑いとともに成長すると、大したことでは笑わなくなるし、自分自身まで面白くなってくるらしい。二十年以上前、萩尾やそのご友人に初めて会った時も、「存在自体面白い」とか言われたし、今でも「あなたの顔を見るだけでほっとする」とか言われる。(言われるだけならいいが、ぷ!と噴出しそうになる人もいる)

昔々西で、伝説の爆笑番組「突然ガバチョ!」というのがあった。夜遅い番組ながら、結構な視聴率を取っていたので番組が東京放映をした。しかし東京では全く受けず、3ヶ月で放映中止となった。

私はまた、けっこうないたずらをする。大人相手にやると叱られるので、もっぱら愚息相手に。息子が「そんなことしていいの?」とちょっと心配するぐらい、やる。「受けりゃええねん!」・・・。何しろ人が笑ってくれるのは楽しい。自分を貶めるくらい何でもない。

大阪のおばちゃんなんかを見ると、もう存在だけでおもろい人ばっかり。うらやましくてならない。負けてられん!とマジに思う。東の人は絶対そんな風に思わないだろうなぁ。かといって、西の人が全員面白い訳ではないので、あしからず(笑)