アボルダージュ!!

文芸及び歴史同好会「碧い馬同人会」主宰で歴史作家・エッセイストの萩尾農が日々の思いや出来事を語ります。

ともかく動かしてしまおう         萩尾農

2012-04-11 | その他
・・というタイトルの「下心」が丸見え。
何が・・って、関西電力の大飯原発の再稼働。
5/5にはこの国の原発54基(こんなにある!)、現在稼働しているただ1基の北海道泊原発が定期点検で停止するから、その前に、とにかく、どこか動かさないと、原発0になった時の現状を国民が知っては大変だ。
「原発0でも停電しないじゃないか」「原発無しでもやっていける」―等々の気運が高まる。それを避けなければ―みたいな思惑が丸見え。
「原発0の回避に躍起」である。
原発稼働のための安全基準と対策の実地が数年先という電力会社の工程表を受けて、「おおむね適合」という信じられない判定を下した政府。
政府と関電が申し合わせたような基準作りと工程表提出の流れ。
夏場の電力不足が…云々言うが、それなら、今、急いで、5/5前に動かさなくても良いのでは…。
政府は徹底的に安全を確認し、電力会社に甘い自らを省みてからでも良いのでは…。
しかし、どれほどの用意をしても、あそこに核燃料が在ることは現実で、停止をしていても、建屋が何らかの力で破壊された時、放射性物質が飛び散るという取り返しのつかない事態になることは確実な結果だけれど…。
そして、その物質の全てが効力を失うには何万年単位の時間を要することも…。
日本の電力は東と西で周波数が違うから、不足した時に電力を融通し合うにも限度があるーという。それなら、周波数を同じにする工事をすればよい―これには莫大な費用がかかる。
けれど、原発の建設や維持(高速増殖炉もんじゅは、稼働していた時間よりもはるかに長い時間停止しているが、1日に何千万円単位の維持費がかかっているという)、それらの予算を充てれば不可能なことではない。
確かに、今すぐに原発を「全基廃炉」は不可能だろう。
全基停止と廃炉は違う。廃炉は容易なことではない。中にある核燃料をどうするか…等々、問題は山積。
停止していても安全ではないが、動いているよりはまだマシか―という段階の安心でしかないようだ。

原発はトイレのないマンションと同じ―と、どこかに例えがあったが、確かに、廃棄物(使用済み核燃料)を棄てる場所はない。未来へ莫大な「負の遺産」を遺すことになる。
「もう一度、原発事故が起これば、日本人は生きていけない」
と、大江健三郎氏が言った言葉を忘れてはならない。
原発立地地域の雇用の問題…云々もあるという。
けれど、他のエネルギー産業(再生可能エネルギー産業)を興せば、そこに雇用も生まれてくる―等々の庶民目線の案は為政者たちの頭には湧いてこないようだ。そう、国民を見ていないから…ね。
福島原発の事故の検証も終わっていない。
壊れた建屋内がどのような状態になっているかさえ判明していない、現況を掴むことさえ不可能な状況で「再稼働に躍起」の政府は、国民の信頼を失うのは明らか。(もう失っていたっけ)。

桜満開、命の芽吹く季節だというのに、思いっきりの笑顔を空に向ける事ができない。

以上は昨日(4/10)書いたが、外出の時刻が迫り、保存して終了した。
・・で、本日、公開。



やっと、春?のはずだけど・・          萩尾農

2012-04-07 | その他


例年よりも寒かった冬が終わったのかな?
梅は例年よりも3週間も遅れたが、3月なのに、寒風が吹いた中で咲いたし、木によってはまだ梅の花が残っている間に、とにかく、桜が開花した。
都心は満開、武蔵野地区も半分以上の蕾が開花していた。
我が家の庭に桜はないけれど、見事な雪柳がある。
随分前に、幹(といえるのか)も1㎝ほど、高さなどは20㎝あるかどうか・・という雪柳を購入して植えた。ひどく弱弱しかった。
ところが、雪柳は見かけによらず、実は強い植物で、種がこぼれたところからはかなりの確率で芽が出て、翌年には花を咲かせた。
そうして、現在の我が家の雪柳は画像の通り。
桜の開花で「春がきた」と思う人々が多いけれど、私は、我が家の雪柳の開花で春を自覚(?)する。
半月ほど前は殆ど、枝だけに見えていた。よ~くみると、ポチポチと満遍なく蕾がついていたけど・・。
1週間前に二つ三つ開花して、
「春が来るなぁ、今年は遅かった」
と、思っている間に、次々と咲き始めた。
朝見て、夕方みるーという短い時間の間でも、花の数は増えて、
「春が遠い…と思っていたけれど」
と、朝だけでなく、氷点下の気温の日もあった今年の長くて寒い冬をちょっと、振り向いて、
「春は来るとなったら、一気に押し寄せてくるなぁ」
と、季節(自然)の偉大さに、敬意を払ってしまった(笑)

そう、自然は偉大で力強いものだ。
新聞のコラムに、僧侶の人が書いていたが、普段は優しく人を包んでいる自然は時に牙をむくーと。
それが、昨年の大震災だった。
続く、人災ともいえる原発事故―。
科学が自然の力を抑え込むことができると過信した一部の人々の大きな過ちだ。
憤りを抑えきれない事実が次々と露わになった。
そして、日本のこれまでの原発政策も安全対策も、「科学」とはいえないシロモノだったことがよくわかった。
あまりにも、ずさんだった安全管理、それ以上に、利権追求の欲望の凄まじさ、そして、再稼働への結論を生みたいだけとしか思えない政府と電力会社の対応。
政府は「再稼働にむけた事業者(電力会社)任せでの新基準」である「新しい安全基準」を正式に決定した…とか。
「容認できるわけがない、この国の主権者である国民が…。」
と、思ったのだけど、大和民族というのは、そんなにも諦めの早い種族だったのかなぁ、おとなしすぎるよ、国民!
福島の子供たちの中には甲状腺にしこりができた子もいると聞いた。
そういう状況下、福島原発の事故が収束していない現在、原発を再稼働しようとする、その姿勢が理解できない。
政府は昨年末、収束宣言をしたけど、逆に国際社会に不信を招いた。これらを首相はじめ閣僚は理解できない。
同じ「理解できない」でも、中身は相当違う。
「資源の少ない我が国で、原発を再稼働させなければ、経済の発展はない」―そんな考えを持っているような首相や閣僚たち。
でも、私たちは、もう世界の経済大国などでなくてもよい。世界で何位・・・云々より、つつましくても国民一人一人が安全で安心に暮らせる祖国であればよいーと私などは思うけれど…、どうなんだろう、他の人々の考えは…。
5月5日には現在稼働しているただ一基の北海道の原発も定期点検でとまり、稼働〇になるという。
全部止まっていれば安心だ―と勘違いしそうだが、あの中には核燃料が入っている。冷温停止していても、大災害が原発の建屋を襲い、倒壊したら、放射性物質は飛び散る。その事を忘れてはならない。
また、水蒸気爆発を防ぐために行う核容器内のベント時(排気)に放射性物質を取り除くフィルターは殆どの原発で設置されていなかったという事実。震災以来、各電力会社に要請したが、現在でも取り付けられていない原発が多いという現状。その設置などの重要対策も先送りを決め、その期限は電力会社任せ―そんな決定をした首相と閣僚。私たちは、そういう国に住んでいる。
それが、私たちの祖国だ。
本当の意味での祖国は政府には作れない事を改めて知った、この一年だった。

それでも、春は来た。
何があろうと、自然は芽ぶき、この季節ほど、自然の力の強さを知る時期はない。
この力強さが国民の一人ずつに確実に齎されていればいいな―と、我が家の力強い雪柳をみながら、ふいと思った。